可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ぼくとパパ、約束の週末』

映画『ぼくとパパ、約束の週末』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のドイツ映画。
109分。
監督は、マルク・ローテムント(Marc Rothemund)。
原作は、ミルコ・フォン・ユターセンカ(Mirco von Juterczenka)とジェイソン・フォン・ユターセンカ(Jason von Juterczenka)の自伝"Wir Wochenendrebellen"。
脚本は、リヒャルト・クロプ(Richard Kropf)。
撮影は、フィリップ・ペシュロー(Philip Peschlow)。
美術は、ウーヴェ・シエラスコ(Uwe Szielasko)
編集は、ハンス・ホルン(Hans Horn)とクリス・ミュールバウアー(Chris Mühlbauer)。
音楽は、ジョニー・クリメック(Johnny Klimek)とハンス・ハフナー(Hans Hafner)。
原題は、"Wochenendrebellen"。

 

ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデーリバージェイソン、ハッピーバースデートゥーユー。ミルコ(Florian David Fitz)とファティメ(Aylin Tezel)が歌い、幼いジェイソンに代わってケーキに立てた蝋燭の火を吹き消す。誕生日プレゼントの鉄道の玩具を拡げる。橋を架けるからレールをお願い。ファティメがジェイソンに頼む。ここは駅かな? ミルコが駅を置く。ジェイソンは積み重ねたレールを前にただ体を前後に揺するだけ。大丈夫?
ミルコとファティメはジェイソンを伴ってフォルケ医師(Milena Dreißig)を訪ねる。自閉スペクトラム症は通常の人にとっては理解しにくいものです。息子さんと私たちとは認識が全く異なる可能性があります。どういうことです? 私たちが気にならないような音でも息子さんにとっては非常に耳障りです。同い年との交流にも支障があるでしょう。全て文字通りに受け止めてしまって、人付き合いに必要な感情のシグナルを捉え損なってしまいます。他方で、数学、物理学、音楽などに特別な才能を示すこともあります。いずれにせよ、日常生活を送るためには決まり事をきちんと守らなければなりません。ずっとこのままの状況が続くでしょうか? 正確な成長は予測できません。自閉症は障害ですから治すことはできません。
ミルコとファティメは自閉症について調べる。ジェイソンに必要なものを全て与えて、彼の人生をできる限り良いものにしましょう。約束よ。約束する。
ルーシー(Florina Siegel)が生まれ、一家は新居に引っ越した。ミルコが荷物を運び込み、ファティメは壁に家族の写真を飾る。10歳になったジェイソン(Cecilio Andresen)は家族のルールを記した紙を冷蔵庫に貼り付けた。
ミルコは早朝に家を出て車でボボズベストバーガーのチェーン店の1つを訪れる。ボボズベストバーガーへようこそ。ジェシー(Janina Kranz)です。ご注文は? 統轄マネージャーのミルコだ。各地の支店を監督してるんだ。店長は? 後ろで泣いてるよ。何だって?店長! マンフレッド! ミルコ! どうしたんだ? 来店するって連絡したろ? …そうだった。大丈夫か? ああ。奥さんにお土産。ありがとう。用件は? この店舗のオンラインでの評価が散々でね。やる気のない無愛想な店員がいるって。ボットなんじゃね? ジェシー、批判の内容は具体的なんだ。鼻ピアスをした女性に対応の不味さを指摘したら不機嫌になったって。私じゃないわ。うちのチェーンで鼻にピアスをしている店員は君以外にいないんだ。顧客ファーストがボボズの基本。ボボズの基本? 研修で習ったろ? 研修なんて何もしてもらってないけど。店長は妻が出て行ったと嘆き、ミルコの渡した土産のスパークリングワインを開けて呷る。ミルコは店長をバックヤードに連れて行く。ジェシー、今は君が店長だ。うまくやれよ! OK! ジェシーは丁度来店した客を気分良く迎えた。
何て言ったっけ? 私は最高だと。それから? アルコールは駄目だと。それから? 美しい女性は溢れている。ミルコは店長を励まし、店を後にする。
夜。ミルコが車を走らせる。目的地ホテルムンドまで10kmです。暗い車内にカーナビの音声が流れる。
ファティメがルーシーを寝かしつけ眠っていると、寝室のドアが開いた。ジェイソン、どうしたの? ビッグクランチについて説明したい。夜中の4時よ。まだ3分ある。明日の朝は? 暦の上では明日まで20時間3分。眠ってからにしたいってことよ。
結局ファティメは宇宙に関する絵やグッズが所狭しと飾られたジェイソンの部屋へ。宇宙がどのように終わるかに関しては様々な理論があるんだよ。宇宙は絶えず膨張してる。未知の暗黒エネルギーが膨張を惹き起こしてるんじゃないかって言われてるんだ。だけど急に膨張が止まって収縮するかもしれない。そしたら宇宙が終わってしまう。星と星とがぶつかって、全ては1つのブラックホールに呑み込まれて、永遠に消え去ってしまうんだ。おやすみ。もう朝だけど。
ホテルの1室。ミルコはアラームで眼を覚まし、シャワーを浴びて歯を磨く。食堂に行き、ビュッフェ形式の朝食をとる。キャリーケースを引いてホテルを後にした。
ジェイソンが朝食をとっていると、ルーシーが食べ物をテーブルに溢してしまう。ママ! ファティメが台拭きで拭おうとするとジェイソンが制止する。ファティメがフォークで掬って食べる。ジェイソンは赤ん坊のルーシーに食事の決まり事を説明する。1つ、3日経過した場合を除いて食べ物を捨ててはいけない。2つ、肉料理は週に2回まで。牛肉1kgあたり15000リットルもの水が必要だからね。3つ、使い捨てプラスティックは使用しない。4つ、皿の上の料理の互いの接触禁止。分け合うのも駄目。食事が終わった後なら残り物だから食べてもらうしかないけどね。
ジェイソンは母親に靴紐を結んでもらう。ベルクロスニーカーにしたら? 子供扱いされるのが嫌なジェイソンは拒否する。ファティメはルージーを抱っこしてジェイソンをバス停まで送る。バス停のベンチには一足早く訪れた年配の女性(Sabine Barth)がジェイソンの指定席に坐ってしまった。ここは僕の席、どいてよ! ジェイソンが激昂する。

