展覧会『KAMIYAMA ART カドリエンナーレ2024』を鑑賞しての備忘録
上野の森美術館にて、2024年9月8日~15日。
2014年から美術系大学院生たち240名の支援を行ってきた一般財団法人神山財団が10周年を記念して開催する展覧会。カドリエンナーレ(quadriennale)と冠される通り、4年に1度の実施を見込む。初回は55名の作家の作品を展観。
【森千咲】「児玉靖枝賞」受賞
《雪迎え》(1940mm×1620mm)は暗緑色の草原で人物が右手を目の前に翳して遠くを見やる姿が描かれる。草は人物の腰の位置まであり、画面上端だけ暗い空が覗く。夜の帷が落ちかかっているようだ。人物の視線の向かう右方向には、草の長く伸びる葉の表現とは異なるジグザグの白線が見える。それは雪の降る前兆という、糸を垂らし浮遊する蜘蛛の姿だろうか。だが青々とした草からも小春日和といった趣ではない。《金網の向こう》(410mm×3180mm)は黒い画面に金網を表わす斜め格子を描き、その向こうに横向きの人物とサソリの姿を表わす。幽明相隔てる世界を幻視するようだ。サソリが星座なら、夏の宵空の南天となろう。《雪迎え》の人物が《金網の向こう》を眺めているのなら、《雪迎え》の舞台は夏の宵となる。《くちなしのささやき》(1620mm×1303mm)は、動物の耳を持つ異形の人物が窓越しに向かい合う、まさに幻視である。額に、あるいは分身のものと合わせて3つの目を持つ人物は、窓の外に頭頂部に獣の耳を持つ人物を見出す。それは窓を見詰める自己の未来像であり、見詰める人物の背中には変化の始まりを示すように太い血管が浮き出ている。輝く星の模様の羽根を持つ蝶のイメージを表わした《陽炎》(158mm×227mm)は、夏と幻視の表現の補助線である。
【豊田奈緒】「中ザワヒデキ賞」受賞
《Art book P104》(1620mm×1120mm)は、椅子で眠る女性を置いてもう1人の女性が部屋を出て行こうとしている場面。眠る女性は今にも椅子からずり落ちそうな姿勢である。立ち去る女性は眠る女性を振り返るが、眠る女性から抜け出すように見える。立ち去る女性は眠る女性の分身なのだ。同様に、《Hot starling》(1620mm×1303mm)において、腹から葡萄の蔓を伸ばし、眠る女性を見詰める女性は、やはり眠る女性の分身なのだろう。女性の腹から伸びる太い蔓は左右に分かれ、葡萄の房を付けるとともに、大きな葉が眠る女性の上半身を覆う。《Dream house Ⅱ》(1160mm×910mm)において、間近に浮ぶ満月(?)に右腕を伸ばす女性と、その女性の頭に両手を載せて佇むもう1人の女性とは、やはり同一人物だろう。ずり落ちそうな姿勢、蔓延る異様に大きな葡萄の蔓、夢遊病的動作など、見る者を落ち着かない気分にさせる。それは「私」が確固たる存在ではなく、いつ崩れ去ってもおかしくはない砂上の楼閣であることを突き付けるからであろう。まるで仔犬を抱き抱えるように巨大なカマキリを手にする女性を描く《幸せな子供時代》(610mm×500mm)もまた不穏である。蟷螂の斧は呆気なく「私」を一刀両断にしてしまうだろう。
【木床亜由実】「塩谷亮賞」受賞
《トピアリー》(1620mm×1940mm)は、緑、青、紫、赤、黄褐色のパッチワークの立方体(直方体)型トピアリーを描き出した作品。朱の地塗りの上に白い絵具を重ね、パッチワークを描き出した後に、微細な葉の形を緻密に無数に削り出すことでトピアリーにしている。それがポップな画面に、画面を突き抜ける底無しの沼を生み出すような凄みがある。トピアリーから突き出した葉や薔薇、蜘蛛の巣とともに、ところどころに穿たれた穴の表現からも、作家が深淵を覗き込むことに執着しているのは明らかであろう。カカオやウチワサボテンなどを描いた《植物》(1167mm×910mm)にも登場するゼンマイなど、植物の形の面白さも無論、存分に伝わる。
【有馬莉奈】
《網目》(1000mm×1000mm)は、真っ白な壁に囲われ、原油のような真っ黒な液体を湛えた(あるいは鏡面のような漆黒の床を張った)空間に、白い構造物、岩、アンテナ、杭、アルミゲート、カラーコーン、吹き流し、網などが配されている。構造物、岩、杭、アルミゲート、カラーコーンは、その姿が設置された黒い水(あるいは漆黒の床)に映り込んでいる。明鏡止水である。尤も、岩に垂下がるロープは、吹き流しが受ける風で揺れている。静止した空間には風が吹いている。世界は閉じているようで、どこかに穴が開いているらしい。配管、アルミゲート、あるいはアンテナの存在は、別世界への回路である。白い壁の異様に高い位置に取り付けられた青いネットは、世界に通じるとともに世界を絡め取るインターネットのメタファーか。ならばこの閉鎖空間は世界の写像としての電脳空間である。黒い水が象徴するオフラインの世界に飛び込んで、現実を取り戻せと訴えるのであろうか。
【福田絵理】
《幸せな家》(1300mm×1620mm)の黒い画面には、キャレット(^)状の屋根を持つ家の影と、その前に立つ2人の人影が白っぽく幽かに表わされている。《部屋》(730mm×910mm)のやはり黒い画面には、壁らしき方形の線と、その中にドア(出入口)を表わす黒い穴とが僅かに確認できる。両作品に挿まれた《フィールド》(530mm×650mm)は、黒い画面に斜め格子を表わした作品である。全ては闇に沈んでいる。もっとも、その闇は漆黒ではない。闇そのものがどこか淡く儚げである。夜は明けてしまうものだと訴えるのかもしれない。いずれによせ、光や覚醒や生を、闇や睡眠や死によって逆説的に炙り出す。
【與那覇健志】の牛島憲之的描法による分からない世界のパッチワークは、ネガティヴケイパビリティを訴える。【谷本めい】のモザイク作品は酩酊感と没入感とで無意識の根源的欲求に働きかける。【中村早紀】の世界を捉える儚げな複数の視線により、固定観念を打ち破る。【根元篤志】は絵画を言葉=原稿用紙から立ち上げんとする。【吉野もも】の錯視による襞はメタモルフォーゼの哲学のよう。【益子未知】は身近な景観にヴラマンクを再臨させるフォーヴィスム。【衣真一郎】の描くショッピングモールと古墳とはアナクロニズムで時間尺度の再考を迫る。