可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ある一生』

映画『ある一生』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のドイツ・オーストリア合作映画。
115分。
監督は、ハンス・シュタインビッヒラー(Hans Steinbichler)。
原作は、ローベルト・ゼーターラー(Robert Seethaler)の小説『ある一生(Ein ganzes Leben)』。
脚本は、ウルリッヒ・リマー(Ulrich Limmer)。
撮影は、アルミン・フランゼン(Armin Franzen)。
美術は、ユレク・カットナー(Jurek Kuttner)とマーセル・ベラネック(Marcel Beranek)。
衣装は、モニカ・バッティンガー。
編集は、ウエリ・クリステン(Ueli Christen)。
音楽は、マシアス・ウェバー(Matthias Weber)。
原題は、"Ein ganzes Leben"。

 

孤児となったアンドレアス・エッガー(Ivan Gustafik)が川沿いの道を馬車に揺られている。行く手には雪を被ったアルプスの高峰が見える。次第に川幅が狭くなり、道幅も馬車が1台通れるほど狭くなると、ようやく集落に到着した。
俺にどうしろってんだ? アンドレアスが到着するなりアンドレアスの母の義兄ヒューバート・クランツシュトッカー(Andreas Lust)が言い放つ。義理の妹の息子だからってなあ。司祭に引き取らせよう。だがアンドレアスが首に提げた財布に気が付くと翻意する。仕方が無い。神の思し召しだ。ヒューバートはアンドレアスから財布をひったくった。老婆のアーンル(Marianne Sägebrecht)がアンドレアスに声をかける。お腹が空いているみたいだね。何か食べよう。
アンドレアスが皆と一緒に食卓に着いているのを見たヒューバートが怒る。俺たちと同じ食卓に着かせたのは誰だ? 向こうに坐れ。隅だ。聞こえないのか? アーンルがアンドレアスを招き、椅子と小さなテーブルを用意する。ヒューバートは食前の祈りを捧げる。生きとし生ける物は主を待ち望んでいます。主は時宜に適った糧を与えられます。ヒューバートの向かう壁には亡き妻の写真が飾られている。我が妻と子供たちの母のために慈悲が与えられんことを。アーメン。アーンルが鍋をテーブルに置き、それぞれの皿に注いでいく。アンドレアスは離れた場所で見ている。
夜。アーンルが子供たちの部屋にアンドレアスを連れていく。男の子に詰めてもらい、アンドレアスをベッドに寝させる。アーンルが去ると、アンドレアスは出て行けと男の子に足で押される。
アンドレアスはアーンルがパンを作るのを手伝う。平皿のパン生地にフォークで穴を開けていると、ヒューバートが折れた農具を手に怒鳴り込む。これを見ろ! 来るんだ! 
納屋に連れて行かれたアンドレアスは稲架のようなもので前屈させられ、ヒューバートから木の棒で打擲される。まだ泣き叫ばないのか? 棒を振り下ろしながら、ヒューバートは神に慈悲を乞う。
アンドレアスはアーンルからパン生地で作ったアルファベートで読み方を倣う。
ヒューバートが食卓で珍しい角の鹿を見た話を気分良く話している。アンドレアスは相変わらず部屋の隅に坐らされ、一家の団欒を眺めている。
手押し車で飼葉を運ぶ際、板でできた坂をうまく上がることができずに倒してしまう。それを目にしたヒューバートがアンドレアスを納屋で折檻する。俺はクランツシュトッカー。畑を耕し、豚を担ぎ、子をもうけ、牛を殖やすのは望み通りだ。主よ、憐れみ給え! ヒューバートがアンドレアに棒を打ち下ろす。アンドレアスに反応が無い。慌てたヒューバートがアンドレアスに声をかける。
医師がアンドレアスの脚を診察する。折れている。ヒューバートは立ち去る。良くなるわよ。人生における何事とも同じようにね。アーンルがアンドレアスを慰める。
逞しく成長したアンドレアス(Stefan Gorski)が袋を肩に担んで運び、積み上げる。そこへアーンルがパン生地を持って来て見せる。素敵でしょう?
アンドレアスに召集令状が届く。ヒューバートはアンドレアスとともに山を下り村へ行く。アンドレアスは賑やかな光景に目を瞠る。人々は戦争の話で持ちきりだ。ヒューバートは徴兵担当者に窮状を訴える。ジフテリアで息子たちは死んだ。養子を取り上げるなら農場に火を放っても構わん。兵士が1人増えても兵糧を供給する農場は1つ減ることになる。ヒューバートは徴兵の免除を許可されるとアンドレアスとともに帰路に就く。俺の元から絶対に逃がさないからな。
アンドレアスが農作業をしていると悲鳴が上がった。慌てて駆け付けると、アーンルが調理場で突っ伏して息を引き取っていた。

 

