映画『憐れみの3章』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のアメリカ・イギリス合作映画。
165分。
監督は、ヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)。
脚本は、ヨルゴス・ランティモス(Yorgos Lanthimos)とエフティミス・フィリップ(Efthimis Filippou)。
撮影は、ロビー・ライアン(Robbie Ryan)。
美術は、アンソニー・ガスパーロ(Anthony Gasparro)。
衣装は、ジェニファー・ジョンソン(Jennifer Johnson)。
編集は、ヨルゴス・モブロプサリディス(Yorgos Mavropsaridis)。
音楽は、イェルスキン・フェンドリックス(Jerskin Fendrix)。
原題は、"Kinds of Kindness"。
【R.M.F.の死】
昼。レイモンド(Willem Dafoe)の邸宅前にユーリズミックスの「スウィート・ドリームズ」をかけながら走ってきた車が停まる。中年男(Yorgos Stefanakos)が車を降り、玄関をノックする。ヴィヴィアン(Margaret Qualley)が招き入れる。到着したわ。ヴィヴィアンがレイモンドに電話で報告する。ベージュのパンツ、茶色い靴、イニシャルの入った白いシャツ。B.M,F.? 違うわ、R.M.F.。近視じゃないわ。RがBに見えたのは刺繍の問題。写真を撮って送る? ヴィヴィアンがスマートフォンでR.M.F.を撮る。ヴィヴィアンはR.M.F.に分厚い封筒を手渡す。今朝残してくれたメモは完璧よ。ヴィヴィアンはR.M.F.に行っていいとジェスチャーする。植物に水をあげてからピアノを練習しようかな。ずっと弾いてないから。
夜。通りが絶えた道に車を停めてロバート(Jesse Plemons)が車外を窺っている。1台の車が通りに曲がって来ると。ロバートは車を発進させ、ぶつける。ロバートが車を降りてぶつけた相手の車に近付く。ユーリズミックスの「スウィート・ドリームズ」の音が漏れる。ハンドルを握るR.M.F.がロバートを見詰めていた。
救急車。救急救命士(Fadeke Adeola)がロバートの怪我の程度を調べている。他に痛むところはありますか? 腕が。折れてるんじゃないか? 病院で医師に診てもらった方がいい。数日は入院して経過観察するべきじゃないか? 内出血があるかもしれない。ご心配なく、病院で全て検査しますから。
ロバートがスタイリッシュな平屋に帰宅する。暗い部屋に明かりを点けた。時刻を確認すると、ジョニーウォーカーをロックで呷る。糸楊枝で歯の手入れをする。ベッドで寝息を立てているサラ(Hong Chau)の隣に横になり、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読む。明かりを消して寝る。
朝。台所でオレンジを搾るサラにロバートがおはようと声をかける。昨晩は遅かったのね。先に寝ちゃった。大丈夫、残業でね。ジュースを差し出したサラがロバートの怪我に気付く。額はどうしたの? 何でもないよ。帰りに事故に遭ってね。大したことない。医者に診てもらうべきじゃない? 病院には行ったさ。精神安定剤を出された。電話をくれれば良かったのに。一人で行ったの? 大丈夫、心配しないで。ロバートがサラの手を握る。サラはロバートにレイモンドからの贈り物を報告する。昨日届いたの。本当に優しい人ね。どうやってお礼をしたものか困っちゃうわ。1984年にマッケンローが壊したラケットよ。素晴らしいでしょう? ああ、素晴らしいな。レイモンドに御礼を言ってね。今までで一番の贈り物だと伝えて頂戴。伝えるよ。
大手建設会社。高層階にあるオフィス。ロバートは、起床・就寝時間、衣装、食事、飲酒、読書、妻との性交渉の有無までが指示されたレイモンドからの手紙を確認し、シュレッダーにかける。レイモンドの秘書ルイーズ(Tessa Bourgeois)から内線電話が入り、3時にレイモンドの部屋に来るよう伝えられる。午後は現場に立ち寄らねばならないので間に合わないかもしれない。私なら現場には顔を出しません。
