可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『イマジナリー』

映画『イマジナリー』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のアメリカ映画。
104分。
監督は、ジェフ・ワドロウ(Jeff Wadlow)。
脚本は、ジェフ・ワドロウ(Jeff Wadlow)、グレッグ・アーブ(Greg Erb)、ジェイソン・オレムランド(Jason Oremland)。
撮影は、ジェームズ・マクミラン(James McMillan)。
美術は、メイガン・C・ロジャース(Meghan C. Rogers)。
衣装は、ユーリン・コレット・ハフキー(Eulyn Colette Hufkie)。
編集は、ショーン・アルバートソン(Sean Albertson)。
音楽は、スパークス&シャドウズ(Sparks & Shadows)。
原題は、"Imaginary"。

 

夜。アパルトマンの室内。廊下の曲がった先にある、笑う花のステッカーが貼られた小さな扉から、ジェシカ(DeWanda Wise)が抜け出してくる。ゲームから抜けちゃってごめん。廊下の壁には描くもの、燃やすものなどと幼い字で描かれている。父親ベン(Samuel Salary)が繰り返し大丈夫だと叫ぶのが聞こえてきた。居間に行くとテーブルの上に歯を抜き取った血塗れのペンチが置かれていた。父親が突然現われ、お前の友達は2度と戻って来ないと言う。父親は馬鹿でかい蜘蛛に変じ、悲鳴をあげてジェシカが逃げる。いつしか違う建物を彷徨っている。扉を開けると、自宅の寝室で、眠っているマックス(Tom Payne)に起きるように声をかける。そのとき追ってきた蜘蛛の怪物にジェシカは襲われる。
悲鳴とともに起き上がるジェシカ。陽差しが入り込む寝室のベッドにいた。悲鳴で起こされた隣のマックスが大丈夫かとジェシカに声をかける。また蜘蛛か? ジェシカが頷く。害虫駆除業者を呼んだ方がいいんじゃないか? 巫山戯ないでとジェシカが笑う。セラピストを変えるわ。またか。もう悪夢は見ないと思ってたんだけど。だんだん気分が沈まなくなってたから。絵本も完成させたしね。部屋には『ムカデのモリー:青いドア』が置かれている。この部屋が問題なんだ。引っ越そう。前妻とのあれこれでストレスが溜まりすぎなんだ。荷物も大してないし引っ越しを早めよう。問題無いだろ? 準備がまだ整ってないわよ。壁も塗りおえてないし。どうでもいいよ。娘たちにも煩わされなくて済むだろ。父のものが散らかってるわ。介護施設には収納スペースがないから。どうでもいいよ、ここよりましだろ。たしかにましな考えかもね。両腕を拡げたマックスにジェシカが抱きつく。
ベンが撮影した、ジェシカの幼い頃のヴィデオ。赤ん坊のジェシカが母親に抱き抱えられている。よちよち歩く。母親と一緒に絵を描き、シャボン玉にはしゃぐ。自転車に乗り、スプリンクラーで水を浴びる。スクールバスで学校へ通い、レモネードスタンドでレモネードを販売する。
かつて幼いジェシカが住み、介護施設に入所したベンが最近まで暮らしていた家に車が停まる。車から出てきたアリス(Pyper Braun)が大きい家ねと驚く。マルティプーを飼えるかも。良かったね。アリスの姉のテイラー(Taegen Burns)はぶっきら棒に答える。マックスとともに車を降りたジェシカが家を見詰める。ジェシカは病院から届いた父宛の手紙を確認し、階段脇の壁に幼いジェシカの身長の書き込みがそのままになっているのを見る。階段を上り、かつての自分の部屋へ。壁にはかつての落書きがそのままになっていた。ぜんぶかいたの? アリスがやって来てジェシカに尋ねる。私の仕業みたいね。しかられなかったの? たぶんね。ママが亡くなった後に一緒に住んだお祖母ちゃんは私が壁を全部キャンヴァスにしたってよく言ってたわ。おばあさんはやさしいかったんだね。わたしのママもびょうきでないときはね。アリスが左腕の火傷の痕を隠す。壁を塗ってなくてごめんなさいね。引っ越してきたときにあなたたち姉妹のための真っ新なキャンヴァスにしておきかたったんだけど。このえはすきだよ。じゃあ描き足せばいいわ。ここを自分の部屋にしたい、アリキャット? 悪いけど、私が部屋を選ぶの手伝うってアリスに約束したの。テイラーがやって来て話しに割り込んだ。廊下の端の大きな部屋がいいんじゃないかって。気味の悪い絵がないからね。それから、アリキャットは家族だけの呼び名だからね。テイラーが捨て台詞を残してアリスを連れていく。通りがかったマックスがジェシカに謝る。テイラーに辛く当たられても傷ついてない振りをするわ。マックスがジェシカを抱き締める。
ジェシカがヴィデオカメラで自分の子供の頃の映像を見ていた。どこで見つけたの? 荷物を運んできたマックスがジェシカに尋ねる。父の荷物の中に入ってたの。戻ってきてどんな気分? いいわ。ここで幸せだったんだって。ヴィデオを証拠よ。記憶は曖昧なんだけどね。5歳で出て行ったんだろ。その年齢じゃ何も覚えてないさ。この家をテイラーとアリスにとって素晴らしい環境にしたいの。失敗したくない。私が愛してるって分かって欲しい。娘たちには愛情を注ぐだけでいい、愛情を感じてもらえてるって信じるんだ。たいては恩を仇で返されるけどね。そんな。まあまあ、たぶん愛は思わぬ形で返って来るんじゃないかな。