20世紀初頭。オーストリア。孤児となったアンドレアス・エッガー(Ivan Gustafik)はアルプスで農場を営む母の義兄ヒューバート・クランツシュトッカー(Andreas Lust)に引き取られる。篤信家だが暴力的なヒューバートから使用人として扱われ、何か問題がある度に折檻された。ヒューバートの子供たちからもいじめられる。いつも気遣ってくれる優しい老婆アーンル(Marianne Sägebrecht)だけがアンドレアスの支えだった。アンドレアスはヒューバートから激しい打擲を繰り返され遂には右脚が不自由になってしまう。時は流れ、アンドレアス(Stefan Gorski)が徴兵されることになった。ヒューバートは2人の息子をジフテリアで亡くしていたため、軍に掛け合って徴兵を免除させる。間もなく最愛のアーンルが老衰で亡くなると、アンドレアスはヒューバートの元を離れ、農作業の手伝いで日銭を稼ぎ自活することにした。アンドレアスは宿の給仕係マリー(Julia Franz Richter)を見初める。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

幼い時分に孤児となり、アルプス山中で農場を経営していた母の義兄ヒューバートに引き取られたアンドレアスは使用人としての生活を強いられた上、繰り返される激しい折檻のために右脚が不自由になってしまった。逞しく成長したアンドレアスは唯一可愛がってくれた老婆アーンルが亡くなると、独立する。農業使用人として日銭を稼いだアンドレアスは山小屋を手に入れ、ロープウェーの建設が始まると、作業員の職を得た。宿屋で見初めたマリーと所帯を持つことにする。
冒頭、アルプス山中の集落を目指して進む馬車のアンドレアスの姿を背後から捉える。延々と続く山道は人生のメタファーとしてある。
ヒューバートによる折檻を受ける際、アンドレアスは世界を反転して覗くことになる。敬虔なヒューバートによる残酷な仕打ち。
ヒューバートはアーンルが亡くなると、年老いた者が去ったところには新しい命が訪れると言った。だが果たしてそうなっただろうか。
アンドレアスは山小屋で死にかかっていた老人を救い出す。背負子に乗せて山を降っていると、老人は死は最悪ではないという。死が新しい生命をもたらすなどというのは戯言で、死は何も生みなどしない(篤信家のヒューバートと対照的である)。死は冷たい女のようなもので、顔もなく、声もない。突然やって来て連れ去り、暗闇に投げ込む。土を被せられる前、束の間空を見上げる。だがその後は暗闇と寒さだけしか残らないのだと。

(以下では、後半の内容についても言及する。)

ロープウェーの建設作業現場でグローレラー(Matthias Saffert)が片腕を切断してしまう。トマス(Thomas Schubert)は両腕を失ってもグローレラーだろうかとアンドレアスに問う。アンドレアスはグローレラーだと答える。両腕・両脚・頭の半分を失っていたらと重ねて問われると、それでも辛うじてグローレラーだとアンドレアスは答える。足の不自由なアンドレアスは、身体が欠損しても同一性は保たれるとの実感があるのだろう。だが同時に、身体の欠損は、掛け替えのない存在の喪失をも象徴しているのではなかろうか。分人主義的観点からは、亡くなった相手との関係で存在した人格が失われることになるからである。
アンドレアスの山小屋は雪崩に巻き込まれる(開発業者(Robert Reinagl)は否定するがロープウェーの工事が影響している可能性がある)。アンドレアスもマリーも冷たい雪の中に閉じ込められた。老人の言っていた死そのものではないか。だがアンドレアスは生き延びる。孤児となった(母を失った)とき、ヒューバートから独立した(母代わりの老婆を失った)ときに続いて、「我が子」の母(マリーは身籠もっていた)を失ったときにアンドレアスは新たな生を始める。「新しい命が訪れる」とは、子供の誕生に限らず、既に生きている者が再生することをも含むのである。
アンドレアスはマリーの墓を訪れ、柩に手紙を差し入れる。マリーはアンドレアスの中で生きている。アーンルから読み書きを習ったことを思えば、アーンルもまた生きているとも言えよう。

(以下では、結末に関する事柄にも言及する。)

晩年のアンドレアス(August Zirner)は若き時分に助けようとした老人40年ぶりに再会を果す。老人は氷河の中でミイラとなってたのを発見されたのだ。
アンドレアスは山へ向かうバスに乗り、終点に向かう。スーパーでくすねた干し肉の真空パックをお供に。無論、干し肉は老人のミイラの代替物である。覆道を通るとき、景色が映画のフィルムのように現われる。アンドレアスの脳裡にも走馬灯のように来し方が思い起こされる。バスの終点は自動車道の行き止まりでもあった。眼下にはU字谷が拡がっていた。地質学的な時間との対比で、人間の時間の儚さが浮かびあがる。氷河が削り取る穴に比べれば、人の墓穴など、アンドレアスがアーンルとともにパン生地にフォークで開けた穴ほどの大きさもない。