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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 松平莉奈個展『天使・花輪・ケンタウロス』

展覧会『松平莉奈展「天使・花輪・ケンタウロス」』を鑑賞しての備忘録
日本橋髙島屋本館6階美術画廊にて、2024年10月30日~11月4日。

背中に翼を生やした人物(天使)や下半身が馬になった人物(ケンタウロス)をモティーフにした絵画を中心に、木製の円錐を支持体に描画した作品や、木粉粘土製の掌サイズの山水のレリーフも併せて展示される、松平莉奈の個展。

《怖くない天使》(394mm×279mm)は、青みがかった灰色の和紙(坂本直昭の染描紙)に橙色の翼を生やした2人の人物が燭台を手に画面左から右へと歩く姿がほぼ真横から表わされる。中国の古い衣装と思しき灰色の貫頭衣がすらりとした人物にフィットする流麗な線を描き、腰の位置で折れ曲がることで持ち上がった右足の踵とともに動きを表わす。前を向いて進む左(手前)側の人物の顔を、僅かに後れて歩む右(奥)側の人物が見詰めている。それは信頼の眼差しであり、その眼差しが注がれることにより半歩先を行く人物も躊躇うこと無く足を踏み出すことが出来る案配だ。お互いの存在により2人は「怖くない」のである。オレンジの翼は燭光と連れという推進力を得たことの象徴かもしれない。2人以外に表わされるモティーフはない。支持体である灰色の紙の木目が景色となり、茫漠とした闇を廃墟にもグロッタにもする。衣装と床(地面)に差されたオレンジが蝋光の映じる様を表現し、画面に温もりを添える。
《怖くない天使》の類例で対となるのが《司書の天使》(394mm×279mm)である。橙色の翼を生やした2人が1巻の巻物を拡げて眺めている。裾が流麗な線の連なりへと解かれるように描かれ、2人は宙空に浮くことが示される。それは書を繙くことのメタファーであるとともに、知を得てより広い視野を獲得する――より高みにあって世界を俯瞰する――ことを暗示する。《怖くない天使》と併せ見れば、巻子本は燭台に等しいことは明らかである。知(lumière)は光(lumière)なのだから。

《ニューオランピア A》(320mm×1400mm)と《ニューオランピア B》(320mm×1400mm)はエドゥアール・マネの代表作(Édouard Manet)の《オランピア(Olympia)》(1863)を下敷きにした作品。《オランピア》が当初、非難囂々で迎えられたのは、手本としたティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)の《ウルビーノのヴィーナス(Venere di Urbino)》(1538)のような神話に託けた理想化されたヌードとは異なり、娼婦の生々しいヌードを明け透けに表現したためであった(三浦篤エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』KADOKAWA角川選書〕/2018/p.54-57参照)。《ニューオランピア A》は寝そべる女性を描くが、西洋人ではなく東洋人である。また、ヌードではなく着衣であり、秘部を隠す必要が無く、両手を頭の後ろで組んでいる。お腹が大きく膨れているのは妊娠しているためだろう。さらに彼女が寝ているのはベッドの上ではない。オレンジ色を背景に孔雀の羽根のような植物が唐草文様のように取り巻いている、抽象的な空間である。黒猫の存在が《オランピア》との連関を示唆する。《オランピア》同様、娼婦を描いているとして、江口の君(遊女)が普賢菩薩であるという「江口」の物語に引き付ければ、橙の光(lumière)で充たされた画面に啓蒙(lumière)を見ることはできる、とは牽強附会が過ぎようか。むしろ、生命力の象徴たる唐草模様と相俟って妊娠の表象により、男性優位の眼差しを、原始の地母神的な観点から見詰め返す作品と見るべきであろうか。
《ニューオランピア A》とは逆に右側に頭を配した、左肘を突いて横たわる女性を表わした《ニューオランピア B》と組として展示されている。ワンピースの腹部が膨れており、やはり妊婦のようである。両者が寒山拾得の見立てなら、文殊菩薩普賢菩薩とに通じることになろう。

作家にとって対は重要である。《森のなか A》(540mm×334mm)と《森のなか B》(540mm×334mm)とでは、ベージュに銀で半ば抽象的に森の陰影を表現した中に朱で下半身が馬になった人物(ケンタウロス)をそれぞれ表わしている。弓を手に向かい合うように並ぶ2点は仁王や狛犬を想起させる。口を開いたり閉じたりはしていないが、弓に矢を番え、あるいは弓を構える姿に、阿形・吽形を読み込むことは不可能ではあるまい。世界の始まりと終わりのメタファーである。《私たちはここで》(530mm×727mm)は1画面に坐るケンタウロスと立つケンタウロスを表わした類例作品である。

《花輪》(1623mm×1623mm)には3人の羽根を持つ人物(天使)が円を成すように配され、ピンクと青を差した白い気流、そして背景のくすんだ淡い青緑と相俟って、永遠を象徴するフラワーリースのような画面を構成している。中央には星空を背景に須弥山らしき山容が覗く。流れる星は流星ではなく星の運行の表現であろう。作者にとって3は完全性の象徴なのだ。3体のケンタウロスが描かれる絵画(530mm×455mm)の題名は《また会おう》と、輪廻を示唆する。