映画『国境ナイトクルージング』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の中国・シンガポール合作映画。
100分。
監督・脚本は、チェン・ジュゥイー(陈哲艺/Anthony Chen)。
撮影は、ユゥ・ジンピン(余静萍/Ching Ping Yu)。
美術は、ドゥ・ルゥシー(杜露希/Luxi Du)。
衣装は、リィ・ファ(李华/Hua Li)。
編集は、チェン・フゥピン(陈合平/Hoping Chen)とスー・ウェンタイ(苏文泰/Soo Mun Thye)。
音楽は、フー・ジェンリャン(何坚良/Kin Leonn)。
原題は、"燃冬"。英題は、"The Breaking Ice"。
チェーンソーで氷を切り出す作業員たち。切り出された氷が次々とトラックの荷台に載せられる。作業員の近くの橋を新世界旅行社の青いバスが通る。
バスの車内。添乗員のナナ[娜娜](周冬雨/Dongyu Zhou)がツアー客に向かって話している。1時間ほどでホテルに到着します。この数日間一緒にお過ごし頂きありがとうございました。ご満足頂けたと思います。バーコードをスキャンしてチップをお忘れなく。運転手のチェンも運転大変だったと思います。みなさんからのお心付けを、多くて困ることはありませんので。ナナが座席に坐り、右脚をマッサージする。その姿を白いクマのぬいぐるみを持った少女がじっと見ていた。
ホテルの宴会場。壁に天池の大きな写真が掲げられている。壁の傍の円卓に坐り、ハオフォン[浩丰](刘昊然/Haoran Liu)がグラスの氷を囓る。元気そうだな。ハオフォンは同級生(魏如光/Ruguang Wei)に声をかけられる。ハオフォンの腕時計が同級生の目に留まった。高そうだな。いくらした? 大したもんじゃない。ご祝儀は? 同じテーブルの女性が尋ねる。ハオフォンはケチらないだろ。スマートフォンに着信があり、ハオフォンは落ち着かない。同じテーブルを囲んだ皆が明日はスキーに行かないかなどと和気藹藹と語り合う中、ハオフォンは浮かない表情を浮かべる。司会者が韓国語を交えながら挨拶し、披露宴が始まる。新郎のリー・チャオさんと新婦のユン・ヒジュンさんは人生を共にします。美しいお二人を盛大な拍手でお迎えしましょう! 黒いタキシードの新郎と白いウェディングドレスの新婦が入場し、参列者が賑賑しく迎える。新郎の挨拶の後、柄杓を投げて裏か表かで男の子が女の子が生まれるかを占う。韓国語の歌が流され、チマチョゴリの女性が踊り出すと、出席者たちも踊りに加わる。ハオフォンも促されて踊りの輪に加わるが、度々鳴るスマホを手に会場を後にし、ホテルの非常階段へ向かう。こんにちわ。リー・ハオフォンさんでしょうか? こちらはプジァン精神保健病院です。先週お約束の時間に来院されませんでしたね。間違いです。ハオフォンが電話を切る。ハオフォンは階段から雪を落とし、雪の行方を見詰める。ハオフォンが目と閉じて手摺の外へ向けて身体を傾ける。その時、クラクションを鳴らして、青いバスがホテルの玄関に到着した。女性のガイドが真っ先に降りてトランクを開ける。彼女はバスから降りてくる客に足元が滑りやすいから注意するよう声をかける。さようなら。またのお越しを。
ハンシャオ[韩萧](屈楚萧/Chuxiao Qu)が野菜の仕入れに来ている。最近注文が少ねえな。疫病のせいで客足がね。伯母さんからツケでって言われてるんだけど。またか? 仕方ねえな。恩に着るよ。ハンシャオは店主と韓国語でやり取りする。荷物をトラックに積むのを手伝ってくれた店員がバイクが治ったかとハンシャオに尋ねる。騙し騙し乗るよ。新しいの買わないの? モテないよ。ハンシャオがトラックを出す。
