可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『まる』

映画『まる』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
117分。
監督・脚本は、荻上直子
企画は、山田雅子。
撮影は、山本英夫
照明は、小野晃。
録音は、清水雄一郎。
美術は、富田麻友美
装飾は、羽場しおり。
スタイリストは、伊島れいか。
衣装は、江口久美子。
ヘアメイクは、須田理恵。
編集は、普嶋信一。
音楽は、.ENDRECHERI./堂本剛

 

横浜市にある老朽化したアパルトマンの1室。キャンヴァスや絵具、本や雑貨などで溢れかえる。照明を落とした中で水槽だけがぼんやりと明るい。祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。ベッドに横たわった沢田(堂本剛)が平家物語の冒頭を繰り返し唱える。建物の軋む音に加え、時折隣室の横山(綾野剛)の呻き声が聞こえてくる。沢田が起き上がり、水槽の古代魚を眺める。
現代美術作家・秋元洋治(吉田鋼太郎)のアトリエ。大勢のアシスタントがそれぞれ壁に向かって割り当てられた絵画を仕上げている。今日は秋元を密着取材するテレビ番組のディレクターが来ていて、指示を出す秋元にカメラを向けていた。新人の田中(戸塚純貴)が溜息を吐き、隣で作業する沢田に尋ねる。この仕事初めてどれくらいッスか? 4年かな。よく続きますね。俺もう無理かも。2日目だよね? 想像と違いますよ。地味な作業じゃないですか。コンビニのバイトの方がマシですよ。コンビニでバイトしたらいいんじゃない? 無理ッス。大学院出てるんで。アトリエ中央のデスクではディレクターが、アシスタントが完成させても秋元さんの作品と言えるかと質問して、秋元を激昂させた。オイ、カメラ止めろよ。止めたか? 俺の頭の中にあるものをアシスタントが具現化させてるだけだよ。くだらねえ質問するなら止めるぞ! 仕事の邪魔しないってのが条件だっただろうがっ!
仕事を終えてアトリエを出た沢田にアシスタントの一人である矢島(吉岡里帆)が声をかけた。沢田が秋元に利用されているのを見るのが辛い、私たちは秋元に搾取されていると矢島は訴えた。沢田は法隆寺を建てたのは誰かと矢島に尋ねる。矢島は答えられない。聖徳太子。1300年以上前の大工たちが建てたけど、彼らが聖徳太子に搾取されたなんて誰も言わない。じゃあ沢田さんはアーティストじゃなくて職人ってことですか? 秋元は聖徳太子ほど立派じゃありません。大分クソ野郎です! 
沢田は雨に打たれながら自転車で坂道を下る。並び飛ぶ鳥に目を奪われて、転倒してしまう。
商売道具壊してどうすんの? ギプスをした右腕を包帯で吊った沢田を見て秋元が呆れる。良いタイミングだよね。時代に抗っても仕方がないでしょ? 今までお疲れ様でした。僕、何かと戦ってましたっけ? 沢田は秋元に一礼すると、自分のデスクに向かう。田中が備品、パクんないで下さいねと吐き捨てるように言う。沢田は何も持たずにアトリエを後にする。矢島が後を追って出てきた矢島がいいんですかと叫ぶ。もはや大工は必要ないって。自転車で走り去る沢田を、矢島が指を丸めた両手を双眼鏡のように眼の前に翳して見る。
公園を歩いて、池の脇のベンチに腰を下ろす。隣では老人(柄本明)が食パンを千切って鯉に餌をやっている。次は31日だそうです。老人が大きな声で言う。老人の周囲には沢田の他に誰もいない。はい? いつもその日を教えて下さいます。ほら! 老人は大きな鯉を指差す。どうぞ。老人は食パンを1枚沢田に差し出す。老人が食パンを千切って鯉にやる。沢田もそうする。3月14日は何の日かご存じですか? …いや。3、1、4。円周率の日です。円には始まりも終わりも無い。ただ繰り返すのみ。老人は食パンに開けた丸い穴から沢田を覗く。池の対岸に猛スピードで車がやって来る。スーツ姿の女性が降りて老人のもとに駆けてきた。先生! 皆さん待ってらっしゃいます! 女性に無理矢理連れて行かれる老人は、3. 1415926535…と円周率を大声で唱える。呆気に取られる沢田。先生を乗せた老人は猛スピードで公園を走り去った。
踏切で警報器が鳴る。点滅する赤いランプ。カーブミラー。丸い形が沢田の目に付く。
帰宅した沢田はベッドに腰を下ろし溜息を吐く。上着を脱ぎ、明かりを点ける。丸形蛍光灯はチカチカする。沢田は水槽を見詰め、諸行無常の響きありと繰り返し呟く。隣室からは横山の発した苛ついた叫びが届く。沢田は溜息を吐き、水槽の水面を見上げる。建物の軋む音。照明は明滅する。ガムテープを置くと床を転がっていく。沢田は床に仰向けに横たわる。丸型蛍光灯が目に入る。横山の呻き声が漏れ伝わる。ふと立て掛けてある丸めたキャンヴァスに蟻が這っているのが目に入った。沢田がキャンヴァスを床に拡げる。1匹の蟻が画布を歩き廻る。刷毛を手にした沢田が黒い絵具で蟻を囲うように円を描く。蟻は円の外へ這いだしていく。再び沢田が刷毛で円を描く。不揃いな円がいくつか画面に描かれた。
沢田が古道具屋の初音の敷居を跨ぐ。仕事馘になった。金欲しい。質屋じゃねえぞ。銜え煙草の店主(片桐はいり)が愚痴る。構わずに沢田は本や置物などを店主の前に置き、いくつかの円を描いたキャンヴァスを拡げる。何だよこれ? アート? でかいなあ。沢田は近くにあった鋏を手に取ると、キャンヴァスを1つの円ごとに裁断する。沢田は黒いマジックで「さわだ」と円の脇にサインを書き入れる。
初音の帰り道。家屋が密集する路地を抜ける。沢田の目には円が次々と飛びこんでくる。地面には飛んで遊ぶための円が描いてあった。
コンビニエンスストア。沢田がおにぎりを並べる。ソレチガうよ。ソレはこっち。ミて! モー(森崎ウィン)が注意する。ごめんなさい。ソレはあっち。ミて! ごめんなさい。サワダさん、テがナオったらヤめるつもりでしょ。マジメにヤりなよ! はい。入店チャイムが鳴る。2人連れの男性客が入って来た。いらっしゃいませ! レジ・カウンターの近くのスナックを手にした客。慌ててモーがカウンターに入る。フクロいります? フクロイリマス? 432円にナります。ヨンヒャクサンジューニエンナリマス。客がモーの日本語を真似て揶揄う。お前止めろよと言いながら連れの男もニヤつく。モーは笑顔を絶やさない。568円のおワタしです。ちゃんと日本語勉強しろ! 客は捨て台詞を吐いて出て行った。アリガトウございました! ごめんね。サワダが呟く。ナニが? あいつら、馬鹿でごめん。サワダさんのセイじゃないヨ。人はマルくないと。ミャンマーはブッキョウのクニだからネ。フクトクエンマン、エンマングソク。難しい言葉、知ってるね。ボーっとシないでシゴト! はい。
帰り道。沢田は満月を見上げた。沢田は満月を手で囲んでみる。

