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芸術鑑賞の備忘録

映画『墓泥棒と失われた女神』

映画『墓泥棒と失われた女神』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のイタリア・フランス・スイス合作映画。
131分。
監督・脚本は、アリーチェ・ロルバケル(Alice Rohrwacher)。
撮影は、エレーヌ・ルバール(Hélène Louvart)。
美術は、エミータ・フリガート(Emita Frigato)。
衣装は、ロレダーナ・ブシェーミ(Loredana Buscemi)。
編集は、ネリー・ケティエ(Nelly Quettier)。
原題は、"La chimera"。

 

鉄道のコンパートメントで眠りに落ちたアルトゥ(Josh O'Connor)がベニアミーナ(Yile Yara Vianello)を夢に見る。強い陽差しを受けた顔。背を向けると太陽のタトゥーが見えた。アルトゥが手で触れる。太陽が近付いている。気付いてた?
検札に来た車掌(Alessandro Genovesi)がアルトゥを起こす。夢を見てましたね。残念ながら結末は決して分かりませんよ。乗車券を見せて下さい。アルトゥが麻のジャケットのポケットから紙片を取り出す。銜え煙草の車掌が確認して返却する。車掌はコンパートメントを出て行った。アルトゥは向かいに坐る女性客たち(Sofia Stangherlin、Maria Alexandra Lungu)からどこから来たのか尋ねられる。遠くから? まあ。どこから? どうでもいいだろ。君らは地元の人? ええ。分かるの? ああ。野暮ったいからよ。アルトゥが隣の女性(Marianna Pantani)に話しかける。絵で見たことがある、古代の絵画で、君みたいな横顔の。鼻が大きいの? いや、実際、とても美しいんだ。そのとき行商人(Cristiano Piazzati)がコンパートメントに入ってきた。ひどい臭いだ。ハンサムな紳士に体を洗うよう言わないと。いつから靴下を穿きっぱなしにしてるんです? 新しい靴下が必要ですね。臭いますから。香水もありますよ。皆さん、我慢してるんですか? アルトゥが煙草を咥えてコンパートメントを出る。臭いを隠すために煙草を吸うんだな。刑務所だってこんな臭いはしない。アルトゥが行商人を突き飛ばす。落ち着けよ。気を付けろ、この男は危険だ。アルトゥがコンパートメントに戻ると女性客が出て行く。プレゼントをやろう。行商人が青い靴下をアルトゥに投げる。ここに犯罪者がいるぞ! 行商人が売り声をあげて車内を行く。アルトゥが通路に出ると、車両中の乗客たちが皆アーサーを見ていた。乗客たちはすぐに自分たちのコンパートメントに引っ込む。尻尾を振っていた仔犬もコンパートメントに入った。
美術館。子供たちがカチカチムービーカメラを覗いて古い絵画を見ている。ピッロ(Vincenzo Nemolato)が見せてくれるように少年に頼む。
列車が駅に到着する。ピッロがアルトゥを探す。アルトゥはピッロに気付くが、他の乗客に紛れて足早に駅を後にする。アルトゥ! ピッロがアルトゥを見つけ、後を追う。
歩くアルトゥを青い自動車に乗ったピッロが追う。何してんだ? スパルタコ(Alba Rohrwacher)がお前さんが来るって言うから。釈放のために弁護士費用を工面したのはスパルタコだ。耳揃えて返すよ。その必要はない。ただ会って話せばいい。会いに行くか? 失せろ。待ってくれ。あの日の晩のことは悪かった。正直、置いてけぼりにしたなんて気付かなかったんだ。涎を無駄にするな。涎を無駄にする? ピッロは歩くアルトゥの横を車で付いていく。家だ。遂にアルトゥが車に乗り込む。
農道を抜け、丘の上にある町の城壁の手前でアルトゥが降りようとするが、ピッロは構わず町の中へと車を走らせる。家に直行だと言ったろ。誰にも会いたくない。ちょとだけだよ。仲間と乾杯しようぜ。町の広場に車を停めると、ファビアーナ(Ramona Fiorini)、ジェリー(Giuliano Mantovani)、マリオ(Gian Piero Capretto)、メルキオーレ(Melchiorre Pala)ら仲間たちがやって来た。アルトゥを家に送るよ。一旦落ち着いてから戻って来る。乾杯しないの? それなら一緒に行くよ。皆が小さな車に乗り込む。アルトゥが車を降りると皆を置いて1人歩いて行く。
斜面を登り、城壁の外に立つバラックにアルトゥが向かう。布の屋根に溜まった水を落とし、隠して置いた鍵でドアを開ける。煙草を吸おうとするが火が着かない。ガスコンロの火で煙草に火を点ける。表に出ると、他のバラックの住人がアルトゥを見ていた。アルトゥが見やると、顔を背けた。家の前に咲いていた黄色い花を手折ると、アルトゥは歩いて古い屋敷へ向かった。
アルトゥが屋敷に入ると、物音がした。イターリア(Carol Duarte)が薪にするために古い椅子を解体していた。彼女はアルトゥに気付いて驚く。アルトゥ? フローラさんは? 分かるわ、先生が話しているのはあなたのことだけだもの。会えるかな? ええ。今すぐ? もちろん。彼女はフローラ(Isabella Rossellini)のもとへアルトゥを案内する。車椅子のフローラがオルガンに突っ伏していた。奥様、煙草を吸いました? 止めないと声が駄目になってしまいますよ。彼が来ました。とうとう! 私の親愛なる、唯一の友。ひどい有様でしょ。片方の脚は動くのよ。でももう片方が駄目で、車椅子なの。快適よ。車椅子は素晴らしい発明品だわ。彼は戻ってくると言ったでしょ。ベニアミーナの交際相手。珈琲を淹れて来るようイターリアに頼むと、フローラは英語も交えてアルトゥに語りかける。娘は見つかった? いいえ、まだ。希望を失わないように。きっと見つかるわ、続けて。でも、俺の住む世界には彼女は…。あなたは何でも見つけるでしょ。確かに。イターリアが珈琲を持ってくる。早かったわね。冷めてるじゃない。淹れたてでないと。大丈夫ですよ、ありがとう。優しいわね。何か食べた? 娘や孫娘たちにあなたがここにいると伝えなきゃね。あなたは何でボーっと突っ立ってるの? 何をすれば? 練習よ。薪を持って来なさい。体を動かすことが役に立つわ。頭じゃなくて体で歌うのよ。イターリアが去るとフローラがアルトゥに言う。彼女は詮索好きなのね。私たちの会話を聞きたがってるのよ。彼女は歌いたがってるんだけど、音痴なの。音程が狂うのよ、可哀想に。
イターリアが薪を用意しながら発声練習をする。アルトゥはベニアミーナの写真に自宅前で摘んだ花を手向けた。行商にもらった青い靴下はフローラにプレゼントして早速履いてもらう。夏物の麻のジャケットのアルトゥが咳き込む。

