展覧会『寺本明志個展「単位のレシピ」』を鑑賞しての備忘録
KATSUYA SUSUKI GALLERYにて、2024年8月1日~12日。
Patioを冠した絵画で構成される、寺本明志の個展。
《Patio 秤のある風景》(1303mm×970mm)には黄色い卓の上の長い支柱付きの器が並ぶ様が描かれている。1つのプレートとステムに1つのボウルのものだけでなく、ステムが枝分かれして2つ、3つのボウルが付いたものもある。ボウルの中には葡萄、枝、鳩などが覗くものもあれば、何が入っていないか見えないものもある。左端の1つはプレートごと倒れ卓から落ちそうだ。卓の手前には別の台があるらしく、紫の台上に上皿天秤が置かれている。一方の皿には4粒の葡萄の実、他方の皿には栗鼠が載っていて今にも飛び出さんばかり(因みに葡萄に栗鼠は「武道に律す」にも通じる、子孫繁栄の吉祥文様である)。上皿天秤の脇にはメスシリンダーなども見える。誰の姿もないが紫の台から黄色い卓上に向けて腕のような影が3つ伸びる。卓の脇には観葉植物もある。卓の奥には右手に酒瓶、左手にスパナを手にした男が足早に通り過ぎていく。彼の背後には刈り込まれた低木の植栽があり、その奥には並木が風を受け右に傾いでいる。上皿天秤、メスシリンダー、種々のボウルが計量するだけではない。等間隔の並木も目盛りなのだ。男もまた歩幅で計測するのかもしれない。卓は室内と室外の境に位置する。内でも外でもあるという点で中庭(patio)的だ。卓(table)は表(table)であり絵画(tableau)でもある。何を俎上に載せようと絵画は自由だ。秤やメスシリンダーのように対象に制約が無い。作者は好きな物を取り上げ、1つの画面に表せてしまうのである。絵を描くことは新たなまとまり/単位(unité)を作ることに他ならない。
《Patio 昼下がりの机上》(530mm×727mm)は左右を3対2に分割し、左側に卓上の景観が、右側に室内の壁や家具越しに屋外を望む場面がそれぞれ描かれる。オレンジに笹のような緑を鏤めた卓上には、黄色い花を活けたガラスの花瓶、1房の葡萄を載せた丸い皿、焼き魚を盛った皿と、プレイスマットのようなものが置かれている。花瓶がほぼ真横から捉えるのに対し、葡萄の丸皿は真上からの視点である。焼き魚は斜め上から描かれている。複数の視線の卓(table)上での混在は、絵画(tableau)によるまとまり/単位(unité)である。画面右側では男がメジャーで柱を測っている。引き伸ばされた長い胴が印象的だ。彼の背後は屋外だが、棚と椅子(あるいは卓)があり、そのまま奥の並木へと連なる。麦畑のような黄色い地面に並木の緑の影が長く延びる。昼下がりにしては長すぎる影は、形而上絵画的である。家具が室外にあることで内外を反転させるとともに、室内の卓上の魚の尾が屋外に食み出すことで内外を跨ぎ越す。
《Patio 電球をつける人》(652mm×530mm)では屋内に茂みがあり、木洩れ日の光が点じる闇の中に犬が潜む。屋内と屋外、昼と夜との反転がある。天井から下がる電球を取り替えようと右腕を伸ばす男の左腕が茂みの闇に伸ばされることで、屋内と屋外、昼と夜とを越境する。
《Patio 火を灯す人》(652mm×530mm)は壁に燭台が並ぶ暗い室内で、ランタンの蝋燭の灯が卓上の絵画や枇杷の実を照らし出す。男は火を点けた燐寸を手に燭台に火を点けようとしている。男の周囲には燭台の蝋燭から煙がジグザグに棚引いている。壁の上側には星が輝く夜空が覗き、そこから吹き込んだ風で蝋燭が消えてしまったらしい。卓上のランタンに照らし出された壁には○、×、=などの記号が意味ありげに浮かび上がるが、その意味は読み取れない(近くで猫が腕を伸ばすのは、「猫に小判」ということか)。
《Patio ポケットのある風景(早朝)》(273mm×220mm)には赤いポロシャツの人物を身に付けた男の上半身が表わされる。ポロシャツの胸・腹・袖・裾にはパイナップルのような、あるいは手榴弾のような形のポケットが計10個も付いていて、それぞれには何かが入っている(左袖のポケットには干し柿?)。胸のポケットには青と赤の紐が垂らされ、裾のポケットにはオレンジと青の旗の付いた紐が掛かっている。男は屋根の下にいて、背後の薄暗い空には雷紋のような奇妙な雲が覗く。
「煙」は一種のすやり霞であり、燭台やポケットは複数の時空を象徴するのかもしれない。画題では時間帯を指定しながら、
《Patio 小川のある風景》(1455mm×1120mm)は右側に山吹色の外壁の建物があり、黄色いカーテンを閉ざした窓の外のテラスには緑の卓が置かれ、赤ワインを満たしたワイングラス、ボトル、鳥のオブジェと青い鞄を吊した天秤のようなものが並ぶ。男がテラスのフェンス越しにすぐ下を流れる小川を眺めている。茂みを縫って流れる小川の先には空が見え、ジグザグの雲がかかる中、大きな鳥が渡る。画面左下の隅には赤い小さな荷物を棒の先に吊り下げた男が小川を離れようとしている。フェンスに肘を付く人物、雲、鳥、小川、旅人と越境のイメージが重ねられている。
ところで単位(unité)とは、量を数値で表わすための基準となる数量である。数量化することで計測や比較が可能になる。中庭(patio)は家が囲い込む空間であり、画家が卓/表(table)=絵画(tableau)に表わす世界のメタファーである。これこそが絵画だと囲い込んでも、常にその基準(unité)ないし目盛りは擦り抜けられていってしまう。作家は「単位のレシピ」を掲げるが、絵画「patio」シリーズで訴えられるのは、新たな基準の設定ではなく、むしろ絵画が比較不能であることだ。