展覧会『Everyday Enchantment 日常の再魔術化』を鑑賞しての備忘録
シャネル・ネクサス・ホールにて、2024年10月19日~12月8日。
全ての存在の連関・相互作用に共存の可能性を探る、愛と魔術の考察を掲げ、ビアンカ・ボンディ(Bianca Bondi)、小林椋、丹羽海子の作品を展観。キュレーションは、長谷川祐子のキュレーター育成機関「Hasegawa Lab」出身の佳山哲巳とフィン・ライヤン。壁面や展示台に現われた円弧が全てのものの連関をイメージさせる案配。
【ビアンカ・ボンディ(Bianca Bondi)】
彎曲した壁全面に海底の写真を貼り付け、海藻など水中の有機物の写真を織り出したタペストリー(1000mm×800mm)4点がそれぞれ上下に設置された流木に張られている。海藻は光合成や呼吸といった酸素のやり取りを象徴する。生命の間におけるエネルギーの循環を引き寄せる。のみならず、酸化により酸素はあらゆる物質と結びつく。タペストリーに植物だけでなくビーズが飾られているのは、あらゆるものが酸素を介して連関することを象徴するのだろう。また、タペストリーに「引き潮(ebb)」と冠されているのは、あらゆる生命の誕生した海へ思いを馳せさせるためであろう。
タペストリーの掛けられた壁面の下には海砂が撒かれている。離れた位置に砂を盛り、大小の平鉢が複数置かれている。会場の白い床が海の拡がりに、砂の山はそこに浮ぶ島に見える。平鉢底には透明釉により水が溜まっているように見えるため、まるで雨水を受け止めているようだ。水の循環が表現されている。このインスタレーションに題された「漣(ripple)」という言葉には、影響関係や拡がりが託されているのだろう。
【丹羽海子】
何かを捧げ持っていたり、坐っていたり、驚いていたりと、様々な姿勢の「ダフネ(Daphne)」と称する小さな人形とともに、枝や草花などが、まるで頭や手脚を持つ人のように並ぶ。小さな人形とともに置かれた枝は時に巨人のような姿を見せる。植物は擬人化されて人との境界を越える。象徴的なのは、人形の少女と枝とが金属箔で一体化した作品である。少女の手足は枝となり、歪で不安定な長い手脚を周囲に伸ばす。人工物ではなく自然物によるサイボーグ化と言えよう。種を超えた連関という点で、魔術の象徴と言えよう。
【小林椋】
一部青などを着彩された白いプラスティック製のオブジェが金属製の台座の上をゆっくりと移動し、あるいは回転する。あるいはオブジェの一部に取り付けられた部品が前後に揺れ、あるいは回転する。虫の音を聞かせるスピーカーや、炎のように揺らめく光を発する照明装置を例外として、何かの用途を有しているとは思われない装置である。強いて言えば、特定の目的を遂行するための効率を追求する技術を用いながら、それに反することが狙いである。技術の背後にある合理性、理性に対する忌避。作家の構築する、主体ではないオブジェ(客体)たけの世界に何故か心安らぐのは、ヒューマニズムの否定の感覚に囚われるためであろうか、それともその反対であろうか。
驚くべきは参加作家の名前である。丹羽海子の「海」がビアンカ・ボンディの海をモティーフとした作品に、ビアンカ・ボンディの白(bianca)が小林椋の白いオブジェに、小林椋の木々(木木木)が丹羽海子の植物へと連関する。何よりビアンカ・ボンディが全ての絆の形成("bondi"ng)に寄与しているのは見逃せない。存在の大いなる連鎖だ。