展覧会『安部公房展 21世紀文学の基軸』を鑑賞しての備忘録
神奈川近代文学館にて、2024年10月12日~12月8日。
生誕100年を迎えた作家・安部公房(1924-1993)を紹介する企画。序章「世界文学としての安部公房」で各国語に翻訳された作品の書籍を展観した後、ほぼ時代順に、満洲と内地を往き来した生い立ちを辿る第1章「故郷を持たない人間」、埴谷雄高の推薦で「終りし道の標べに」で作家デビューした時期を中心とする第2章「作家・安部公房の誕生」、ラジオやテレビ、映画や演劇での活動を紹介する第3章「表現の拡がり」、自ら立ち上げた劇団の活動を取上げる第4章「安部公房スタジオ」、いち早く導入したワープロや夢の内容を記録する音声レコーダーなど創作の道具を展観する終章「晩年の創作」で構成される。第1会場の最後(第3章の後)には装幀や挿絵を手掛けたほか、舞台美術にも手腕を発揮した妻・安部真知を取上げるコーナーも設けられている。
医師の父と作家の母の間に生まれ、幼少期を奉天(現在の瀋陽)で過ごした。高校・大学を東京で過ごした後、再び満洲に渡っている。満洲の日本人とは武装した侵略移民に等しく、奉天を自らの故郷と呼ぶことはできないと、作家は後に述懐している。故郷喪失者、アジアの亡霊としての自己認識が、物と実在に関するライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)の詩、あるいは実存主義への強い関心に向かわせた。デビュー作「終りし道の標べに」に記される通り、「私にはもう《斯く在る》という事が理解できなくなってしまった」のである。
第3章の最後には、作家の娘ねりの「『ねり』という名前」という文章が掲げられている。自らの名の由来が宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』の主人公グスコーブドリの妹ネリにあると開陳した後、宮沢賢治は客観データを用いるように感情を排除しつつ感覚的な表現をする、そこにあるのは「科学的な方法と人間的なものを結ぶ思想」であると指摘する。
賢治についてのこうした傾向は、そっくり父に当てはまるところがある。昭和18年、19歳の誕生日に書き始められた処女小説「題未定(霊媒の話より)」は童話風の作品だ。曲芸団に暮らす孤児のパー公は、ある金持ちの家庭に憧れている。ああ、あそこの家の子供だったらどんなにいいだろう、と考える彼の目の前で、そこの家のおばあさんが車にひかれて死んでしまう。パー公はとっさに、おばあさんが乗り移った振りをして霊媒になりすます。こうして、あこがれの家庭に入りこんだパー公は、おばあさんとして大事にされる。おばあさんは死んでしまっているのに生きた存在である。だのに、パー公は生きた肉体ではあるが、死んだ存在なのだ。パー公は、たまらなくなってついにはどこへともなく逃げ出してしまう。生きている死者と、死んだ生者という初期の安部公房のテーマがそこに描かれている。
(略)
安部文学には、大きく3つの時期があり、それぞれの時期の作品の文学的な方法論は、その時代の状況を写している。そのことを象徴するかのように、父は作家として最初にワープロを使い始めた。死後、書斎から見つかった遺稿は、フロッピー・ディスクに中にあった。その中の「もくら日記」で父は〈感覚〉と〈感情〉を対比させ、それを脳の機能としてとらえている。この考えは、1951年に芥川賞を受賞した小説『壁―S.カルマ氏の犯罪』の骨格にもなっている。「もぐら日記」の中にはまた、「科学と人間」という講演の下書きがある。ここで公房が展開しようとしたことはまさに「グスコーブドリの伝記」ではないか。(安部ねり「『ねり』という名前」県立神奈川近代文学館他編『安部公房 21世紀文学の基軸』平凡社/2024/p.59-60)
「科学的な方法」を用いて「生きている死者と、死んだ生者」という人間の有り様を探究するのが宮沢賢治の、そして安部公房の文学なのだ。
『S.カルマ氏の犯罪』の背後には、賢治童話の細部がさまざまなかたちで息づいている。とはいべ、『カンガルー・ノート』が『銀河鉄道の夜』に対応するとすれば、『S.カルマ氏の犯罪』に対応するのは、賢治の童話群であるよりもむしり、詩集『春と修羅』の「序」と言うべきだろう。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)人はみな幽霊だと言っているに等しい。あなたもまた電灯(身体)ではなく光(霊魂)であって、たとえば電灯が消えてもその光は保たれるというのだ。賢治と安部、思想は同じでも、賢治は大いなる肯定に包まれ、安部は逆に疑惑と苦痛に苛まれているように見える。(三浦雅士『いまなぜ安部公房か?―漱石、賢治、安部公房という視点』県立神奈川近代文学館他編『安部公房 21世紀文学の基軸』平凡社/2024/49-50)
「人はみな幽霊だ」。安部公房は故郷喪失者、アジアの亡霊であるが故に、宮沢賢治とは異なって、「疑惑と苦痛に苛まれている」。
(略)たとえば何かをネットで検索しようとしていて、パソコンであれ、スマホであれ、出てくる画面が、こっちの意向に沿いすぎていてギョッとするということはいまや日常的に体験することだが、そのとき人は、自分が画面のこちら側にいるのかあちら側にいるのか、瞬間的に立ち眩みしているのだ。もう1人の自分――巨大な他者――が自分を知り尽くして操作しているのではないかと疑っているのである。人はそのとき、《斯く在る》自分の秘密に触っている。あなたが身体的に消滅しても、あなたのパソコンにはあなたのインターネット上の行為のすべてが記録されていて、視覚的も聴覚的にも触覚的にも、いつでも復元可能、再生可能なのだ。とすれば、あなたはいったい生と死のどちら側にいるのか? そもそも人類という概念、歴史という概念は死の別名ではないのか?
これは安部の小説が与える衝撃と同じである。安部はつまり、インターネットの先取りしてその不気味さと描いていると言っていいほどである。これが彼岸の構造なのだ。(三浦雅士『いまなぜ安部公房か?―漱石、賢治、安部公房という視点』県立神奈川近代文学館他編『安部公房 21世紀文学の基軸』平凡社/2024/45-46)
本展の終章では晩年の書斎が再現されている。「人類という概念、歴史という概念」を象徴するインターネットの祖型とも言える辞書・辞典の並ぶ机上には、ワープロが鎮座している。(現在の感覚からすれば)巨大な筐体のワープロは安部公房その人であり、その筐体を箱男と見ない訳にはいかない。箱男=安部公房の眼差しとは、文字通り死者の眼であり、死者たちの眼であり、俯瞰する眼である。それこそが私を成り立たせる。
意識という現象と、インターネットという現象は重なり合う。個の現象が集団の現象にまで拡張されるわけではない。少なくともそれだけではない。むしろ「知覚とは無意識の推理」という語が示唆するように、もともと意識、無意識という現象そのものが集団の現象と言っていい側面を持っているからである。つねにパーセントで示される世論なるもの不気味さについて考えてみるがいい。「無意識の推理」は自分にではなく身体という自然に属しているのだ。さらに言えば、類に、集団に、国家に、自分を超える広がりに属している。《斯く在る》ことの不気味さは、したがって、自己の秘密のみならず国家の秘密、宇宙の秘密に直通しているのだ。(三浦雅士『いまなぜ安部公房か?―漱石、賢治、安部公房という視点』県立神奈川近代文学館他編『安部公房 21世紀文学の基軸』平凡社/2024/p.42)
「《斯く在る》ことの不気味さ」を描き出すのが安部公房作品の魅力である。