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芸術鑑賞の備忘録

映画『夏の終わりに願うこと』

映画『夏の終わりに願うこと』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のメキシコ・デンマーク・フランス合作映画。
95分。
監督・脚本は、リラ・アビルス(Lila Avilés)。
撮影は、ディエゴ・テノリオ(Diego Tenorio)。
美術は、ノエミ・ゴンサレス(Nohemí González)。
衣装は、ノラ・ソリス(Nora Solis)とヒメナ・フェルナンデス(Jimena Fernández)。
編集は、オマル・グスマン(Omar Guzmán)。
音楽は、トマス・ベッカ(Thomas Becka)。
原題は、"Tótem"。

 

公衆トイレ。ソル(Naíma Sentíes)が鮮やかなウィッグを手に便座に腰掛けたまま、母親のルシア(Iazúa Larios)とともにハミングしている。この瞬間、彼女は天に向けて歌うの。物語を覚えてる? うん。彼女は彼のためにおかしくなっちゃうの。彼が殺されるとき?何か悪いことが起きたら? これが合うか見てみようね。ルシアがウィッグをソルの頭に被せる。これでいい? まあ、いいかな。終わったの? まだ。もう限界。ルシアは洗面台で用を足す。ソル、早くして。ソルは笑っている。紙を取って。我慢できなかった。ドアが激しく叩かれて二人が驚く。ここは公衆トイレだよ。出て! すぐ出ます! 急いで。出ないならそのままで。家に着いてからすればいいから。拭いて、終わらせて。
ルシアの運転する車。後部座席には色取り取りの風船とともにソルが坐る。橋! 橋! ソルが興奮して叫ぶ。橋を潜ろう、ライダーみたいに。息を止めて。息を止めてる間に願い事しなくちゃだめだよ。願い事ある? ある。私の願い事は秘密ね。二人が息を止める。もう無理。願い事は叶うよ。何をお願いしたか教えようか? 教えて。パパが死なないようにお願いしたの。
ソルの祖父ロベルト(Alberto Amador)が起きてベッドに坐り靴下を穿く。洗面台で鏡に向かい、頚に水を付ける。庭で盆栽の手入れをする。大きな鳥がロベルトの上を通過する。
壁を蟻が行ったり来たりする。
アレハンドラ(Marisol Gasé)が煙草を吸いながら手鏡を手にヘアカラーを塗っている。受話器を取り、電話する。伯母さん、元気? …準備は万端よ。…セペダ夫妻(Ricardo García, Violeta Santiago)から返事が無いんだけど。連絡してもらえない? 玄関のベルが鳴る。…何でも好きなものを。…トナ(Mateo García Elizondo)へのプレゼントは笑えるものがいいわね。…オブレゴンは来るの? …それは良かった。仕事が早く終わるか分からなかったから。アレハンドラはヌリ(Montserrat Marañón)に玄関の対応を求める。
無理よ、手が離せない! ヌリは娘のエステル(Saori Gurza)の耳の穴に漏斗状にした新聞紙を差し入れ、火を点ける。ちょっと熱くなるからね。昔、プールに行って耳が痛くなったとき、お祖母ちゃんがこうやって痛みを取ってくれたの。本当? どう? いいよ。熱くなった? うん。
クルス(Teresa Sánchez)が玄関に出る。ルシアがソルに七色のウィッグを被せ、赤い鼻を付けていた。まあ、神様からの贈り物みたいね! クルスさん! ようこそルシア。鼻をなおすから。息が出来ないよ。ちょっとの間だけ。パパに見てもらおう。パパは喜ぶわよね、クルス? 驚かせないとね。クルス以外の誰にも言わないでよ。
台所でヌリがケーキを作り始めた。卵6個に砂糖2カップ。ここに置くね。ヌリにべったりのエステルは手伝う気満々。そこへクルスに連れられてソルが入って来た。表にいたプレゼントを見て頂戴。ソルちゃん、凄いウィッグ、気に入ったわ。ありがとう。パパにケーキを持ってきたの。ありがとうね。ウィッグは本当にいいわね。風船は? パーティーのために持って来たの。ヌリがソルの七色のウィッグに感心しているのが気に入らないエステルは醜いだのピエロは嫌いだのと言い、仕舞いには卵を投げつける。エステル、失礼にも程があるよ。ちっとも面白くない。酷いわ。従姉に謝りなさい。ヌリがエステルを叱る。かつらとはなをはずせばいいよ。放っておいて。とても可愛いわ、虹のウィッグ。クルスがソルを慰める。虹の根元には何があると思う? 黄金よ。あなたは黄金なの。ヌリアがケーキを作るので急がしいと弁解する。ごめんね。エステルが謝ると、ヌリアが娘を褒め、ソルの付け鼻を褒める。パパに会いに行ってもいい? ソルがヌリに尋ねる。今は駄目。お父さんは休む必要があるから。私に会いたくないって言ってた? とんでもない。パーティーに備えて休む必要があるだけ。ちょっとお願いね、とクルスがソルをヌリアに任せてトナの寝室に向かう。ソルはヌリのケーキ作りを手伝う。
薄暗いトナの寝室。加湿器が作動している。点滴をしたままトナはベッドから起き上がるのをクルスに介助してもらう。トナは力なく、歩くのも一苦労。浴室に向かうまでに一休みしなければならなかった。

