展覧会 宇留野圭個展『Echoes of Silence』
LOKO GALLERYにて、2024年7月12日~8月10日。
ラチス構造の腕に支えられた6種類の不穏な部屋が不安定に揺れる《6の部屋》や乱雑な仕事机に積み上げられた物がケルベロスに変じたような《3の頭》など機械仕掛けの作品を中心とした、宇留野圭の個展。
《6の部屋》(3680mm×2750mm×3610mm)は、輸送用パレットからラチス構造の腕が伸び、その先に木製の箱「部屋(Room)」が取り付けられ、さらにその「部屋」から、あるいは別のパレットから、ラチス構造の腕によって支えられた別の「部屋」が取り付けられた立体作品。電球が吊された赤い壁の「Room 1」には椅子(ないし卓)の下に木片が刺さった亀の甲羅がひっくり返り、床下には石や陶片や骨などが転がる。平たい「Room 2」は天井(?)の曇りガラスからぼやっとした光が射し込む。黄緑のタイルの壁に手摺が取り付けられた狭小の「Room 3」は窓に壊れたブラインドが下ろされ、床に排水溝がある浴室のような空間。灰色の壁の暗い「Room 4」では木の板切れを繋いだものががぎこちない動きで壁や床にぶつかる動作が繰り返され、雑多な物をかき混ぜる。「Room 5」は曇りガラスの嵌まった窓と全面窓の壁とが向かい合う木製の箱。天井に丸形蛍光灯が取り付けられた白い壁に白い寝台(?)のある病室のような「Room 6」では白い立方体が寝台すれすれを回転している。寝台の下にはタオルが落ちている。「Room 1」の赤い空間は電球の占める割合が異様に大きく、ひっくり返った亀の甲羅に加え床下の骨や残骸が不穏な雰囲気を醸す。「Room 3」の幅の狭いタイル張りの空間は強制収容所の施設のような息苦しいイメージを呼び起こす。「Room 4」で壁や床に繰り返し叩き付けられる木の板はストレスに基づく常道行動を想起させる。「Room 6」の白く明るい空間で回転を続ける白い立方体は過剰な衛生管理を思わせる。「Room 2」や「Room 5」の居住空間としてのイメージを生みつつ、そこに人がいないことが強調される。「部屋」は個室(cell)であり個人を象徴しよう。個人はそれぞれの世界に引き籠もっている。携帯電話(cell)のような情報端末と同化し、世界を掌の上で眺めているようで、実はデータ(番号、数字)として管理されている、哀れな独房(cell)の住人に過ぎない。個々の「部屋」はお互いに遮断されつつも、繋がり合い、影響を与え合う。運命をともにする社会のメタファーでもある。《6の部屋》の姿は八岐大蛇に近しいが、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)の著書『リヴァイアサンLeviathan)』(1651)の表紙において、アブラハム・ボス(Abraham Bosse)が無数の身体の集合体として表わした怪物的支配者像に通底するものがある。いずれにしても怪物であり、一番恐ろしいのは人間である。
《2の空間》(1930mm×950mm×415mm)や《4の空間》(1650mm×1200mm×375mm)は、画面に設置したPC用冷却装置のファンの背後にダクトを取り付け、画面の別の部分へと排気させることで、ダクトを共鳴箱として機能させ、音を発生させた作品である。
《2の空間》は2対のファンと排気口をセットした2枚の青灰色の画面を縦に並べ、《4の空間》は1対のファンと排気口をセットした灰色の画面を縦横2枚(計4枚)に並べてある。SNSは開かれた空間であるにも拘わらず、自分の価値観に近い情報ばかりに囲まれてしまう「エコーチェンバー」を想起させずにいない。
《3の頭》(1440mm×900mm×720mm)は、オフィスのデスクを連想させるグレーの台にアーム式のデスクライトが設置され、台上にスマートフォンを連想させる灰色の板がいくつも積み重ねられ、その上で動物の頭骨にスマートフォンを下顎のように組み合わせた獣3頭が口を開けながら左右に首を振る動作を繰り返す作品である。3つの頭を持つ獣と言えば、冥府の入り口を守護する番犬ケルベロスである。本作における「ケルベロス」が「守護」するのはスマートフォンの集積する現代社会である。
ところでギリシャ神話のエコー(Ἠχώ/Echo)はヘラ(Ἥρα/Hera)によって他者の発した最後の言葉だけを繰り返すことしかできなくなってしまった。SNSで誰かの言葉尻を捉えて拡散する人はエコーに等しい。そこでは実際に声は発せられることはなく、液晶を透過する光の明滅である。人々はケルベロスとなって只管光の明滅=沈黙(silence)の言葉を木霊(echo)させるのだ。