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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 ロビィ・ドゥウィ・アントノ個展『Lunar Rituals』

展覧会『ロビィ・ドゥウィ・アントノ「Lunar Rituals」』を鑑賞しての備忘録
NANZUKA UNDERGROUNDにて、2024年10月18日~11月17日。

暗い水辺を舞台に、月、女性、身近な生き物、さらには得体の知れない存在をモティーフにした大画面絵画などで構成される、ロビィ・ドゥウィ・アントノ(Roby Dwi Antono)の個展。

《Metamorfosa Masa》(2000mm×1800)には、夜の森の水辺で水に足を浸けて巨大な臓器に腰を下ろした、三頭身で表わされた女性が、膝に置いた頭蓋骨を眺める姿が表わされる。赤い満月が浮ぶが森の中には月明かりがほとんど届かない。明るいのは、女性のスカートから伸びる茎の先の双葉に載った月のような球体の輝きのためだ。「月」には陰裂のような裂け目があり、そこから膣分泌液のような透明な液体が滴り落ちている。
《Percakapan di Sisa Malam》(2000mm×1800)は、曇り空に満月が浮ぶ中、草地に置かれたベッドに3頭身の女性が腰を下ろして彼女の頭部より一回り小さい球体を抱えている。彼女の傍らでは幼い少女が別の女性の頭部を切開している。近くにはカーテンの開かれた窓が浮び、窓の内側(ベッドのある側》に、女性の頭部よりも一回り大きい月が煌々と輝いている。「月」の陰裂のような裂け目が、彼女を見詰めるように向けられている。「月」と女性との間には、巨大な人間の耳とコウモリの頭部を持つヒトデ型の生き物が佇んでいる。
《Tak Urung Kau Larung》(2000mm×1800)には、靄が掛かって朦朧とした満月の夜の峡谷に、女性の頭部だけが横倒しになって半ば水に浸っている。頭部は半分で割れて茎が伸び、葉の間から女性の頭部よりも二回りほど小さい明るい月が輝く。「月」には陰裂があり、そこから膣分泌液のような透明な液体が滴る。液体を受ける小さな滑り台が女性の左耳に設置され、液体が彼女の耳に流れ込んでいく。
《Sebidang Dadamu Koyak dan Nganga, Benderang Namun Luka》(2000mm×1800)では、夜の暗い水溜まりで、三頭身に表わされた白いワンピースを身につけた少女が、右手の巨大な蟹のような螯で魚を摑んでいる。横向きに倒れた魚は切開され、埋め込まれた輝く月のような球体の裂け目から、緑の茎を伸ばしている。茎の先に繁る葉が支えるシャボン玉のような透明な球体の中には胎児の姿が見える。画面手前では、その様子を窺う得体の知れない生物の後ろ姿が影として表わされる。
《Merekam Mekar Sekar》(2000mm×1800)には、湖岸に巨大な耳が散乱し、それぞれ耳に立つ少女が、女性の頭部の形をしたガラスのような透明な器に頭を突っ込んでいる姿が描かれる。容器の中には半ばまで透明な液体が湛えられ、植物を生やした臓器が浮かぶ。1本の茎が器に上の穴から抜け出て輝く月を咲かせている。
《Mengurai; Memburai》(2000mm×1800)は、暗闇の水辺に倒れる爬虫類の腹を切開する、三頭身の少女の姿が表わされる。彼女は管を左手で摑み、右手に持ったピンセットで臓器の一部を摘出している。脇に立つ怪獣の被り物をした小さな少女が臓器の一部を手にして、看護師役を果している。開腹された生き物の中には小さな少女が坐り、彼女が胸に抱く臓器から延びる月のような球体が「手術」のための光源を提供する。さらに開腹された生き物の皮膚を支え持つ少女の姿もある。
本展のメインヴィジュアルに採用されている《Dekap Erat, Dengar Derap Memekat》(2000mm×1800)には、夜の水溜まりで、三頭身で表わされた幼さを感じさせる女性が自らの背丈より大きい輝く「月」を体の前で抱え、その反対側で水に足を浸して立つ少女が陰裂のような裂け目から「月」の中を覗き込む姿が表わされている。

受精卵を想起させるような月は陰裂を備え、生殖のテーマが明確にされる。生を象徴する水の流れは、死を象徴する頭蓋骨とも繋がれ、生命の循環を表わす。山野の自然の中のベッドやガラス器のような人工物、三頭身化による幼さと切開などの冷酷さなどのコントラストが、空に浮ぶ月を地に引きずり下ろすことで照らし出される。時折現われる巨大な耳は、とりわけ《Percakapan di Sisa Malam》に登場するキメラによって、バカンティマウスを示唆し、生殖に導入されるテクノロジーを想起させる。高さ2メートルの画面に幼い少女(ないし女性)を等身大以上に表わすこと自体、巨大化という生命の操作である。闇の中で進行する生命の実験は、欲望のままに発達する生殖補助医療のメタファーである。描き出された不穏な世界は、テクノロジーの発達に対する暗澹たる未来に対する懸念の表明かもしれない。