展覧会『トーキョーアーツアンドスペースレジデンス2024 成果発表展 微粒子の呼吸 第2期』を鑑賞しての備忘録
トーキョーアーツアンドスペース本郷にて、2024年8月17日~9月22日。
トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)が2006年より実施しているレジデンス・プログラムに参加した作家の成果発表展。第2期は日本から海外の提携機関に派遣された5名の作家が紹介される。
エディンバラ・スカルプチャー・ワークショップに滞在した大野由美子は、ブルータリズム建築の素材や内部構造を剥き出しにするスタイルに倣い、金属のパイプを床から天井へ、あるいは壁へと垂直に立て、あるいは水平に伸ばした構造体に、鋳込みで成型した陶器を挿し込んだインターレーション《Nebula》を展示する。ヘルシンキ・インターナショナル・アーティスト・プログラムに滞在した西毅徳は、風に戦ぐ白樺の葉に着想して、スティール製巻きバンドを折り曲げて組み上げた立体作品《Koive》を出展。台北のトレジャーヒル・アーティスト・ヴィレッジに滞在した仲本拡史は、日本統治下の台湾で食用にシンガポールから持ち込まれたアフリカマイマイを、自らの記憶と家族の歴史、さらには琉球弧を繋ぐものとして描き出した《南島生物奇譚》を上映する。バーゼルのアトリエ・モンディアルに滞在した辻󠄀梨絵子は、ゴッドペアレントなどについてのインタヴュー映像《つながりについての雑談(ゴッドペアレント、ルームシェア、名づけ)》を、読書やサイコロトークなどもできるラウンジを設置して流す。モントリオールのセンター・クラークに滞在した谷崎桃子は、現地で遭遇したアイスストーム(Verglas massif)と停電などをモティーフとした絵画群とインスタレーション《長い夜のためのオブジェ》を陳列。
【仲本拡史《南島静物奇譚》】
作家は幼い頃にミャンマーのヤンゴンに滞在していたことがあり、メイドから雨上がりの夜に遠い故郷を思ってカタツムリが歌うと聞かされた。ある晩、メイドに連れ出された作家はカタツムリが発する笛のような音色を聞いたように記憶しているという。台北で滞在制作することになった作家は、アフリカマイマイを採取し、その歌を聞き出そうとする。アフリカマイマイは日本統治下の台湾で、台北帝国大学教授・下條久馬一が食用研究のために持ち込んだという。田沢震吾により飼養販売が行われ、台湾各地に流布(台湾料理にはアフリカマイマイを用いた炒螺肉がある)、その後日本でも飼育がブームになったという。農業被害をもたらすことや寄生虫に寄生される危険があることから、外来生物法により規制される他、世界の侵略的外来種ワースト100にも選定されている。もっとも、アフリカマイマイに侵略の意図はなく、人の手によってもたらされただけだ。世界中でカタツムリが歌を歌うとき、人々にはなお居場所は残されているのだろうかと問いかけて第1章「唱歌的蝸牛」は幕を下ろす。
第2章「ハーマヌアーマン」は作家が祖母らから聞いた話を元にしている。曾祖父は沖縄からフィリピンのダバオに渡り麻農園で財を成したが、戦局の悪化で先に家族を沖縄に帰し、後から帰国する際、機雷で船が沈んだ。打ち上げられた浜で息を引き取った仲間にオオヤドカリが群がっているのを目撃した曾祖父は、帰国後、戦時下の食糧難でもヤドカリを食することを家族に固く禁じたという。オオヤドカリは貝の大きさに合わせて成長するため、アフリカマイマイの殻を手に入れた個体は大きくなる。
人為的に連れ去られながら「侵略的外来種」として駆除されるアフリカマイマイは、嘆きの歌を歌うのではないか。作家はアフリカマイマイと自らと家族とを結び合わせ、むしろ人間による侵略をこそ浮かび上がらせる。カタツムリやヤドカリから人、そして国家へ。貝殻から颱風や琉球弧へ。ミクロとマクロとを円環ないし渦のイメージで緩やかに繋いでいく手際も見事な作品である。