 

ミルコ(Florian David Fitz)とファティメ(Aylin Tezel)の息子ジェイソン(Cecilio Andresen)は、自閉スペクトラム症。他人の気持ちや言葉の綾をうまく理解することができないし、普通の人なら気にならない音が耳障りになる。環境問題に配慮した食事に関するルールなど、決められた生活のパターンを厳守することで日々をやり過ごしている。たとえ赤ん坊の妹ルーシー(Florina Siegel)でも決まり事を破られるのは我慢ならない。バス停の指定席を奪われると癇癪を起こす。それでも宇宙について強い関心を持ち、10歳とは思えないほど豊かな学識を持つ。子供っぽい振る舞いをする癖に、子供扱いされるのは大嫌いだ。非科学的な陰謀論者だと非難された教師(Leslie Malton)がジェイソンの両親を呼び出す。協調的に授業に参加できないのなら特殊学校に移ってもらうと宣告された。ジェイソンはお気に入りのサッカークラブを決めるためホームゲームを観戦したいと訴えた。生活のため翻訳家を諦め、ボボズベストバーガーの統轄マネージャーとして国内を飛び回り、ファティメに子供たちの面倒を任せっきりにしていたミルコは、級友や教師に忍耐強く接することを条件に、毎週末サッカースタジアムに連れて行くとジェイソンに約束する。3部リーグまでの全56チームだと言われたミルコは約束した手前、要求を呑まざるを得なかった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

自閉スペクトラム症のジェイソンは、バス停の決まった椅子に坐れなかったり、皿の料理が混ざっていたりすると、癇癪を起こす。決まった行動をすることで何とか日々をやり過ごしているからだ。
習慣化しているからこそ何とか続けられることは誰にでもあるのではないか。いったん中断してしまうと面倒になり、再開が辛くなる。そのような事態を避けるためにも決まったパターンを只管繰り返すことには意味がある。
とは言え、ジェイソンの拘りに付き合うのは並大抵ではない。バス停や食堂車で居合わせた人たちが我が儘だとか独裁者だとか非難するのも無理からぬと思えるくらい、ジェイソンの拘る内容や激昂は理不尽に思える。衝突は至る所で起き、世界はブラックホールに呑み込まれてしまう。だからこそ自閉スペクトラム症に対する理解が必要となると本作は訴えるのである。
障害や病気や死などは、明るい社会から隔離され、言わば闇の領域へと追いやられている(因みに冥王星が2006年に惑星から準惑星へと変更されたことをジェイソンが残念がるのは、特殊学校へと転校を迫られることの伏線だ)。だがあまりに明るくなった社会では闇の中にある光――星やオーロラの輝き――をも同時に見失ってしまうだろう。
ジェイソンとミルコが利用する鉄道路線とその駅は恰も星座のようであり、父子が訪れるサッカースタジアム――とりわけヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & de Meuron)の手掛けたアリアンツ・アレーナ――は惑星に擬えられよう。宇宙にはそれぞれに異なる特徴を持つ星が無数にある。人もまたそうだろう。
ラインハルト・ジーベン教授(Tilo Nest)はかつて誤りと考えられていたカオス(Chaos)が現在では自然の構成要素とされていることを指摘する。それは、自閉スペクトラム症を抱える人が社会に受け容れられる状況のメタファーとなっている。