可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ナミビアの砂漠』

映画『ナミビアの砂漠』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
137分。
監督・脚本は、山中瑶子。
撮影は、米倉伸。
照明は、秋山恵二郎。
録音は、小畑智寛。
美術は、小林蘭。
装飾は、前田陽。
スタイリストは、髙山エリ。
ヘアメイクは、河本花葉。
リレコーディングミキサーは、野村みき。
編集は、長瀬万里。
音楽は、渡邊琢磨。

 

町田駅。カナ(河合優実)が歩行者デッキを歩きながらクリームを手に取りだし首に塗る。車道脇の柵に腰掛けて煙草を吸いながらスマートフォンを眺める。
カナが喫茶店に入る。アイスコーヒーを注文すると、待っていたイチカ(新谷ゆづみ)にヤッホーと声をかける。元気そうだね。分かる? どうしたの元気ないじゃん? 全然食べてないじゃん。イチカの前に置かれたパフェは一口手を付けていなかった。カナがスプーンを取るとクリームを掬ってイチカの口元に運ぶ。あげる。イチカはパフェをカナに押し出す。あのね、チアキ死んじゃった。チアキってどのチアキ? サノチアキ。アイスコーヒー、お待たせしました。カナがアイスコーヒーを啜る。紙ストローか。サノチアキって1年のとき縮毛矯正してた? 何で? 分かんない。遺書とか見つかってない。実家のドアノブで。あれ本当に死ねるんだ。ドアノブ難しいって聞くけど。実家暮らしだったんだ。お母さんも心当たりないって。本当に死ぬってなったら親とかに相談しないようにするでしょ。そんなもんかなあ。でね、死んじゃう前の日にヴィデオ電話かかってきて。卒業以来話したことないし。
イチカがサノチアキの話をしている近くでは、男性3人組がノーパンしゃぶしゃぶを話題にしている。ノーパンしゃぶしゃぶって何すか? ノーパンの女の人がしゃぶしゃぶを提供するんだよ。床が鏡張りでさ。何が楽しいんスか? 知らねーよ。しゃぶしゃぶ食うのって労力いりますよね…。
…最後の方、話すことなくなるでしょ。また連絡するって。社交辞令とか思ったのかな。イチカと話していたカナのスマートフォンが鳴る。ゴメンね。
カナとイチカが喫茶店を出る。バイバイ。帰りたくないと言うイチカをカナが抱き締める。大丈夫か? ちょっとどっか行く?
カナはイチカとともにホストクラブに行った。イチカは酒とホストの力で少し持ち直した様子。カナはイチカにちゃんと帰るよう言い置いて早々に店を出た。
カナがスマホを鏡代わりに化粧を直していると、スカウトから声を掛けられた。オネエさん、メッチャ可愛いね。ホスト帰り? 肌も綺麗だね。どっかに所属してる? 1万円あげるからライン交換して! カナがしつこいと無視して立ち去る。するとスカウトはバカマンコの癖にと捨て台詞を吐く。バカマンコで食ってんのどいつだっ! カナが怒鳴り返したところにハヤシ(金子大地)がやって来るのが見えた。カナが慌てて駆け寄ると、ハヤシがストレリチアの花束をプレゼントする。花っぽいって思って。カナが喜んでハヤシと連れ立つと、スカウトが追いかけてきた。お兄さん、この女ヤメた方がいっスよ、梅毒持ってるから。最低だな。キショ過ぎる。
夜の公園。原っぱで花束とワインボトルとを手にカナが立っている。まだあ? ハヤシが木陰で用を足しているがなかなか終わらない。ようやくハヤシが戻って来る。メッチャ出た。カナがワインボトルをハヤシに手渡す。
ホテル。カナとハヤシは赤い錠剤を口移ししながらキスを交わす。
タクシーの後部座席。お父さんとお母さん、まだ起きてるかな? カナがハヤシに尋ねる。何で? アルバム見たい。小さい頃の。また今度。沢山見せてあげるね。この辺で。ハヤシが運転手に声をかける。じゃあね。オヤスミ。1人になったカナ。慌てて窓を開けて身を乗り出し吐く。溶け残ったMDMAを口から取り出し、捨てる。
部屋の前でドアノブをガタガタ無理矢理引っ張る。騒音に気付きホンダ(寛一郎)が出て来る。鍵は? 忘れた。カナはすぐにトイレに直行する。ホンダはペットボトルの水を持ってきてやる。これ飲んで。アリガトウ。ホンダは便器に向かうカナのロールキャップを取ってやる。カナは水を飲むや否や吐く。ホンダは吐き気止めを持って来て飲ませる。ようやく落ち着いたカナの靴下を脱がせる。イチカちゃんは? お酒飲んだら元気になった。ホンダはカナを立たせる。いろんな臭いがするなあ。シャワー浴びて欲しいけど。バンザイして。ホンダがカナのTシャツを脱がせる。大丈夫か? カナはベッドに直行して倒れ込む。
朝。薄暗い部屋でカナが冷蔵庫を漁る。スライスハムを発見。床に坐ったままハムをパッケージからまとめて取り出すとそのまま囓る。パッケージをごみ箱に捨てる。ストレリチアが棚に飾ってあるのに気付く。
銜え煙草のカナが自転車で坂道を下る。

 