 

ソル(Naíma Sentíes)が母ルシア(Iazúa Larios)に祖父ロベルト(Alberto Amador)の家へ連れて行かれる。末期癌で実家療養中の父トナ(Mateo García Elizondo)の誕生日パーティーが行われるのだ。ソルと演し物の打ち合わせをしたルシアはソルを置いて劇場に仕事に向かった。ソルはトナの世話をする家政婦のクルス(Teresa Sánchez)に出迎えられるが、体力温存を理由にソルは父に会わせてもらえない。電気喉頭を用いるロベルトは精神科医として患者を診察する以外、盆栽の手入れなどしていて近寄りがたい。亡き祖母に代わり実家を切り盛りするアレハンドラ(Marisol Gasé)はパーティー準備に忙しい。トナの治療費で家計は逼迫しクルスの給料も未払いの中、霊媒師ルディカ(Marisela Villarruel)に家の邪気を祓って貰う。幼い娘エステル(Saori Gurza)に付き纏われる伯母ヌリ(Montserrat Marañón)は酒が手放せない。ソルは庭でカタツムリを捕まえたり、物置を探索したり、祖父のスマートフォンに父の死や世界の終わりについて尋ねたりして一人パーティー開催と母を待つ。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

7歳のソルは実家療養中の父トナに会うことができない。かつて美男コンテストに出場したこともあるトナは末期癌で余命幾ばくも無くほぼ寝たきりだが、醜態を晒したくない。それがアーティストであるトナの美学だ。残された力を振り絞り、ソルの好きな動物の絵を部屋の壁に残す。
ソルは父に会えない上、母ルシアは仕事で忙しく、孤独な生活を送っている。父の誕生日パーティーで祖父の家を訪問すると、飾られていた父の描いた絵がなくなっていた。庭でカタツムリを捕まえると、他人の描いた絵に這わせる。父の場所を奪ったものに対するささやかな復讐だ。物置を探検して酒瓶を見つけると、伯母ヌリを真似て口にする。憂さを晴らすのに酒は役立つかと言えば、苦い経験にしかならない。祖父ロベルトのスマートフォンを取り出して父の死や世界の終わりについてヴァーチャルアシスタントに質問する。父のいない世界の迫ることを直観するソルは、その後に自分の生きる世界があるのか思索するのである。
死期の迫るトナのための誕生日パーティー当日であっても、ロベルト、アレハンドラ、ヌリたちはそれぞれの生き方を貫く。自分のやり方でしか生きられない。お互いにお互いの流儀に腹を立てる。避けがたい家族、肉親の厄介なところがあからさまに描かれる。もっとも、それは、迫り来る息子ないし弟の死に対する防衛機制なのかもしれない。今まで通りを貫くことで無意識に変化を避けているのだ。
とりわけ幼いエステルの自由な振る舞いが愛らしい。愛らしいが、剥き出しの感情は、ときに他者を傷つけることになる。それでもトナの迫り来る死に軋む家族・親族の世界で、エステルは庇護者たるヌリに必死にしがみつくのだ(買い物に出かけるヌリの足にしがみついて引き摺られる)。
トナの誕生日パーティーで出席者の挨拶で披瀝される、メソアメリカの時間概念。それは螺旋的な回転運動であり、同じ場所を巡るようでいて、その実、同じ場所には戻ることは決してない。それは膨張する宇宙における惑星の運行を正確に捉えている。

(以下では、結末についても言及する。)

トマは誕生日パーティーで身内や友人たちとお別れの挨拶をできたことに満足する。死期の迫るトマにはこれ以上望むことはない。
父の丸い誕生日ケーキには円状に並べられた蝋燭の明かりが点る。父は望みを尋ねられ、ないと答える。ソルは叶わない願いがあることを知る。そのとき、ソルは蝋燭の象徴する螺旋の階段を一段上がる。見通すことない闇をしっかり見据えて。その顔付きはもはや少女のものではなく、大人のものだ。

この作品を好む向きには、家族の面倒な関係を描く映画『たかが世界の終わり(Juste la fin du monde)』(2016)、少女が新たな一歩を踏み出す映画『コット、はじまりの夏(An Cailín Ciúin)』(2022)をお薦めしたい。