 

沢田(堂本剛)は現代美術作家・秋元洋治(吉田鋼太郎)の工房で働いて4年。矢島(吉岡里帆)からは秋元に才能を利用されているのを見ていられないと訴えられるが、法隆寺の建設に当たった大工が聖徳太子に搾取されたとは言わないと沢田は意に介さない。ところが自転車で転んで利き腕を怪我した沢田はあっさり秋元からお払い箱にされてしまった。コンビニエンスストアミャンマー出身のモー(森崎ウィン)の指導の下、慣れない業務をこなす。公園で出遭った老人(柄本明)から始まりも終わりも無い円の魅力を諭された沢田は、老朽化したアパルトマンの自室で、隣人の横山(綾野剛)のたてる騒音に悩まされながらも、1匹の蟻が這うのに導かれてキャンヴァスに円を描いた。沢田はその絵を本や置物とともに古道具屋の初音に持ち込み、店主(片桐はいり)に引き受けてもらう。しばらくして沢田は突然、土屋と名乗る男(早乙女太一)の訪問を受けた。1点100万円で買い取るから円相を描いて欲しいとの土屋の依頼に沢田は面喰らう。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

映画は、沢田が暗い自室のベッドで平家物語の冒頭部を繰り返し唱え、起き上がって水槽の古代魚を眺めるところから始まる。平家物語諸行無常は、後に沢田がコメントするように、恐竜より前の時代から生死を繰り返してきた存在である古代魚に具現化されている。そして、存在するだけで自らの生を支えてくれる古代魚に、沢田はただ生きることの尊さを教えられるのである。
沢田の隣人の横山は役に立たない存在を嫌悪する。漫画家志望の横山は役立たずと非難され(少なくとも非難されていると感じ)、その非難を内面化してしまっているのだ。横山は精神的に追い詰められ、呻き声を上げたり怒鳴り散らしたりする。沢田は働き蟻の法則を引き合いに、自縄自縛に陥った横山を救済しようとする。横山が幸せに暮らせる社会こそ遊び≒余裕のある豊かな社会なのだ。円(円相)は環であり、余白が重要である。
ギャラリスト若草萌子(小林聡美)は絵画(芸術)の評価を円(¥)という資本主義の物差しに委ねる。矢島は現代美術作家の秋元やギャラリストの若草に対して敵愾心を露わにするが、資本主義の物差しに囚われているという意味では、同じ世界に属している。もっとも、画餅(例えば、仙厓義梵《一円相画賛図》)では腹は満たされない。円(¥)から逃れることは死を意味する(美術館に展示された沢田の円相には絵具に囚われた蟻が死んでいた)。後に沢田は自らの円相に穴を開けてみせる。資本主義の壁(円相の図の部分)から逃れるためである。無論、資本主義の桎梏から逃れることは容易ではない。バンクシ(Banksy)の《Love is in the Bin》よろしく、穴を穿った円相は却って高値で取引されることになるだろう。
沢田は芸術家肌を売りにするタイプとは思えない。故に沢田役の堂本剛に始終違和感があった。クロージングクレジットの堂本剛の歌唱が演技以上に鼻につき、ミスキャストの感は深まるばかり。