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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『たまびやき 第16回 多摩美術大学工芸学科 陶選抜作品展』

展覧会『たまびやき 第16回 多摩美術大学工芸学科 陶選抜作品展』を鑑賞しての備忘録
ギャラリーなつかにて、2024年9月30日~10月5日。

多摩美術大学工芸学科陶プログラムに学ぶ3年生・4年生の陶芸作品を展観する企画。浅賀ひなた《水憶路》(620mm×870mm×200mm)は、クリーム色にくすんだ水色、白色が付された流体と、赤茶色の断片とで、関東ロームとその水脈とを表す。長浦悠月《ポケット》(1130mm×470mm×130mm)は、焦茶色の表面の皺と全面の微細な格子(ないし網目)とにより上下に繋いだパンツとセーターとを表す。3つのポケットには灰青の釉薬が付される。山口小夏《求愛への入口Ⅰ》(450mm×380mm×320mm)と《求愛への入口Ⅱ》(350mm×600mm×350mm)とは紫に近いピンクやピンクで肉体に穿たれた穴を造型した作品。穴を覗き込むと、毛で覆われた縁があり、空洞の奥へと誘う。北須賀源己《夜空に腰かけて》(560mm×1000mm×1000mm)は、表面を小さな黒・青・緑のタイルが覆う、人が腰掛けて凹んだオニオン型のビーズクッションのような焼き物。塙智恵《たのしいエサやり!》(288mm×799mm×150mm)は、少女の人形の乗る車の玩具、カリカリのドッグフードを山盛りにした餌皿を描いた車の玩具、車輪の付いた犬の人形とを鎖で繋いだ作品。加藤花楓《夏影と陽の匂いのする葉》(550mm×1500mm×900mm)は緑とクリームで表された背景にシルエット状の枝葉を表した、六曲一隻屏風型の陶板。所々に穿たれた穴からは別の景色が覗く。

浅賀ひなた《水憶路》は、クリーム色にくすんだ水色、白色が付された流体により、赤茶色の断片に象徴される関東ロームの地中を流れる水を表現する。地表から地下に眠る記「憶」へと潜「水」し、穴を穿って現在へと通「路」を開鑿する。それが「水憶路」なのだろう。
加藤花楓《夏影と陽の匂いのする葉》は、六曲一隻屏風のように6枚並べた短冊型の陶板に、自然の景観を描き出す。前景のシルエットで表した枝葉は夏の陽差しの強さを裏返しである。背後には、陽光により濃い緑と湿度の高い空気を含んだ景観が拡がる。陶板の一部には穴が穿たれ、別の風景が姿を覗かせる。実は六曲一双の対の景観なのだ。
塙智恵《たのしいエサやり!》は、少女の人形の乗る車の玩具を先頭に、カリカリのドッグフードを山盛りにした餌皿を描いた車の玩具、車輪の付いた犬の人形とが(穴の開いた)鎖で繋がれている。玩具や人形が想像力により生命が宿るなら、その形状のみならず、実質的にも山鉾である。「エサやり」という日常性から祭礼へ。それは褻から霽れへの転換である。
北須賀源己《夜空に腰かけて》は、人が腰掛けて凹んだオニオン型のビーズクッションのような形を黒・青・緑のタイルが覆うことで、見上げる夜空を表している。何かに夢中になっていることを表すのに英語で"absorb"を用いた表現があるが、まさに対象に"asborb"されていることが、クッション=宇宙の凹みで表されるのである。眼差しの主体が実は眼差しの対象に取り込まれる。反転がある。
長浦悠月《ポケット》はパンツの裾とセーターの裾とを合せて繋ぎ合わせた形状の焼き物である。ズボンの上から足を通すと、セーターの襟首に足が出てしまう。トランプの絵札のように中央で上下が反転するのだ。北半球と南半球に擬えるなら、表面の格子は緯線と経線にもなる。否、地球というより、宇宙に見立てるべきだろう(宇宙を表す《夜空に腰かけて》の表面もタイルによるグリッドであった)。衣服という留守模様で表された身体というミクロコスモスは、マクロコスモスと照応する。ポケットはブラックホールであり、ワープを可能にするのだ。
山口小夏《求愛への入口Ⅰ》は太腿に支えられた胴に女性器を象徴的に表した作品である。紫がかったピンク色と相俟って「肉壺」という言葉が容易に連想される焼き物である。陰唇的な口縁の中に、さらに植毛した口縁が造型されている。毛の存在が、さらに穴の奥へと誘う。そこに拡がるのは胎=子宮である。生命の誕生の場である。身体(ミクロコスモス)と宇宙(マクロコスモス)の照応と考えれば、宇宙でもある。ところで《求愛への入口Ⅰ》には、《求愛への入口Ⅱ》とは異なり、背後には別の穴が穿たれている。実は管なのだ。人間は腸から形成される。その意味でも始原に遡る。
以上の通り、穴による繋がりないし反転という点に出展作品の共通性が認められる。