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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 阿部峻個展『まなこをとじて(とじないで)』

展覧会『阿部峻「まなこをとじて(とじないで)」』を鑑賞しての備忘録
銀座スルガ台画廊にて、2024年9月2日~7日。

太陽の象徴として八咫烏を描いた「ヤタノカラス」シリーズなど、光を主題とした絵画で構成される、阿部峻の個展。

《マウンテン ライン》は藍色の空に浮ぶ満月に照らし出された黄色い山を表わした作品。大小2つの鋭角三角形で表わされた2つの山のうち、手前の大きい方には水色やピンクなどが混じることで樹木が表現され、奥の小さい山は月光で黄色く輝く山肌として描かれる。満月は煌々と強い光を発するのではなく、輪郭が暈かされ弱々しい。それは切り立つ山との対照を生み出すためである。月は鋭く厳つい山でさえ自らの光で染め上げてしまうのだ。柔よく剛を制すのだ。
《遠い月夜》は黄褐色と暗色の山(丘?)の上に姿を見せた満月を描く。雲が出ているかのような模糊とした夜空の表現である。月は実際には姿を見せていないのではないだろうか。《マウンテン ライン》にように山が光に照らし出されることなく、暗い影となって沈んでいるからである。たとえ曇り空であっても、雲の向こうには月が輝いているという確信。遠い月に思いを馳せる。古語の眺む。「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ住む」と法然が詠んでいる通りである。

《弓形》は、朱と黄を中心に緑が混ざる模糊とした画面の中央に白っぽい黄色の弧が縦に配された作品。空間を切り裂く光である。コンスタンティンブランクーシ(Constantin Brâncuşi)の《空間の鳥(L'Oiseau dans l'espace)》を介して光の弧は金烏≒八咫烏に通じる。

ソフトパステルと水彩を用いた《ヤタノカラス》は、朱の炎を背に、何かを啄もうと嘴を下に向ける3つ足の烏(三足烏)が藍色で描かれている。炎は太陽であり、烏は太陽に棲む金烏≒八咫烏である。
油絵具とテンペラによる「ヤタノカラス」シリーズでは、八咫烏が菱形で表わされる。上に嘴(頭)を向け、左右に拡げられた翼は画面の端で切れてしまう。下部には金烏≒八咫烏の特徴である三本の足が伸びる。八咫烏をカイト(凧)のように表現するのは天翔ることを、翼が画面から切れてしまうのは果てしなき拡がりを表現するためであろう。例えば《ヤタノカラス(the blue sun)》では青で、《ヤタノカラス(the white sun)》では白味の強い黄色でそれぞれ金烏≒八咫烏が描かれていることから、金烏≒八咫烏が太陽の象徴であることは明白である。
作家のドローイング集を繙くと、鳥に眼差しを向ける作家が、実は鳥に見られていると感じていることが分かる。モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)が『眼と精神(L’Œil et l'esprit)』などで言及する、画家アンドレ・マルシャンの述懐に一致する。

 森のなかで、わたしは幾度もわたしが森を見ているのではないと感じた。樹がわたしを見つめ、わたしに語りかけているように感じた日もある……。わたしは、といえば、わたしはそこにいた、耳を傾けながら……。画家は世界によって貫かれるべきなのであって、世界を貫こうなどと望むべきではないと思う……。わたしは内から浸され、すっぽり埋没されるのを待つのだ。おそらくわたしは、浮かび上がろうとして描くわけだろう。(鷲田清一現代思想冒険者たち Select メルロ=ポンティ 可逆性』講談社/2003/p.272より、滝浦静雄木田元訳『眼と精神』(1966)を孫引き)

描く対象に見詰め返される作家は、金烏≒八咫烏が太陽の象徴であるなら、「ヤタノカラス」シリーズで「お天道様が見てる」状況をこそ描いているとは言えないだろうか。

 今では記憶している者が、私の外には1人もあるまい。30年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く50ばかりの男が、子供を2人まで、鉞で斫り殺したことがあった。
 女房はとくに死んで、あとには13になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも1合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。2人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢に入れられた。(柳田国男遠野物語・山の人生』岩波書店岩波文庫〕/1976/p.93-94)

柳田国男が書き残したエピソードには確実に「お天道様が見てる」感覚が籠められている。真実は太陽がお見通しである。法然の月影の歌≒《遠い月夜》を介して、太陽≒八咫烏は実践理性としての第三者の審級となる。すなわち「まなこをとじて」も見えるものにこそ心を「とじないで」と、作家は訴えるのだ。