可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 酒々井千里個展『むだな抵抗』

展覧会『酒々井千里「むだな抵抗」』を鑑賞しての備忘録
CASHIにて、2024年6月28日~7月27日。

木片に貼り付けた画布に描画した作品に対しギャラリーの展示壁面と同じ塗料を塗った躯体を押し付けて画面をほどんど見えないようにした「Untitled」シリーズと、絵画制作に使用した絵具の残片をキャンヴァスに貼り付けた「スターダスト」シリーズとを、2つの展示壁と3つのバランスボールを持ち込んだ会場に配した、酒々井千里の個展。

展示空間の入口に壁が増設され、入口から展示室内が見通せないようになっている。ギャラリーが閉鎖的な環境であるのみならず、かつて男性用小便器――"R.Mutt"と署名されてはいたが――が《泉(Fontaine)》という美術品に転じたように、そこに置かれる物体に対し作品としての地位を賦与してしまうことを示唆する。それと言うのも増設された展示壁面の上や展示室の隅に置かれたバランスボール他、計3つのボールが作品に見えるからである。いくら「作品に見える」としても作品ではないのは、作品リストに掲げられていないからである。バランスボールを作品と見てしまうのは、対象を見ているのではなく、ギャラリーというシステムに乗っかっているに過ぎないのだ。入口近くのバランスボールに至っては、壁面と天井に挟まれた位置に思わせぶりに設置されているのみならず表面に白の塗装まで施されているのであり、村上春樹が個人とシステムを卵と壁とに喩えたことを連想させもする。作品と非作品との限界事例と言えるだろう。化粧を施されたバランスボールは作品化を免れようとも作品に見えてしまうのであるから、割られないにせよシステムに組み込まれてしまう。作品化を拒むことこそ「むだな抵抗」なのかもしれない。
木片に貼り付けた画布に描いた絵画作品に対し、ギャラリーの展示壁面と同じ白の塗料を塗った躯体を押し付けて画面をほどんど見えないようにした「Untitled」シリーズのうち、四角錐台状の「絵画」2点は既存の展示壁面の低い位置に並べて設置されている。白い躯体で覆われ切らない部分からは白や緑、あるいはぷん苦や青などの絵の具の飛沫が覗く。木枠に張られた絵画作品とは異なる物体が、排除され、白い壁の中に埋め込まれようとしているかのようだ。あるいは、「絵画」は(躯体の中に潜んでいる訳ではなく)壁面と躯体と接した部分以外を露出しているが、一方的に見られる対象であることを忌避し、壁を装って隠れようとしているようでもある。その点では、安部公房の『箱男』を連想させもする。
「Untitled」シリーズの残りの2点は、増設された展示壁が斜めに立て掛けられた既存の展示壁に隠れるように既存展示壁面に設置されたものと、立て掛けられた展示壁面の支えのように床に置かれたものとがある。前者はほぼ片側の側面しか見えないことから絵画の正面性――あるいは一神教的世界観――に対して疑義を投げ掛けるようでもあり、後者は展示壁面を傾けることでホワイトキューブが作品性を附与してしまう制度を倒壊させるようでもある。「Untitled」シリーズ4点は、ホワイトキューブが象徴する美術のシステム――権威や評価――で対象を判断しているに過ぎず、作品自体が省みられることがないことを揶揄するのかもしれない。
「スターダスト」シリーズ4点のうち3点は、絵画制作に使用した絵具の残片を画布に並べて貼り付けた作品群である。解読不能象形文字の記した碑文を連想させる(なお、もう1点は、溶接の練習をした鉄板3枚組による《スターダスト(鉄)》であり、盤陀か何かの跡が景色となっている)。元々は絵画を構成することが無かった絵具が画布に載せられることで絵画となるというのは、展示空間に置かれた物体が作品となるのとパラレルである。美術作品とは何かという問いがやはり含まれている。