可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 架菜梨案個展『Birth』

展覧会『架菜梨案個展「Birth」』を鑑賞しての備忘録
禅フォトギャラリーにて、2024年7月19日~8月10日。

表題作品《誕生》、妊婦の身体をモティーフとした「下を向いたって」シリーズ、円形画面に花を描いたシリーズに加え、創作物語を絵画化したアーティストブック『ウサギたちの恋物語(L'Histoire de l'Amour des Lapins)』を展観する、架菜梨案の個展。

 (略)ヴァギナは自然現象を鎮めたり悪魔を追い払ったりできるんだって? 今日では、非常に異例な見方なのは確かだ。21世紀の西洋世界では、女性が性器を見せることは、力や影響力というよりは、セックスやポルノグラフィーや女性の協調的な刺青と強く結びついている。悲しいことに、女性がヴァギナを見せるのは不快な行為と見られていて、肯定的に考えられることはめったになく、ましてや歓迎すべきだとか、自分たちを守ってくれる行為などとはみなされれない。女性自身にとっても、人前でヴァギナを見せることは尊敬と敬意ではなく、恥や困惑の感情を引き起こすものとなっている。今日のヴァギナをめぐる否定的な連想に加えて、多くの文化では、女性生殖器が人目にさらされることがないように大きな努力が払われているという事実がある。現在では、裸のヴァギナにかかわる最も力のある概念はおそらく出産だろう――ヴァギナが押し広げられ、奇跡のように赤ん坊をこの世に送り出す瞬間である。ヴァギナにとってはこの分娩の姿が、唯一「受け入れられる」公的な顔と言ってもいいだろう。(キャサリン・ブラックリッジ〔藤田真利子〕『ヴァギナ 女性器の文化史』河出書房新社河出文庫〕/2011/p.22-23)

《誕生》(970mm×1303mm)には白地に花や枝葉や茸など種々の植物と鹿や鳩や鼠など動物が描かれている。動植物に重ね、裸の女性が脹ら脛を支え、女性器を見せる姿が描かれる。陰裂からは蔓が蛇が這い出すように伸びる。女性の膚を表わすクリーム色はところどころ塗り残されて、背後の植物が姿を現わす。女性の膚に当たる光が反射してクリーム色が周囲に拡散する。女性の身体は自然と連なり一体化している。
女性が女性器を見せる行為には自然の脅威を鎮めたり凶事を防いだりする力があるとされ、また生産力の増進に効果があるともされていた。前者の例としてはギリシャのベレロポーンの神話(クサントスの女たち)やアイルランドの太陽神クーフリンの神話(スカンラフに率いられた女たち)があり、後者の例としてはエジプトの太陽神ラーの神話(ハトホル)や日本の天照大神の神話(アメノウズメ)がある(キャサリン・ブラックリッジ〔藤田真利子〕『ヴァギナ 女性器の文化史』河出書房新社河出文庫〕/2011/p.31-42参照)。

 (略)〔引用者補記:ハトホルとアマノウズメとの〕2つの物語が強調しているのは、女性の隠された核心部分を公然と明らかにすることは、個人レベルでも世界的な規模でも、変化のプロセスを動き出させる力があるという人生の真実である。つまり、この行為がある個人に笑いを生み出すのは確かだが、一方では、男の暴力的な行為で暗黒と不毛がもがらされたあとで、地球がまだ豊かな実りある世界でありつづけることを保証してもいる。結果として、どちらの神話も、人間と植物の誕生と死と再生、移ろいつづける季節へのメタファーとなっている。重要なのは、どちらの物語でもむきだしにされたヴァギナが、マイナスの破壊的杏エネルギーを追い払う手段として表わされ、女性が進んでヴァギナを見せる行為が魔を祓い生殖力を教化する力を持つという広く信じられている信念を確証していることである。(キャサリン・ブラックリッジ〔藤田真利子〕『ヴァギナ 女性器の文化史』河出書房新社河出文庫〕/2011/p.40)。

ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)《世界の起源(L'Origine du monde)》(1866)やマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の《(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ(Étant donnés:1°la chute d'eau/2°le gaz d'éclairage)》(通称《遺作》)(1946-1966)においては女性の身体ないし女性器は一方的な眼差しの対象である。主体性を剥奪された身体(body)は死体(body)に過ぎないとさえ評し得る。それに対し、《誕生》においてアナ・スロマイ(女性器のディスプレイ)をする女性は鑑賞者に正対する。眼差しの主体である。

「下を向いたって」シリーズは妊婦が自らの裸体を見下ろす構図で捉えた絵画群。クリーム色の画面に微妙に色味の異なるクリーム色の膚の隆起の連なりが描かれる。前景には大きくなりメラニンにより変色した乳首と乳輪を伴う脂肪の付いた乳房がある。乳房の描線は渦状で、乳房の丸みとともに母乳をイメージさせる。中景には妊娠線とともに膨らんだ腹部が配される。そして後景の脚ないし足指である。坐っていたり立っていたりと異なるポーズにより前景・中景に対してヴァリエーションに富む。乳房と腹の隆起、とりわけ太腿とともに描かれたものなどは桂林の景観を想起させ、山水画の趣である。妊娠線には雪舟《秋冬山水図》の懸崖の垂直線を重ねてしまうかもしれない。身体が小宇宙であるなら、山水画の観念的な世界をヌードに投影することは決して的外れではないだろう。特筆すべきは、絵画のモデルが自らを描いていることである。クールベの《世界の起源》やデュシャンの《遺作》との対照がより明快になる。

『ウサギたちの恋物語(L'Histoire de l'Amour des Lapins)』を構成する1枚には横たわる裸体女性の陰部にウサギが――クンニリングスを行うように――向かう場面が描かれる。膣は、ルイス・キャロル(Lewis Carroll)の『不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)』(1865)のウサギ穴であり、ニキ・ド・サン・ファル(Niki de Saint Phalle)の《カノジョ(Hon—en katedral)》(1966)であり、胎内巡りによる再生が促される。誕生(birth)は再生(rebirth)としてある。

見詰め返す眼差しによるルネサンス(renaissance)=再生が作品を貫くテーマであった。