ハオフォンが他のツアー客とともにバスに揺られている。添乗員のナナが挨拶する。新世界旅行社のイェンビェン[延辺]の伝統を巡る日帰りツアーにご参加頂きありがとうございます。これから向かうのは中国朝鮮族民俗園です。朝鮮民族の伝統的な建物があります。9棟は近隣の村から移築された100年以上の歴史を持つ住居です。韓国語でこんにちはを何というかご存じですか? "안녕하세요"。韓流ドラマ好きならご存じですよね。でも中国の韓国人コミュニティでは少し違った言い方をするんですよ。
朝鮮族の自治州に所在する吉林省延吉。河北省出身のナナ[娜娜](周冬雨/Dongyu Zhou)は新世界旅行社のガイドとして生計を立てている。朝鮮族の伝統文化を巡る日帰りツアーで、ナナは一人で参加しているハオフォン[浩丰](刘昊然/Haoran Liu)のことが気になった。写真を撮りましょうかと申し出ると、ハオフォンは自分を写すつもりはないと断った。ツアー客に食事を取らせるレストラン白鳥[天鹅小馆]で、ナナは馴染みの従業員のハンシャオ[韩萧](屈楚萧/Chuxiao Qu)から食事に誘われた。愛の告白でもするつもりかとナナが尋ねると、ハンシャオはまさかとその場を取り繕う。ハオフォンはツアー中にスマートフォンを紛失してしまい、ナナが捜すが出てこない。ナナはツアー終了後、ハオフォンを気遣ってハンシャオとの食事に誘う。ハンシャオが親戚の経営するレストランで働いていると自己紹介すると、ハオフォンは上海で金融機関に勤めていると言った。働き詰めのナナは羽目を外して酔いつぶれ、ハオフォンとハンシャオに自宅まで送ってもらう。二人を部屋にあげたナナは再び飲み出す。ハンシャオは部屋に置かれていたギターを手に取ると爪弾く。
(以下では、冒頭以外の内容について言及する。)
ナナは河北省出身。フィギュアスケートの選手として活躍していたが右足を怪我して競技者としての道を断たれた。それまでの環境から逃れるために、恐らく韓国系の友人を頼って朝鮮族自治州にある延吉に移り住み、ツアーガイドを務めている。右足の手術跡はナナの挫折の象徴である。
ハオフォンは河南省出身。上海で金融系の企業に勤めるエリートである。だが高学歴・高収入は母親の厳しい教育から逃れるための結果であり、過酷な職場環境から精神を病み心療内科にかかっている。旧友の結婚式のために延吉を訪れたハオフォンは、ツアーガイドのナナを見かけて、朝鮮文化を巡る日帰りツアーに参加することに。氷を噛み砕く癖がハオフォンの味気ない日常を映し出し、煌びやかな腕時計はハオフォンの手枷のように見える。
ハンシャオは四川省出身。延吉にある伯母の経営するレストランに住み込みで働いている。ツアー客を率いて店を訪れるガイドのナナに恋心を抱いているが、自信の無いハンシャオは一歩を踏み出せない。そんな情けない状況を小学生の甥に揶揄われる始末。ボロボロのバイクはハンシャオの姿そのものである。
中朝国境にある長白山中のカルデラ湖天池は、3人が氷の壁に閉ざされていることのメタファーである。中盤では、3人が氷のブロックで作られた迷路を彷徨うシーンも挿入される。3人は天池に向かい、道中でハオフォンは檀君の誕生を巡る桓雄と熊女の神話を開陳する。
(以下では、結末に関わる内容についても言及する。)
長白山中で3人は熊と遭遇する。それは擬似的な死である。ハオフォンが紹介する檀君神話に託ければ、「人間」への転生とも言えよう。3人はそれぞれの桎梏から抜け出し、新たな生を始めることが可能となる。