カナ(河合優実)はエステサロンに勤務する21歳。同棲相手のホンダ(寛一郎)は不動産会社勤務で多忙だが、がさつなカナのために料理を用意するなどあれこれ世話を焼いてくれる。そんなホンダに飽き足りないカナは親友のイチカ(新谷ゆづみ)に会うのを口実に、映像作家のハヤシ(金子大地)と関係を持っていた。札幌に出張したホンダが風俗に行ったと平謝りする姿を見て、カナはホンダに見切りを付ける。ハヤシもカナと2人で高みを目指すと決意し、同棲生活を始めることに。差し当たり、カナは自ら鼻にピアスを開けるとともに、ハヤシはカナのデザインしたカシューナッツっぽいイルカのタトゥーを左腕に彫ってもらった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

冒頭、町田駅ペデストリアンデッキをカナが歩いている場面をカメラは引きで捉える。カナが歩きながらクリームを出して、首筋に塗る当たりから次第にカナにクローズアップして追う。ガードフェンスに凭り掛かって煙草を吸いながらスマートフォンを眺める。そして、イチカに会いに喫茶店に向かって歩き出す。シックなツートーンのロールキャップ(?)を被り、白のロンTにベージュの短パンを合わせる。すっきりしたファッションだが、口を開け左右に体を揺らす歩き方の何ともだらしない感じ。カナのキャラクターの一端が明らかにされる。
カナは少しでも手持ち無沙汰になるとすぐに煙草に火を点ける。街を彷徨き、家の中ですら歩き廻る。エステサロンで脱毛の施術の際、カナは同じ動作のくり返しにも拘わらず1回1回「冷たくなりまーす」と口にする。その常同行動的振る舞いは、ハヤシに会いに行くとき街を軽やかに駆け抜ける動作と極めて対照的だ。
町田のすり鉢状の街に暮らすカナはエステサロンに向かうために自転車で降り、帰りは坂道を昇らなくてはならない。札幌出張から帰るホンダに飛び付くまでのやや長回しの昇りが印象的に描かれる。すり鉢のような世界をカナは上り下りするのだ。それに対し、父親(堀部圭亮)のニューヨーク駐在時に現地で生まれ、同級生の財務官僚・三重野(伊島空)との会話から進学校から東大に進んだことが分かるハヤシは、カナとは別の世界に生きる存在だ。ピアスの穴を開けタトゥーを入れる青山や、ハヤシの家族のコテージのある渓谷など、ハヤシはカナをすり鉢世界から連れ出してくれる存在でもある。ハヤシが映像編集に追われ家から出ないことは2人の関係悪化の一因となるだろう。
ナミビアの砂漠」は、カナが視聴する、ナミビアの沙漠の水呑場に集まる動物の動画に由来する。ホンダやハヤシはカナにとって沙漠の水呑場のような存在である。

(以下では、後半の内容についても言及する。)

カナの母親は中国出身だが祖母が日本人だったのが縁で日本の大学を卒業し、日本人男性と結婚したようだ。だがカナは、心理カウンセラーの葉山依(渋谷采郁)のカウンセリングで暗示される通り、幼い頃に父親から性的虐待を受けていた。そのためにおそらくは両親は離婚し、母親は中国に戻ったのだろう。カナはその問題を抑圧してしまっているがゆえに精神的な問題を抱え、同じ事を繰り返してしまうのである。ルームランナーを走りながらハヤシと喧嘩を繰り返したり、隣に暮らす遠山ひかり(唐田えりか)との「キャンプだホイ!」を歌いながら焚き火を廻る空想シーンはその象徴である。ひょっとしたらカナが鼻に開けるピアスは、無意識のうちに幼少期の痛みを再現してしまっているのかもしれない。
引っ越しの荷物に絵コンテとともにあったエコー写真を見て、カナはハヤシが過去に交際相手に堕胎させていたことに気付く。ハヤシは堕胎のことを忘れ(少なくとも忘れたフリをし)ていた。カナは、ハヤシがニートが赤ん坊を拾って桃と名付けて育てる脚本を書いていることを知り、それで「殺人」を犯した贖罪のつもりかと激昂する。
カナとハヤシが1つに融け合うことはない。それはハヤシがカナと溶けて自分を失うことを懼れているからだ。MDMAを口移しでやり取りしながらも溶け残ってしまうのがその予兆だ。ハヤシが気にする新居に湧いた虫以上に、2人の未来の幸先は良くなかったのだ。
ハヤシはロゴス(言葉、論理)の人である。それに対しカナはロゴスの人ではない。中国語が听不懂(聞いて分からない)であることがメタファーとなっているように、言葉に対する理解が浅く、あるいは言葉に懐疑的なのだ。象徴的なのが、2人がタイ料理店で交わす「プーパッポンカリー」を巡る会話だ。カニの見た目が駄目だと言うカナに、ハヤシは「プーパッポン」という音が可愛いと指摘する。カナが納得するには听不懂から看得懂(見て分かる)への転換が必要なのだ。葉山がカナのカウンセリングに箱庭療法を採用するのもそのためだろう。
カナを演じる河合優実の、いろいろな感情が交ざり、ときには思考が飛んでいる、複雑な心理を表わす表情が見物だ。鑑賞者はカナが一体何を考え、何を思っているのかと想像を巡らせることになる。アイスクリームを食べながら部屋を歩き廻り、突然閃きが降りてくる分かりやすい場面も面白いが。