展覧会『生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界』を鑑賞しての備忘録
東京都庭園美術館にて、2024年6月1日~8月25日。
独学で絵画を修得し、雑誌など当時の新しいメディアを舞台に、とりわけ「夢二式」と称される叙情的な美人画で人気を博した竹久夢二(1884-1934)の作品約180点を、主に夢二郷土美術館コレクションから紹介する企画。
本館1階では最近発見された《アマリリス》(1919頃)[070]を始め、《林檎》(1914)[004]、《白夜》(1922頃)[113]、《星まつ里》(昭和初期)[151]、《トランプをする娘》(昭和初期)[150]、《憩い(女)》(昭和初期)[109]など代表作を展観。
本館2階の部屋(第1章・第2章)と新館ギャラリー(第3章~第5章)では時代順に作品を紹介する。第1章「清新な写生と『「夢二のアール・ヌーヴォー」』ではアールヌーヴォーが流入した世紀の変わり目(ロマン主義の文芸誌『明星』の創刊が1900年)に上京した夢二が雑誌を舞台に人気作家となった時代を取り上げる(最初の著作『夢二画集 春の巻』(1909)[036]がヒット)。第2章「大正浪漫の源泉―異郷、異国への夢』では、京都府立図書館など各地で有料の個展を開催した時期の作品とともに、江戸趣味と異国情緒の作品を取り上げる。第3章「日本のベル・エポック―「夢二の時代」の芸術文化』ではセノオ楽譜のカヴァーを飾った作品や新聞・雑誌の挿絵などを紹介する。第4章「アール・デコの魅惑と新しい日本画―1924-1931年」では、自ら設計したアトリエ付住居「少年山荘」を拠点に日本流のアールデコを開拓した時期について、『婦人グラフ』の仕事などを展覧に供する。第5章「夢二の新世界―アメリカとヨーロッパでの活動―1931-1934年」ではサンフランシスコ、ベルリンに外遊した際の作品など、晩年の作品を陳列する。
《月の出》(1906)[005]は灰色の紙の上部に木々の梢を青いシルエットで表わし、その隙間から黄色い満月が覗く。樹影の下端は右上へ傾斜し、山ないし丘陵が表現されるとともに、月が昇る運動をも連想させる。中段には草叢の一部を緑のシルエットで表わし、そこに白い肌の女性の顔と右手とが見える。目を瞑る女性は眠っているのかもしれない。だが夜の草叢で月を見るでもなく仰向けになる女性は死体ではなかろうか。山の端とパラレルに斜めに配される女性は流されるようでもある。1906年は夏目漱石が『草枕』を発表した年でもあり、同作ではジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)の《オフィーリア(Ophelia)》(1851-1852)に言及がある。《月の出》に《オフィーリア(Ophelia)》の影響はあるだろうか。
《画房小景》(大正中期)[112]には、画架の真っ新な画布、立ち尽くす画家、緑の背景幕の前で床に垂らされた幕を踏み付けて立つ裸の女性の後ろ姿が描かれる。モデルは横たわることなく立っているが、画家に対して背を向けている。なおかつ草地を連想させる緑の背景幕は斜めに掛けられている。《月の出》の「死んだ」女性がいる草叢を連想させないだろうか。画家が描くのは死した女性なのだ。
《美人水彩》(大正前期)[012]は右手を突いて右側に傾いた姿勢で腰掛ける女性の姿を描いた作品である。俯く女性は白い肌で、生気がなく、人形のようだ。腰より下の表現が省略されているため、むしろ幽霊と言うべきか。
《稲荷山》(明治末~大正初期)[003]には傘を差し波・千鳥・兎を遇った和服を着た女性とその背後のS字の山道と11本の鳥居が描かれている。俗世から神域へと誘う作品である。千本鳥居は蔵書票《鳥居》(大正期)[014]でも取り上げられている。
《加茂川》(1914頃)[057]においてまだ幼い舞妓は加茂川を挟んで東山を見詰めている。橋には傘を差す人の姿も見える。傘は依代であり、橋は此岸と彼岸とに架かる。
蔵書票《踊る女》(大正期)[013]は腕を折り曲げ跳び上がる特異な姿勢をとる女性を横向きに捉えた作品で、踊る乙女が生贄として捧げられる(息絶える)『春の祭典(Весна священная)』(1913)の振付を担当したヴァーツラフ・ニジーンスキー(Ва́цлав Нижи́нский)を連想させる。
《青いきもの》(1920)[066]は山の端らしき線が上部に描かれるだけの模糊とした場に鮮やかな青い和服の女性が坐る姿を描く。女性の表情は虚ろであり、生気がない。抽象的な空間は冥界ではなかろうか。
《白夜》(1922頃)[113]では青地に鶴を散らした和服を着た女性が木陰に佇む姿が描かれる。背後の白い壁は蠕動する有機体のように奥に連なる。ガス燈の奥に見える白い壁の出入り口は境界を抜ける(超える)ことを示唆する。鶴は死者の魂を運ぶ鳥であった。本作もまた死に連関すると言えそうだ。
《西海岸の裸婦》(1931-1932)[164]には腕を上げて横たわる女性を、緑と茶の縞の中に描き出している。目を開き、頬はピンクが差す。それでも《月の出》と同じく女性は斜めに配されている。なおかつ太腿より下はカットされている。カリフォルニア滞在中に制作されたという本作でも、女性は死体・人形・幽霊といった生者ではない存在として描き出されていると言えまいか。
夢二が女性を生者でなく死者・人形・幽霊として描き出しているとすれば、それは何故か。女性(の美しさ)を永遠にしようとした結果であろう。永遠とは不変であり、死である。夢二式美人とは、en vie(生きている)ではなく、à vide(むなしさ)なのだ。虚無の誘惑(l'appel du vide)こそ、人々が夢二の作品に惹かれる所以であろう。