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芸術鑑賞の備忘録

映画『傲慢と善良』

映画『傲慢と善良』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
119分。
監督は、萩原健太郎
原作は、辻村深月の小説『傲慢と善良』。
脚本は、清水友佳子
撮影は、日下誠。
照明は、織田誠。
録音は、渡辺寛志。
美術は、Ren。
装飾は、酒井拓磨。
スタイリストは、前田勇弥。
ヘアメイクは、櫻井安里紗。
編集は、平井健一と田中夕貴。
音楽は、加藤久貴。

 

夜。都心の道路。信号が青に変わり、人々が横断歩道を渡り出す中、坂庭真実(奈緒)だけ立ち尽くしたまま動けない。真実は抱えていた花束の白い薔薇を握り締める。濡れた路面に花束を落とした。
都心の高層ビル。低層階の商業施設には大勢の人が行き交う。西澤架(藤ヶ谷太輔)がエスカレーターで階上のカフェに向かう。Tシャツの上にジャケットを羽織る、カジュアルだがシックなスタイル。腕には重々しい高級腕時計。スマートフォンのカメラで身嗜みをチェックする。架は今日もまたマッチングアプリで知り合った女性に会う。
架が黒地に金文字の名刺を女性に差し出す。「NISHIZAWA BREWERY 代表取締役社長 西澤架」。相手の女性は架が社長であることや、クラフトビールの会社であることに感心してみせる。従業員はどれくらいいるんですか? 7人。お住まいは? 神宮前。お決まりのやり取りが続く。気を付けて。架はエスカレーターに一緒に乗らず、降る女性を見送る。
婚活は就活に似ている。恋愛の楽しい気分は薄れ、社会的な価値のみが試される。
架が1人車に乗り込む。今日も助手席に坐らせる相手を見つけることは出来なかった。
架の友人の大原(小林リュージュ)のレストラン。従業員が帰っていく。大原がNISHIZAWA BREWERYのスタイニーボトルを口にする。美味いね、新作。自信作だよ。婚活してもうどれくらいの人に会った? 20人くらい。マジか? いろんな娘とデートできて楽しそうだな。同じ段取りで同じ会話だよ、徒労感しか残らない。あんなにモテてたお前が婚活とはな。あのときあゆちゃんと結婚しておけば良かったのに。いいなと思った娘がいたらうちに連れて来なよ。どうせお前、自分じゃ決められないだろ?
彼女に会ったのは、ルーティンワークの婚活に嫌気が差していた頃だった。
架がマッチングアプリの相手と会うのに利用しているカフェに向かう。カフェの入居する高層ビルのアトリウムで、坂庭真実が坐って本を読んでいるのに気付いた。3時55分。約束の時間までまだ1時間以上あった。坂庭さんですよね? 西澤です。初めまして。待ち合わせ、5時でしたよね? 遅れたら嫌だから早くに来たんです。西澤さんは? 仕事が早く終わったんで。
カフェで架が真実と向かい合って坐る。架から受け取った名刺を真実が見詰める。こっち来て1年ですよね? 東京には慣れました? …まあ、はい。勤め先は英会話教室でしたよね? …事務ですけど。店員が真実に珈琲を、架にアイス珈琲を運んできた。ごゆっくりどうぞ。休みの日はどういう所に行くんですか? …あんまり出かけないので。そうなんですね。翔がアイス珈琲を飲む。…ごめんなさい、なんか。何がですか? …喋るのが苦手で。…退屈ですよね? こう見えて、僕も人見知りなんです。そのとき、隣のテーブルの老女が飲み物の入ったグラスを倒してしまった。真実が床を拭こうとして、スカートの裾を塗らしてしまう。動顚した真実が自分の椅子に倒れかかり、バッグを落として中身を散乱させてしまう。架が真実の物を拾い集める。真実と架とが触れるほど寄る形になる。
こんな始まりもいいのかもしれない。
架と真実はデートを重ねた。架の車で花見や海に出かけ、あるいは誕生日を祝った。2人の映る写真が増えていく。
1年後。高級レストラン。庭に面したテーブ席で架が真実とディナーを楽しんでいる。職場の人と飲みに行った店にたまたま西澤のクラフトビールが置いてあり、評判が良く、自分まで誇らしい気持ちになったと真実が言った。架は大原の自宅で行われるホームパーティーに真実を誘う。私が行っていいの? もちろん。ワインボトルを持った店員がテーブルに来て、2人のグラスにワインを注ぐ。ピアノの生演奏が始まる。真剣な面持ちの架。真実は微笑んでいる。美味しかったな。いつか親にもこんなの食べさせてあげたい。私だけ贅沢していたら申し訳ないから。真実は家族思いだよね? そうかな? 架が坐り直し、青いリボンで結んだグレーの小さな箱を真実に差し出す。開けてみて。真実が開けると、中にはルビーのネックレスだった。もうすぐ誕生日だよね。当日出張だから、ちょっと早いけど。綺麗。有り難う。大事にする。
真実の部屋に寄った架が台所で調理している。これ、美味いな。居間にいる真実の電話が鳴る。電話、出ないの? いいの。誰から? 非通知。時々あるの…。真実? 架が真実のもとに向かう。私、もしかしたらストーカーにつけられてるのかも…。えっ、どういうこと? 私の勘違いかもしれないんだけど、最近誰かに見られてる気がして…。相手に心当たりはある? ただの思い過ごしかも…。次掛かってきた俺が出るから。少しでも変なことがあったら俺に言って。真実は隣に腰掛けた架に凭れ掛った。
大原の家を架と真実が訪れた。リヴィングからBBQをする庭に出る。架が真実に椅子を用意し、飲み物は何がいいか尋ねる。そんな甲斐甲斐しい架を美奈子(桜庭ななみ)と梓(小池樹里香)が揶揄った。

