映画『このろくでもない世界で』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の韓国映画。
123分。
監督・脚本は、キム・チャンフン(김창훈)。
撮影は、イ・ジェウ(이재우)。
照明は、イ・ジェガン(이재건)。
美術は、イ・チェヨン(이채영)とパク・イルヒョン(박일현)。
編集は、キム・サンボム(김상범)。
音楽は、カン・ネネ(강네네)。
原題は、"화란"。
高校の敷地の片隅でキム・ヨンギュ(홍사빈)が体育の授業でグラウンドにいる生徒たちを窺っていた。石を手にユク・ミョンフンに近付くと石で思い切り殴る。ミョンフンが痛みに悲鳴をあげる。他の生徒たちは遠巻きに見ている。
ヨンギュが血の付いた石を水溜まりに捨てる。
会議室。私の息子を殴るなんて! ミョンフンの父親が教師の制止を振り切りヨンギュの頭を何度も叩く。そこへヨンギュの母親モギョン(박보경)がやって来た。
モギョンが校庭を足早に横切るのをヨンギュが追う。母さん! モギョンが立ち止る。俺が何とかするから。どんな理由でもやっちゃいけないことがあるわ。父さんが知ったら…。あいつは父親じゃない。モギョンが呆れてヨンギュを置いて立ち去る。
中華料理店「香喜」。ヨンギュがPCでオランダ移住について調べている。店主(정만식)は煙草を吸いながら近々行われる総選挙のニュースをテレビで見ている。地元の選挙区に新人のチョン・ウィソク(서동갑)が出馬することが報じられた。店長! 何だ? 何でもない。店の電話が鳴る。電話が鳴ったら出ろよ。またオランダだかの写真を見てんのか? そう。店主が電話に出る。はい、すぐにお届けします。こいつはいっつも1杯しか頼まねえ。電話を切るなり愚痴る店主。カウンターに置いた皿に麵を入れ煙草の吸殻を落とすとその上から餡をかけ、チャジャンミョンを完成させる。何してんだ、さっさと行け!
商店の店先にあるベンチに腰掛けたワング(홍서백)が、ヨンギュの届けたチャジャンミョンを幼い息子ヒョンウに食べさせようと割り箸を割ってやる。美味そうだな。飽きませんか? この子はあんたんとこのチャジャンミョンが大好物なんだ。なあ、誕生日に欲しいもんは何だ? ヒョンウは首を振る。来年はプレゼントを買うよ。ちゃんと宿題をやるんだぞ。父さんは仕事に行くから。ワングは片脚を引き摺ってバイクに跨がると、走り去る。
ヨンギュがヒョンウをバイクに乗せて走る。2人とも笑顔を浮かべている。
ヨンギュがヒョンウを送り届けたときには日が落ちていた。家の鍵を開けようとするヒョンウにロボットのキャラクターのキーホルダーをプレゼントする。
ヒョンウが家に上がると、ワングが顔を腫らしてスンム(정재광)ら暴力団員に囲まれていた。ヒョンウ、この人たちはお父さんの友達なんだ。話があるからちょっと待っててな。ヒョンウは父親を殴った男達に叫び声をあげて飛び掛かる。ワングの目の前でヒョンウはいとも簡単に打ちのめされた。
香喜。いくら前借りしたいんだ? 店主がヨンギュに尋ねる。300。若いくせに随分だな。親父さんに頼めよ。そんな大金無理だ。本当に必要なんだ。一生懸命働くから。聞き分けの無いやつだな、親父さんとこへ行けよ。テーブルを叩くヨンギュ。あいつには頼めない。店主は奥の座敷にいるチゴン(송중기)の組の者たちにどうそお気になさらずお召し上がり下さいと言って愛想笑いを振りまく。あいつには知られちゃまずいんだ。助けてくれよ。
暴力団員たちが店を出て行こうと扉を開けた拍子に、扉の前にいたヨンギュが転び、チラシを落としてしまう。チゴンがチラシを拾い集めるヨンギュに話しかける。金が無いのか? 何度か来たことあるよな? どこへ? 事務所に出前届けに。いつこの町へ? ここの生まれです。チゴンらが立ち去る。
夜。家の前の坂道を歩いていたヨンギュは数人の若者たちに襲われ、シンナーの入ったビニール袋を被せられる。動けなくなったヨンギュのビニール袋をミョンフンが愉快そうに外す。石を手にしたソンフンがやって来て、弟ミョンフンの頭の傷に触れる。何でこんなもので殴ったんだ? キム・ハヤン(김형서)をいじめたからだ。本当か? 違うよ。違うって言ってるぞ。賠償金、都合付けようとはしてるんだろうな。たった300だ。待たせるなよ。ソンフンが石をヨンギュの頭に押し付ける。ハヤンもお前もどうなってんだ? 電話してやろうか、父親に。ミョンフンがヨンギュの服を捲ると腹は痣だらけだった。父さんじゃねえか、おっさんか。怒り狂ったヨンギュがミョンフンを殴る。兄弟とその仲間たちが一斉にヨンギュを蹴る。
