展覧会『束芋「そのあと」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー小柳にて、2024年10月5日~11月16日。
ドールハウス、標本容器、机、図面、絵画などに投影したアニメーションで構成される、束芋の個展。
《知覚幽閉》は、フランスのモンンモリヨンの小さな学校の平面図。脇に"cooperation pédagogique"との記載があり、協同学習の場として計画されたものらしい。塀に囲われた敷地の北西の角に赤い屋根の校舎、北東の角に囲いのある場所といくつかの小屋らしきものがあり、南側には東側に大きな樹木が2本立つ校庭が拡がる。この図面に身体の一部が現われては消えるアニメーションが投影され、「知覚幽閉」というタイトルと相俟って、学校が身体や行動を馴致する場であることが浮かび上がる。
《夜と赤》は赤い屋根を持つ2階建てのドールハウスに、眩しい月が浮ぶ雲の多い夜空の景観が投影される。花柄の壁紙の部屋には時として蝶が舞い守宮が這う。光の明滅が置き、暗くなった室内に金魚(オランダシシガシラ?)が泳ぎ始める。建物の中を游泳した金魚はいつしか外へと出て行き雲多い空に浮ぶ。もこもことした雲は波にも見えて来る。赤い屋根の家を《知覚幽閉》の赤い屋根の校舎と見立てれば、金魚に変じれば自由に泳ぐことができることが示唆される。知覚の解放に必要なのは想像力1つ。あるいは世界が水没するなら人は水中に暮らせば良いという、安部公房的思想の提示でもあるかもしれない。
《山のあなた》は、高台に張られたテントとその背後に聳える連峰を描いた円形画面の絵と、燃焼用アルコールやビーカー、さらには三角形の面を持つ白い陶器などが並べられた卓と卓の接する壁面に投影されるアニメーションから成る。題名からカール・ブッセ(Carl Busse)の詩「山のあなた(Über den Bergen)」が発想の源であるのは疑いない。人の起臥するテントと高峰との三角形の相似は、幸せ(das Glück)をここにはないどこかに求めるのではなく起居するこの場に求めるべきことを暗示する。卓上に置かれた白い陶器は手前のものがテント、奥のものが連峰であり、絵画の再現であることが明瞭である。ガラス壜は空虚さであり、アルコールはその空白を充たそうとする欲求が人を突き動かすエネルギ-であることを表わすのではないか。投影されるアニメーションは、鶏卵を割って中身が卓から零れ落ちていく、回転する水の玉から流れ落ちる水が「上昇」していく、などの場面から構成され、生命の循環の表現のようだ。幸福を求めての旅路が蜿々と繰り返されるのであろう。
《ホルマリンに聞く》は、透明の液体で半分ほど満たされたガラス製の標本容器に昆虫や植物らしき生命のイメージが投影される。何かは判然としないが、生命体の器官と思しきものが繰り返す収縮が生きていることを伝える。 生物の組織標本の固定・防腐処理に用いられるホルマリンをタイトルに冠しているのは、連綿と続く生命には過去が死ぬことはなく生き続けることが訴えられているような気がしてならない。
《にじむとき》は、電車で眠る女性の姿を描いた絵画に、彼女が呼吸するような効果を与える映像が重ねられた作品である。ここにも眠りが象徴する死に対して、呼吸という生命活動が賦与されている。
《隅の思い出》は、額縁で囲われた画面に細かいタイルで覆われた薄暗い空間が投影される。壁から水滴が零れ落ちる。その空間に弄るような動きをする手や足が現われる。知覚の幽閉の表現であり、冒頭の《知覚幽閉》へと回帰する。
《壁の話》は、ギャラリーの壁面に投影された、花の映像である。無数の葉と茎との間の蕾が1つずつ開いては閉じていく。続いて花が落下し、積み重なっていく。全ての花が落ちると、今度は花が浮上してもとの場所へと戻って行く。輪廻の表現である。それと同時に、《知覚幽閉》から《隅の思い出》への連関構造を支えもするのである。そして、《壁の話》の壁は、《夜と赤》のドールハウスの壁と同じであり、鑑賞者自身が作家の世界に閉じ込められているという結構に気付かされるのである。想像力を駆使して、幽閉された知覚を解放し、幸福を手にするよう作家は鑑賞者に促すのである。
おあとがよろしいようで。