展覧会『夏は日向を行け 2024』を鑑賞しての備忘録
みうらじろうギャラリーにて、2024年7月27日~8月11日。
内田太郎、大寺史紗、新宅和音、鈴木琢未、田中巳桃、都築琴乃の絵画計24点を展観。女性をモティーフに時間が表現されている点などで緩やかに連関する。
内田太郎《誕生日》(530mm×409mm)は、打ちっぱなしのコンクリートの壁の前に立つ、白いブラウスに黒いタイトスカートを身に付けた長髪の女性が、鎖を巻き付け南京錠をかけたアンティークの箱を胸の前に捧げ持つ姿を描いた作品。胸元まで垂らされた茶色い髪、襟から胸にかけてのブラウスの襞、箱に取り付けられた鎖によって視線が下へ導かれる。すると木製の箱の角が割れて、破片が落下するのに気付く。箱からは黒い影が4つ飛び出し、それぞれに星々が煌めく。箱は玉手箱であろう。歪められて収められていた時空が現われ出たようだ。女性の立つ空間もまたコンクリートの箱で、アンティークの箱と入れ籠の関係に立つ。複数の時空か平行して存在し、別の時空への転生が示唆される。
大寺史紗《丘園》(728mm×51mm)の左側には、デフォルメされた女性の身体が描かれる。画面左端には胸と腹が僅かに覗く。画面左上から画面下端の中央右側にかけて左腕と釣り鐘に近い形の右脚(?)とが円弧を描く。左腕には黒髪がかかり、垂れる。「釣り鐘」の右の斜面には互生に葉を付ける真っ直ぐな茎の草がいくつも生え、その1つに異様に細長い指が印象的な手が差し伸べられる。草の中に1本だけ葉のない茎が伸び、その先端で蕾が頭を垂れている。その蕾には左側の女性とは別の人物の、やはり異様に長い指の手が伸ばされる。身体から生える植物からは地母神やハイヌウェレなど農耕起源の神話が連想される。女性の身体が文化の土壌となってきたことを訴えるのかもしれない。
新宅和音《手鏡》(530mm×455mm)は臙脂の画面にY字に石畳が延び、Y地の交点には、体操着を身に付け水色の地にピンクの蝶が描かれた布製の帽子を被る少女が腰を降ろす。少女は右手に持った手鏡で自らを映す。少女の口からは棘を持つ青い茎が渦を巻きながら上空へ伸びていく。自他を傷つけながら迷いながら生きていく少女の姿を暗示するのだろうか。彼女は分岐点にいる。背後では過去の彼女の姿が陽炎のように歪みつつ消えていく。蝶柄の帽子は「胡蝶の夢」を暗示するのかもしれない。鏡像の象徴する現象面に囚われることなく生きるよう示唆するようだ。《号砲》(606mm×727mm)の画面下側ではオレンジ・ピンク・エメラルドグリーンのストライプのビキニを身につけた少女が丸まって横になっている。彼女は右手に握り締めたペンを見詰めている。彼女は湖底に沈んでいる。彼女の上には像が映る波立つ水面があり、その外側には桜が所々に咲く山と谷の小さな集落とがある。空には号砲の煙が浮かんでいる。号砲は桜と相俟って開始の合図だ。泳ぎ出す準備は整えてあるが、スタートを切ることができない鬱屈した精神が、水面の歪んだ像によって示唆される。
都築琴乃《おいでませ月界の都》(350mm×270mm)には和服の少女が輝く球を胸の前に抱える姿が描かれる。女性は鑑賞者の側を見据える。彼女の背後の上部には別人の両手が迫るのが不穏である。輝く球体は月であり、月に向かい小さな兎が駆け上がっていく。シルエットで表わされた複数の兎は1羽の月の兎を異時同図的に表わすものだろう。月と少女の左上、宙空に猫の姿が描かれる。チェシャ猫のようだ。ルイス・キャロル(Lewis Carroll)の『不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)』の世界とは反転した世界が描かれていることに気が付く。兎は兎穴(=闇)に落ちるのではなく、月(=光)に駆け上るからである。眠りに落ちるアリスが少女のまま夢を見ているのに対して、画中の少女は大人の世界へと踏み出す。背後に迫る手は大人のシネクドキーであった。すなわち「おいでませ月界の都」とは少女が初潮を迎えたことを表わすのである。
田中巳桃《鎮潜》(455mm×380mm)は湯上がりか、水気のある髪を右手で掻き上げる女性の、浴衣の片肌を脱いで下着の肩紐も外れたしどけない姿を真横から描く。垂れる黒髪、外れた下着の肩紐、脱げ落ちた浴衣という下へ向かう動きに対して、左手に持つ火の着いた煙草からゆっくりと立ち上る白い煙が印象的である。
鈴木琢未《記憶》(220mm×273mm)は波打際を歩く男女の姿を写実的に描きつつ、右端が白く消えかかるように表現する。2人の足跡が波により消されるように、記憶も次第に薄れていく。消失、不在といった打ち消しは、かえって存在の意識を高める。反語表現の具象的表現である。2人の傍に張られた標識ロープが謎めいているが、目盛りのように見えることからメモリーを表わすのであろうか。