ロバートはレイモンドの部屋に向かい、ルイーズに尋ねる。入っても? 今電話中ですのでお待ち下さい。ロバートはソファに腰を下ろす。息子の写真を見せたことがありましたっけ? いや。ルイーズがスマートフォンの写真を見せる。可愛いね。サラと子供は持とうとは? サラは子供を持てないんだ。卵巣に問題があってね。ごめんなさい、知らなくて。大丈夫。
ロバート、立ってないで坐りなさい。長く待たせたかね? いいえ、15分ほどです。その髪型はいいね。もう少し伸ばして。ちょっと痩せたかな。痩せた男なんてみっともないからね。体重を増やすように言い置いたはずだが。体重は増えました。絶対に増えてない。以前より痩せてるよ。メニューを見直さなければな。『アンナ・カレーニナ』は読んだかね? もう読み終わります。坐りたまえ。飲み物は? ウォッカを。結局、あなたのミュンヘン出張に同行することにしました。都合は付けられると踏みました。来週は現場にいる必要がないので。ご迷惑でなければですが、サラも同行させます。サラはラケットをとても気に入りました。これまでで一番の贈り物だと。それは良かった。レイモンドがロバートにグラスを差し出す。ウォッカじゃなくてウィスキーの方がいいだろう。ええ、ウィスキーの方がいいですね。レイモンド、昨日は申し訳ありませんでした。レイモンドはロバートの身形を確認する。今日は何をしていた? 7時半に起きてシャワーを浴びジュースを飲みました。オレンジとレモン? オレンジとレモンです。サラとヤッたか? 8時半、朝食後に。よろしい。1時間前にサラと話したよ。彼女は贈り物がとても気に入ったと言ってくれた。今までで一番素敵だと言っていました。アイルトン・セナのヘルメットよりもかね? ずっといいと。ありがとうございます。君にはそれだけの価値がある。私は最低限のことをしているに過ぎない。改めて昨日の件については謝罪します。何を誤ったのか分かりません。入院すべきでした。あの医者は信用できません。君を診た医師は優秀だ、私の友人でね。入院の必要など全くないと言っていた。腰が痛みます。あちこちが。そんなことはどうでもいい。ありがちだ。君に埋め合わせる機会を与えよう。2日後に同じ事故を繰り返すんだ。今度はうまくいくはずだ。同じ場所、同じ時刻、同じ紺のBMWでね。もっと速度を上げて衝突すれば上手くいくさ。これ以上スピードを出して衝突はできません。いいか、2日後に同じ事が起こる。スピードを上げて運転するんだ。そんなことできません。この件に時間はかけられない。2時間よく考えるんだ。シュヴァルに行って何か飲め。判断力を鈍らせないようにアルコールは避けるんだ。今夜うちでお前の判断を聞かせてもらおう。
【R.M.F.の死】大手建設会社に勤めるロバート(Jesse Plemons)は、サラ(Hong Chau)と豊かな生活を送っている。2人の今があるのは上司であるワンマン経営者レイモンド(Willem Dafoe)のお蔭である。レイモンドから起床・就寝時間、衣装、食事、飲酒から、読書、さらには妻との性交渉に至るまで事細かに指示を受け、ロバートは忠実に従ってきた。ロバートは自らの車を衝突させてR.M.F.(Yorgos Stefanakos)を殺害するよう求められる。ロバートは実行するものの躊躇い軽度の事故に終わる。レイモンドはもう1度チャンスを与えると2日後により高速度で車をぶつけるようロバートに言い付けた。ロバートは考えに考えた末、レイモンドの命令を断る。レイモンドは、若い妻ヴィヴィアン(Margaret Qualley)を通じてR.M.F.本人の承諾を得ているからと翻意を促。ロバートはサラとの間に子供を儲けるなと言われたときも指示に従ったが、他人の生命まで奪うことはできないと固辞する。ロバートはレイモンドは見限られた。サラが気に入っていたレイモンドからの贈り物がすぐさま回収されてしまう。ロバートは馴れ初めから中絶も含めた経緯を告げると、サラは姿を消してしまった。就職活動もうまくいかない。ロバートはかつてレイモンドに習ったサラを落としたテクニックを応用して、バーで見かけた美しい女性(Emma Stone)に接近する。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
