可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『徒花 ADABANA』

映画『徒花 ADABANA』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
94分。
監督・脚本は、甲斐さやか。
撮影は、高木風太
照明は、後閑健太。
録音・音響効果は、小川武
美術は、河島康。
衣装デザインは、前田敬子。
VFXは、菅原悦史。
編集は、山崎梓とロラン・セネシャル。
音楽は、長屋和哉。

 

頭から足先まで白づくめの人物の人形たち。そのうち2体が担架で遺体を運び出のを他の人形たちが取り囲んでいる。いつしか人形は人間に変わり、白ずくめの人間たちが担架に乗せた遺体を運び出す。
医療センター。順番を待っていた母親が案内されて娘ととともに白衣の女性(板谷由夏)の前の席に着く。母親が娘は新型癌だと告げる。まだ小さいのにお気の毒です。白衣の女性はすぐにチェックリストにC評価を記入する。お嬢さんは条件を満たしていません。国民カードを出してください。母親から受け取ったカードをスキャンすると、受診資格を有していないことが表示される。警備をどうやって通過したんです? 噂通り階級の枠があるんですね。スタッフが駆け付けて母娘を強制的に連行する。次の方どうぞ。杖を突いた年配の女性と付き添いの若い女性が白衣の女性の前に坐る。チェックリストにA評価が記入される。
診察室。「それ」と呼ばれるクローン人間と患者とのストレッチ縫合についての紹介映像を新次(井浦新)に見せた上で、医師(永瀬正敏)が告げる。あなたは決して死んではならない人だ。ここの跡取りなんだからね。手術は成功しますよ。僕を信じてください。失敗したら来週死ぬのか…。新次さんにも7日間のプレリハビリテーションを受けて頂きます。彼女が手術までのサポートを行います。医師の後ろに控えていた黒ずくめの衣装の女性(水原希子)が頭を下げる。
新次が彼女とともに個室に移動する。森に面した壁は全面ガラス張り。新次は花瓶に活けられた薔薇に触れる。臨床心理士まほろです。新次は彼女と向かい合ってソファに腰掛ける。何とお呼びしたら? 新次でいい。新次さん、手術を前にして心配はありますか? …。話したい気分ではありませんか? …。今のご気分はいかがでしょうか? …。手術と関係の無い話から話しても良いのですが。気分は最悪だよ。不安の無い患者さんはいらっしゃいませんよ。死は間近に迫ってみないと分からない。君は毎日サインさせる。どこも訴訟だらけだから。術後、精神錯乱に陥ったら死を選ぶと書き留めてくれ。ここにいる患者は自分の弱さを認めるのが一番嫌なんだ。幸せな日常が急に変化していくと…。幸せ? 何かイメージされしましたか? いいや。ネガティヴなことばかり過る質でね。今 過るのは何の不安でしょうか?あらゆる悪いケースだね。お話頂けますか? 人に委ねるのが苦手なんだ。
死んだ鳥から流れた血。実験室のピペットに採った精液や血液。母親が手にしたワイングラスの赤ワイン。暗い海岸に打ち寄せる波。
何かあれば呼び出して下さい。立ち去ろうとするまほろに新次が声をかける。今日のサインは? まほろからパッドを受け取り、サインする。まほろが一礼して個室を出て行く。

 

未知のウィルスの影響により出生率の低下に悩まされた人類は延命のためにクローン技術の利用を推進。富裕層は傷病により問題が生じた臓器の供給源として「それ」と呼ぶ自らのクローンを所有するようになっていた。
「それ」を用いた移植医療を専門とする医療センターの研究者であり跡取りである新次(井浦新)は、妻(芦那すみれ)や娘(浅田芭路)と何不自由ない暮らしを送っていた。不治の病に冒され死期が迫ったため、新次の頭部を「それ」の身体に接合する手術を1週間後に行うと医師(永瀬正敏)から告げられる。特別個室に入院してプレリハビリテーションを受けることになった新次は、臨床心理士まほろ(水原希子)から促され、母親(斉藤由貴)や海辺のカフェの女性(三浦透子)とのやり取りなど心の裡に仕舞われていた記憶を徐々に蘇らせた。そして、記憶に蓋をしていた、幼い自分(平野絢規)が「それ」を処理する現場に迷い込んだ出来事が呼び覚まされる。新次は禁じられているにも拘わらず、自らの「それ」との接見を懇望した。

(以下では、全篇について言及する。)

幼い頃、母親が家庭教師とテーブルを囲み、赤ワインを飲み干す姿を新次は鮮明に記憶していた。母親は跡取りである新次を生むことで、父親とは疎遠になっていたのではないか。性的欲求の捌け口を家庭教師に求めていた。新次は母親の性的な魅力に無意識に囚われていた。父親の飼っていた鳥を殺してしまうのは、父殺しの代償行為であり、エディプス・コンプレックスの象徴である。
新次は妻を迎える前に、海岸近くの喫茶店に勤める女性と知り合っている。彼女は海(la mer)の女であり、生みの女(la mère)すなわち母親の鏡像である。彼女が海に潜るのは、新次の潜在意識に関わるからである。
新次は妻との関係が冷えている。かつて父が母にそうであったように。新次は父親の似姿(鏡像)なのだ。まほろの性的魅力が、新次の意識下に閉じ込められていた母(そしてその鏡像たる海の女)に対する性的欲求に気付かせたのではないだろうか。
「それ」は、臓器等を提供するために用いられるクローン人間であり、鏡像である。「それ」という名称はエス(Es)を想起させる。幼い新次が「それ」をトンネルを抜けた先で発見するように、「それ」は臓器牧場であると同時に無意識である。もっとも、新次の「それ」が指摘する通り、ソメイヨシノのように実を結ばず種を持たない1代限りの存在であり、去勢されている。性欲動や攻撃性は失われているのである。生き物に対する関心、芸術的才能には恵まれている。
新次は「それ」の研究に耐えうるように矯正された。新次の「それ」が持つ話す前に目を瞬かせる癖が新次からは消失したのがその象徴である。新次は建前ばかりの外の世界に厭気が差し、欲動が保たれた自らの「それ」に期待する。「それ」は自らの鏡像ではなく、別個独立の人格であると気付いたからである。同一人格であるなら本人の生命の存続のために「それ」を利用することは問題を生じない。もっとも、別人格であるなら「それ」の生命の存続を不可能にする利用は許されないことになる。

本作に興味のある向きには、クローンに人間が家畜として使用されているエピソードがある映画『クラウド アトラス(Cloud Atlas)』(2012)、富裕層だけがスペースコロニーで暮らし高度な医療を受けられる映画『エリジウム(Elysium)』(2013)などの鑑賞を薦めたい。不死をテーマにした映画『Arc アーク』(2021)、アンドロイドやクローンとの共生を描く映画『アフター・ヤン(After Yang)』(2021)などもある。