 

西澤架(藤ヶ谷太輔)はクラフトビールを製造・販売するNISHIZAWA BREWERYの若き社長。マッチングアプリで結婚相手を探していた。5年前、恋人の三井亜優子(森カンナ)から結婚を切り出されたが、当時は時期尚早と断ってしまった。架に見切りを付けた亜優子はすぐに相手を見つけ、交際3ヶ月で結婚した。架は既に20人ほどの女性と会ったが、社会的価値を値踏みするルーティーンに嫌気が差していた。婚活を諦めようとしていた矢先に、坂庭真実(奈緒)と出遭う。前橋から上京して英会話教室に事務員として勤める真実は、他の女性たちとは異なり、架に質問を浴びせることも架を褒めることもない、淑やかな女性だった。1年ほど交際した頃、架は親友の大原(小林リュージュ)のホームパーティーに真実を誘う。後日、架は友人の美奈子(桜庭ななみ)と梓(小池樹里香)と飲んでいて、真実がパーティーの際、架との結婚のためのアピールに必死だったと指摘される。翔は真実は善良な娘だと反論する。そのとき電話が鳴り、真実からストーカーに追われていると訴えられた。架はすぐにタクシーで架の家に向かえと言って家へと急いだ。架は真実に一緒に暮らそうと提案する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

架は、マッチングアプリで知り合った真実と交際して1年ほど経った頃、ストーカー被害に遭った真実と同棲することにした。架は腹を括って真実との結婚を決め、真実と結婚式について話し合うことにする。ところが、寿退社する真実が送別会に出たまま失踪してしまった。架はストーカーに拉致されたのではないかと真実の姉・岩間希実(菊池亜希子)に相談すると、駆け付けた希実は婚約指輪を発見し、一度送別会から帰って来た真実が自分の意志で出て行ったのだと推測する。以前に真実が前橋でお見合した相手がストーカー行為に及んだことを示唆していたことから、架は真実の実家へ向かう。真実の母親・陽子(宮崎美子)は、真実の父親・正治(阿南健治)が制するのにお構いなしに、架がマッチングサイトで知り合った相手であり、しかも堅い職業でないことに不満を示し、東京なんかに出すんじゃ無かったと愚痴る。それでも架がお見合相手について確認したいとの意向を汲み、陽子は県会議員の妻であり真実に見合相手を紹介してくれた小野里(前田美波里)と会う手筈を整えてくれた。小野里は真実のお見合が陽子の強い要望だったと言い、見合い相手がストーカーである可能性を否定した。
小野里によれば、婚活が上手くいく人は自分が欲しいものが分かっている人、ヴィジョンのある人だと言うる。逆に結婚がうまく行かないのは、決定を他人に委ねてしまういい子が自分の価値観に重きを置きすぎることにあると指摘する。ピンと来る相手とはすなわち自らの売値に見合う商品であり、その価格設定が高すぎるのだ。善良な人は傲慢さを併せ持っている、と。

真実が架から大原のホームパーティーに誘われた際「行っていいの?」と確認する。真実は自分の住む世界と架の住む世界とが違うものだと認識がある。実際、大原邸では、とりわけ美奈子や梓の眼差しの効果により、真実は架らの世界の闖入者となる。
真実が女の子にうまく対処できない描写も利いている。美奈子と梓は闖入者の失態を見逃さない。そして、2人は断片的な情報から真実のストーカー被害を虚偽と見抜く。真実は架の楽園から追放されてしまうのだ。美奈子と梓の敵役が見事である。

真実は自らが地元の名門女子大出身であることに自負がある。最初の見合い相手である金居智之(嶺豪一)を生理的に受け付けない。デート先の遊園地でたまたま再会した中学の同級生いずみ(里々佳)に対しては強い拒絶反応を示す。真実は自ら溝を作る性分である。自らを主張しない反面、自らの殻に籠もるのである。実際、架にはSNSの利用を黙っていた。

高級レストランでのディナーの際、架がピアノの生演奏に合せて誕生日プレゼントを贈った際、あろうことか、指輪でなくネックレスであったことに真実が受ける衝撃がよく伝わる。真実がストーカー被害を捏造するのも頷けるのだ。

(以下では、結末に関わる事柄についても言及する。)

冒頭、真実が抱えていた白い薔薇の花束が濡れた地面に落とされる。白い薔薇は純粋さの象徴であり、真実は自らそれを否定し、架の前から姿を消すのである。真実は豪雨被害に見舞われた七山を災害ボランティアとして訪れる。真実は痛んだみかんの苗木を移植することにする。みかんの花も白く、清純さを象徴する。真実が移植したみかんの木に花が付くとき、真実は再び花嫁の喜びを取り戻すことになるだろう。