邦題通り3章の構成。第2章「R.M.F.は飛ぶ」では、警察官のダニエル(Jesse Plemons)が、妻リズ(Emma Stone)が海洋調査で行方不明になったことで悲嘆に暮れ、容疑者にまでリズの面影を探そうとする。同僚で親友のニール(Mamoudou Athie)とその妻マーサ(Margaret Qualley)とはスワッピングまでする仲であったが、2人の慰めもまるで役に立たない。幸いなことにリズが発見され、R.M.F.(Yorgos Stefanakos)操縦のヘリコプターで生還した。だが戻ってきたリズは嫌いだったチョコレートを貪るなど、ダニエルには別人に感じられた。遭難時の飢餓体験で嗜好の変化はあり得ると慰められるが、ダニエルのリズに対する不信は高まる。第3章「R.M.F. サンドイッチを食べる」では、オミ(Willem Dafoe)とアカ(Hong Chau)との交合だけが清いとされるカルトに所属するエミリー(Emma Stone)とアンドリュー(Jesse Plemons)が死者を蘇らせる超能力者を捜し回る。エミリーは夢で見た超能力者のイメージに合致する女性レベッカ(Margaret Qualley)から、2人の探しているのは自分と双子のルース(Margaret Qualley)だと告げられる。エミリーはレベッカが自分たちについて言い当てたと驚くが、アンドリューは双子の一方の死亡という条件を満たしていないと信用しない。エミリーは捜索の合間に夫ジョゼフ(Joe Alwyn)の留守を見計らっては自宅を訪れ、オミとアカによって浄化された水を娘(Merah Benoit)のベッドに撒いていたが、ある日自宅を出たところでジョゼフと娘に出会してしまう。
第1章は、ロバートの妻が「サラ」であることもあって、旧約聖書の「イサクの犠牲」を彷彿とさせる。但し、支配者たるレイモンドに犠牲に捧げるよう求められるのは、ロバートの子ではなく、ロバートやサラとは関係のないR.M.F.である。第2章では、ダニエルの失踪した妻リズの帰還は「復活」ともとれる。ダニエルは妻の「復活」を疑うのである。第3章は死者の蘇生が主題となっている。セックス・カルトが舞台となるのも、セックスが擬似的な死に関わるからであろう。
第1章でレイモンドは大手建設会社のオーナー経営者である。建築家(設計者)から造物主を連想するが、超能力を有している訳ではない。巨万の富を背景に相手を精神的に服従させる術を心得ているだけである。第2章でダニエルは警察官である。信号無視をした男に発砲し、リズに対して無理難題をふっかける。警察官や夫として粗暴な権力を行使するが、精神を病んでいるに過ぎない。第3章でオミやアカはカルトにおいて教祖的立場に立つ。オミやアカの涙によって実際に水が浄化されているのか、アカが汗を舐めることで浄・不浄を判断できるかどうかは定かではない。信者がそう思い込んでいるだけである。
世界は確実な根拠を持っておらず、その不安から気を紛らわせるために無意味なルーティーンに依存している。余りにも情報(選択肢)が多いために自ら判断(選択)できず、権威に凭り掛かってしまう現代人の戯画でもある。それを病的と言えるレヴェルへ誇張した悲劇が描かれる。過剰性は滑稽に転じ、シニカルな眼差しにコミカルな雰囲気が纏わり付く。
(以下では、結末についても言及する。)
R.M.F.を中心に見たとき、第2章が先行する。R.M.F.はリズを救出するヘリコプターの操縦士として登場する。天から飛来するR.M.F.は天使、否、神の子である。第1章ではそのR.M.F.が犠牲として神に捧げられるのである。そして、第3章では、遺体安置所に保管されていたR.M.F.がルースの能力により蘇生する。十字架にかけられたイエスの復活のアナロジーである。