 

1980年代。イタリア中部トスカーナ地方のリパルベッラ。イギリス出身のアルトゥには古代の墳墓を突き止めるダウジングの能力があり、ピッロ(Vincenzo Nemolato)、ファビアーナ(Ramona Fiorini)、ジェリー(Giuliano Mantovani)、マリオ(Gian Piero Capretto)、メルキオーレ(Melchiorre Pala)らの盗掘団から「先生」と呼ばれ重宝されていた。あるとき逃げ遅れたアルトゥが捕まってしまい、服役することになった。動物病院を隠れ蓑に盗掘品を買い取るスパルタコ(Alba Rohrwacher)が弁護士費用を用立ててくれたお蔭でアルトゥは年明け早々に出所した。アルトゥは出所祝いを謝絶し、愛するベニアミーナ(Yile Yara Vianello)に花を手向けるため、すぐさま彼女の母フローラ(Isabella Rossellini)の古い屋敷を訪ねる。歌の生徒として住み込みで働くイターリア(Carol Duarte)に案内され再会したフローラから娘は必ず見つかると励まされた。ネラ(Barbara Chiesa)らフローラの娘たちから真っ当な仕事を紹介されるがアルトゥは気乗りがしない。盗掘団の面々と公現祭を祝うと、アルトゥはスパルタコに借りを返すため早速盗掘を再開する。イターリアはアルトゥが盗掘に関わっていることを知ると、止めるよう促す。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

盗掘団が暗躍する舞台はかつてのエトルリアの地域であり、その歴史は紀元前にまで遡る。字幕ではイギリス人であることを示すため主人公Arthurは「アーサー」と英語発音で表記された(イタリア語ではアルトゥ(Artù))が、その名は中世のアーサー王伝説を彷彿とさせる。
車窓を流れる風景はフィルムによる映画を連想させる。アルトゥ(Josh O'Connor)は列車の窓際の席で眠りに落ち、愛する亡きベニアミーナを夢に見る。眩しい太陽の下にいるベニアミーナ。背中には太陽のタトゥーがある。白い麻のスーツを着るアルトゥは、冬という現実ではなく、太陽と結びついたベニアミーナの夏という幻想を生きている。
アルトゥがダウジングをして古代の墓所を探すのは、地下という別世界に対する憧れからである(逆に現実世界への幻滅は、例えば、工場が建ち並び、汚染されてしまった海に象徴されよう)。ベニアミーナのいなくなった世界とは太陽が消えた世界であり、地下に太陽を求めて地下に向かうのである。原題は幻想や妄想を指す"La chimera"だが、アルトゥが地下坑でライターに火を点けるのは、ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico)《イーゼルの上の太陽(Il sole sul cavalletto)》のように、失われた太陽を復活させる試みなのである。
ベニアミーナの着衣から赤い糸が解れて草にひっかかっている。ベニアミーナが外そうとすると、赤い糸の先は地中に埋まっていて外せない。ベニアミーナが死に絡め取られた状況を象徴する。
フローラは古い屋敷にイターリアを歌の生徒兼家事使用人として暮らす。車椅子が必要になり、娘たちが施設に移るよう提案するも受け容れない。フローラの中ではベニアミーナは生きている。フローラは過去の世界に生きている。
鉄道(の車窓)が映画であり過去を再現するメディアであるように、廃駅は過去への繋がりである。鐵路を復元する想像力で過去と接続する。糸と鐵路とはともに元いた場所へと戻るためのアリアドネの糸である。
海岸の墳墓で発見された女神像は盗掘団によって頭部が切断されてしまう。搬出のための処置であったが、アルトゥは激昂する。女神像の切断行為は、資本主義の論理により過去とが現在とが切り離されてしまうことのメタファーであろう。盗掘団から出土遺物を買い上げるのがスパルタコ(ラテン語ではSpartacus)という剣闘士の名前に因むのも、そのために違いない。
現実世界の切断の力に抗って、見えない過去との繋がりを紡ぐのが、アルトゥであり、映画である。

(以下では、結末についても言及する。)

アルトゥは地下坑で赤い糸が天井から垂れているのに気が付く。引っ張ると、頭上から光が漏れる。地下世界で「太陽」に出遭うのだ。果たしてアルトゥはベニアミーナとの再会を果すであろう。