展覧会『海の人類史 パイオニアたちの100万年』を鑑賞しての備忘録
インターメディアテク〔GREY CUBE〕にて、2024年7月5日~10月6日。
東南アジアと日本列島の考古学的知見により人類の海洋進出について概観する第1部「太古の挑戦」は、第1章「人類最古の渡海 海を渡った謎の原人(100万年前頃)」、第2章「本格的海洋進出のはじまり 『最初の日本列島人』の挑戦(4万年~3万年前)」、第3章「さらに遠くへ 縄文人の挑戦(1万6千年~3千年前)」、第4章「次なる時代へ 縄文海洋進出の終焉(3千~2千年前)」の4章で、現在の海運業の動向を紹介する第2部「現代のチャレンジ」は第5章「新しい船をつくる―風の復権」、第6章「海上の安全と海洋環境を守る―個から組織へ」、第7章「新しい船を設計する―技術革新の最前線」の3章で、それぞれ構成される。
第1部「太古の挑戦」
【第1章:人類最古の渡海 海を渡った謎の原人(100万年前頃)】
700万年前にアフリカの森で誕生した人類は当初海との関わりが無かった。大洋の島々に進出したのはホモ・サピエンスの時代まで下ると考えられていた。
インドネシアの島々はウォレス線を境にした東部(「ウォレシア(Wallacea)」)と西部とで地史が異なり、ウォレシアでは水深が深いために島々は孤立していた。フローレス(Flores)島も30~20kmの海を渡らなくては到達できない孤島であった。そのフローレス島のリャン・ブア(Liang Bua)洞窟の6万年前の地層から第3臼歯(親知らず)の生えている(すなわち大人の)骨が発見された。身長は105cm程度で、脳の大きさはグレープフルーツ大であった。ホモ・サピエンス以前の人類が海を越えて島へ渡り、小さな島で矮小化したものと考えられている。
今年(2024年)、インターメディアテクを運営する東京大学総合研究博物館の海部陽介教授らの研究チームが、同じフローレス島のソア盆地にある70万年前の地層から人類化石の中でも最小の大人の上腕骨(の部分)を発見したと発表。ジャワ原人と類似するフローレス原人が100万年前頃にフローレス島に渡って30万年以内に矮小化し、その後60万年以上にわたってその小柄な体格を維持していたという仮説が提示されている。
沖縄県・港川遺跡で発見された旧石器人は、原人と異なり、頭蓋骨が丸く高く、眼窩上の骨の隆起が無く、顔面の突出が弱い。身長は155cm程度。「港川人」とフローレス原人との比較が行われている。
【第2章:本格的海洋進出のはじまり 『最初の日本列島人』の挑戦(4万年~3万年前)】
30~10万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは過去5万年間に世界中へ拡散した。アジア東部地方では人類史上最初の本格的海洋進出が行われた。インドネシアの海を越え、オーストラリア大陸へ渡ったのが4万7千年前。3万8千年前頃、ホモ・サピエンスの一派が日本列島へ渡った。氷期の海面低下でも大陸とは繋がっていなかったため、旧石器人は対馬ルートか沖縄ルートで海を渡る必要があった。
旧石器人は3万5千~3万年前に琉球列島へ進出した。秒速1~2mの黒潮を越える必要があった。刃部磨製石斧により丸木舟の製造が可能であったと考えられ、2019年に行われた台湾から与那国島への渡海実験では、最終的に丸木舟が選択された。そのプロジェクトの模様が映像で紹介されている。
黒曜石はマグマ活動に伴い地下で形成される天然のガラスで、化学成分はマグマの組成を反映するため産地を特定できる。黒曜石は本州島でも採取可能にも拘わらず、伊豆諸島の神津島産の黒曜石が3万7千年前以降の本州島の遺跡から出土している。
居場所の予測に当たり外れのある陸上動物の狩りは不安定である。それに対し、海・川・湖で行われる漁は外れが無い。漁具の開発は生活の安定化に寄与した。後期旧石器から縄文時代にかけての3万年以上の人の生活痕跡が重層的に残る沖縄県のサキタリ洞遺跡では、モズクガニの爪が大量に出土している。また、ギンタカハマを用いた釣り針が発見されており、オオウナギを釣り上げることも可能だという。
【第3章:さらに遠くへ 縄文人の挑戦(1万6千年~3千年前)】
波怒棄館遺跡(宮城県気仙沼市)では縄文時代のマグロの骨が発見されており、中には体長2.5mのクロマグロも含まれる。
縄文時代中期末には漁具の多様化・高度化が進展し、今日の漁具と遜色ない。獺沢貝塚(岩手県陸前高田市)や大洞貝塚(岩手県大船渡市)の回転式離頭銛(燕形銛頭)など。
伊豆大島龍ノ口遺跡では縄文中期後半の加曽利式土器が出土している。
千葉県船橋市の古作貝塚では32点のブレスレット(貝輪)が入った蓋付き土器が出土している。貝輪の素材であるベンケイガイ、サトウガイ、オオツタノハのうち、オオツタノハは三宅島以南に生息。
御蔵島村から黒潮を挟んで南方80kmの八丈島。5500年前の倉輪遺跡からは、東北系の大木6式土器、北陸系の鍋屋町式土器、中部系の狢沢式土器、関東系の五領ヶ台式土器、関西系の大歳山式土器が出土している。
【第4章 次なる時代へ 縄文海洋進出の終焉(3千~2千年前)】
保美貝塚(愛知県田原市)出土の人骨は列島市場最も太い上腕骨を持つ。江戸期の男性の上腕骨との対照により、その太さが強調されている。日常的に丸木舟を漕いでいた。
それは、人力に頼る海上活動が限界を迎えたことをも示す。板を繋ぎ、あるいは帆船を用いる造船技術や
第2部「現代のチャレンジ」
現在の船舶に用いられているテクノロジーが興味深い。
衝突リスクの回避や保安目的で船舶に搭載が義務づけられているAISによって船舶の位置がリアルタイムに把握出来る。運行管理、物流予測、船舶の性能分析などにも応用されている。
有限要素法(Finite element method)による構造強度分析により、薄い鋼板の組み合わせによる船の設計が可能になっている。
デジタルツインにより得られたデータを船舶の運航とメンテナンス双方の最適化に向けて活用。
数値流体力学(Computational Fluid Dynamics)技術による大型船のバルバス・バウ(Bulbous Bow)(造波抵抗を打ち消すために喫水線下の船首に設けられた球状の突起)の設計。
商船三井グループの「Wind Hunter」プロジェクト。強風時に硬帆で風を受けて船を推進する際、水中タービンで発電し、水素を生産。水素はMCHとしてタンクに貯蔵され、微風時には貯蔵された水素を使って燃料電池で発電し、電動プロペラで推進する。風力で水素を作り、貯め、運ぶ。