高校生のキム・ヨンギュ(홍사빈)は、母親モギョン(박보경)の再婚相手で自転車店を営むチョンドク(유성주)から酔う度に暴力を受け怯えて暮らしていた。ヨンギュは母とともにオランダに移住しようと、中華料理店「香喜」のアルバイト収入をこつこつ貯金する。常連客ワング(홍서백)の幼い息子ヒョンウを可愛がっていたが誕生日プレゼントにキーホルダーを渡した晩から見かけなくなった。同居するチョンドクの娘ハヤン(김형서)がミョンフンにいじめられていると知ったヨンギュは、ミョンフンの頭を石で殴り怪我を負わせた。ヨンギュは示談金を支払う羽目になり香喜の店主(정만식)に前借りを求めるが断られる。偶々店に居合わせたチゴン(송중기)からヨンギュに必要な金を工面してもらった。ところがミョンフンへの暴行を知ったチャンドクから虐待され、左目の周囲に疵痕が残ったヨンギュは、アルバイトを馘になってしまう。居場所を失ったヨンギュはチゴンを頼り、スンム(정재광)の指導の下、オートバイ窃盗に手を染める。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
キム・ヨンギュは母モギョンの再婚相手でアルコール中毒のチョンドクから度々暴行を受け、父親のいる家には居場所がない。母とともにオランダに移住する夢を抱き中華料理店でアルバイトをして貯蓄に励んでいる。
同居するチョンドクの娘ハヤンとはお互いにつれない態度を取り合うが、実は意識し合っている。ハヤンがミョンフンに下着泥棒を強要されていることを知ったヨンギュは二度とハヤンに手を出させないよう石で顔面を殴り着ける。
ミョンフンの怪我の示談金を要求されたヨンギュはアルバイト代の前借りを頼むも店主に断られる。偶々店に居合わせて事情を知った闇金のチゴンから同郷の誼で示談金を工面してもらう。
高校で暴行沙汰を惹き起こしたことを知ったチョンドクは激昂し、バットで殴られたヨンギュは左目の周囲に目立つ疵痕が残り、アルバイト先を解雇された。ヨンギュはチゴンを頼る。
ヨンギュがミョンフンを石で殴る場面から、暴力による痛みが繰り返し描かれる。町に暮らす連中は誰もが痛みを回避することができない。できるのは痛みを受け容れ耐えること。それがチゴンがヨンギュに伝える処世訓だ。ヨンギュがミョンフンを殴り血に染まった石を泥水に投げ捨てるが、その石は町に生きる男たち――とりわけ生まれ育ったチゴン、そしてヨンギュ――を象徴する。より真っ当な生き方をするワングのように痛みに耐えかねると、自ら状況を悪化させることにもなってしまうのだ。
(以下では、後半の内容についても言及する。)
ヨンギュは深みに嵌まる前に組から抜けようとするが、チゴンから組を家だと、チゴンを兄と思ってくれて構わないと伝えられ、翻意する。実の父親は幼い時分からおらず不明で、継父は暴力を繰り返すチョンドクであったヨンギュにとってはチゴンは兄であり父でもあったろう。
他方、スンムはチゴンから可愛がられてきたが、ヨンギュと異なり地元の出身者ではない。チゴンが地元出身のヨンギュを贔屓にすること――シャツが破れていたヨンギュにチゴンがスンムのシャツを与えることに象徴される――にスンムは不満を募らせる。
ヨンギュはスンムに対して便宜を図るように、チゴンほどに徹底して組の――町で生き延びるための――掟を受け容れることができない。スンムから香喜の番犬を守るように、ワング――ヒョンウのためであろうが――を庇ってやるのだ。チゴンは改めて掟を守るよう指導するが、ヨンギュは暴力=苦痛の連鎖に嫌気が差し、抜け出そうとする。
(以下では、結末に関わる内容についても言及する。)
地元の組を束ね町を支配するチュンボム(김종수)の直接の部下となったヨンギュが窮地に陥る。チゴンはスンムが組、そして町を抜け出すことを期待する。そのためにチゴンは自ら壁となりヨンギュの前に立ちはだかる。チゴンは自らを踏み台に、町=沼から抜け出すように迫るのだ。
ヨンギュは組という疑似家族だけではなく、実の家族においても悲劇を経験する。ヨンギュはチョンドクを殺すこともできたが、敢て手を下さない。それは暴力の連鎖を断ち、新たな人生を始めるために必要な決断であった。