展覧会『ダニエル・オーチャード「Mother of Gloom」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリーペロタン東京にて、2024年9月12日~11月10日。
母性をテーマとした絵画で構成される、ダニエル・オーチャード(Danielle Orchard)の個展。
《Laundress》(1549mm×1466mm)は室内に置かれた赤いヘッドボードのベッドで背を凭せ掛けて坐る妊娠した女性を描いた作品。彼女のネグリジェの前が開け、乳首が黒ずむなど変化した乳房と大きく膨らんだ腹とが見えている。ベッドに寝そべる裸体女性像として、フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)の《裸のマハ(La Maja desnuda)》の流れを汲む。《裸のマハ》は1:2の画面に合せ横からベッドとモデルの全身を捉えるのに対し、《Laundress》ではほぼ正方形の画面に縦にベッドと女性の身体が捉えられている。角度の点からアンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna)の《死せるキリスト(Cristo morto)》に引き付けられていると言っては曲解に過ぎようか。《裸のマハ》のモデルは鑑賞者(作者》に視線を向けるのに対し、《Laundress》の女性は画面右下方向に無表情な顔を向けている。右下には彼女の足が位置するが、画面から切れて彼女の足先を目にすることは叶わない。それは出産という近未来のイメージが摑めない女性の不安を表象する。臍や右太腿の上、腰の周囲には生まれてくる子のための色取り取りの小さな服がある。「洗濯女(laundress)」という画題と相俟って、子供の世話が彼女に委ねられていることを示唆する。彼女の姿勢に吊り床との類比を見ることが可能であるが、むしろ彼女は揺り籠として、出産・育児の不安に揺れている。
《Quickening》(1930mm×1524mm)には、乳房と肩を覆う薄い布以外は何も身に付けていない妊娠した女性が窓辺の椅子に坐る姿が描かれている。妊娠により体つきが脹よかになっているためもあるが、パブロ・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso)の新古典主義時代の絵画を想起させるイメージである。彼女が目を閉じているのは、胎児が動くの(Quickening)を感じていることを示す。彼女の左手が置かれるテーブルには紫の花が活けられるとともに、寝そべる1匹の猫が乳房を1匹の小さな白蛇に吸われている。授乳という女性の近未来の姿が示唆される。足元に敷かれた赤いラグの上には卓上に飾られたのと同じ花が1輪落ちている。胎動による心理的な動揺を映し出す。
表題作《Mother of Gloom》(1676mm×2184mm) には、月夜に開け放たれた窓の傍らにあるベッドで横になる妊娠した女性が描かれる。右腕を持ち上げて横たわる女性をほぼ横方向から捉えているために、《Laundress》よりもゴヤの《裸のマハ》のイメージに近似する。腹から下がシーツに覆われているために腹部は見えないが、満月に呼応する丸い乳房の黒い乳首により妊娠が明らかである。ベッドサイドテーブルには水の入ったグラスや花とともに酸漿のようなものが描かれる。外性器のメタファーであり、セックスと切り離された妊娠を暗示する。暈をかぶる受精卵のような満月の傍には、妊娠した女性のシルエットが浮ぶ。満月の夜の幻想という点でアンリ・ルソー(Henri Rousseau)の《眠るジプシー女(La Bohemienne endormie)》に通じるものがある。横たわる女性は宙空の腹部に透けて見える胎児を眺めている。浮ぶ女性の身体には顔や乳房などが重ね合わされ、連綿と続いてきた出産する女性たちに思いを馳せていることが分かる。妊娠した女性もまたかつては母の胎内にいたことを想起する。部屋は母を育む胎内である。
《Persephone's Son》(1441mm×1549mm)は、砂浜で敷物の上に坐る母親と砂を入れたバケツを持って立つ息子とを描いた作品。母親の傍のザクロはペルセポネーのアトリビュートである。興味深いのは、《Persephone's Son》が「Cleavage Study」シリーズと並んで展示されていることである。ペルセポネーに恋したハデスは彼女を冥府に攫うが、その際に大地を引き裂いた。胸の谷間(cleavage)が冥府への入口に擬えられているのである。《Persephone's Son》にはペルセポネーの胸の谷間のみならず、背後の山や息子のバケツの砂に穴が穿たれている。