 

絵本作家のジェシカ(DeWanda Wise)は、精神を病んだ父親ベン(Samuel Salary)や自らの生み出したキャラクターである蜘蛛のサイモンの出る夢に苛まれている。ミュージシャンの夫マックス(Tom Payne)に促され、ベンが施設に入居するまで暮らし、ジェシカも母親が亡くなった5歳まで住んでいた家に早々に引っ越すことにした。マックスには前妻サマンサ(Alix Angelis)との間に2人の娘がいる。かつてサマンサに虐待された幼いアリス(Pyper Braun)はジェシカに懐くが、15歳のテイラー(Taegen Burns)は転居により友人やホッケーチームから切り離されて孤独を感じ、ジェシカを家族と認めない。ジェシカとかくれんぼをしていたアリスは地下室の小部屋の中に置き忘れられたクマのぬいぐるみを見つけ、チョンシーと名付ける。ジェシカとベンはイマジナリーフレンドと過ごすアリスを微笑ましく思う。ジェシカはアリスがチョンシーとお茶会ごっごをしている声に誘われて部屋を覗くと、アリスではない人の声が聞こえた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ジェシカは悪夢に苛まれる。登場するのは、自らの絵本のキャラクターである蜘蛛のサイモンと、施設で暮らす父親である。絵本の締切りに追われる恐怖と、父親に対する負い目とが悪夢に形象化されている。夢において自分を追うものとは、その実、自分が追いかけるものではなかろうか。
ジェシカは5歳まで暮らしていた家に夫マックスと彼の連れ子のテイラーとアリスとともに引っ越す。家の壁には幼いジェシカの落書きがそのまま残されていた。父親のヴィデオカメラにより亡くなった母親と幸せな生活を送っていたことを知るが、ほとんど何の記憶もなかった。
ジェシカに記憶がないのは、その記憶が心の奥底に仕舞われているためである。ジェシカが5歳まで住んでいた家はジェシカの記憶であり、とりわけその地下室はジェシカが蓋をしている深層心理を象徴する。ジェシカが無意識に封じ込めていたトラウマが悪夢として姿を現わす。ジェシカが悪夢から逃れるためには、過去を清算しなくてはならない。
アリスはサマンサに虐待され、左腕に火傷がある。そのトラウマがアリスを孤独にする。アリスは地下室の小部屋の中に置き去りにされたクマのぬいぐるみを発見し、「チョンシー」と呼んで常に一緒にいるようになる。チョンシーはアリスの分身である。
ジェシカとアリスとは幼いときに母親と引き離された点で共通し、そのトラウマを象徴する疵痕がある。ジェシカはアリスに疵もまた自分の一部であると受け容れるよう促す。ジェシカはアリスに自らの幼い日々を見る。アリスは言わば幼いジェシカの鏡像なのである。
ジェシカの抱える不安は、母親といたときの記憶がほとんどなく、また5歳以降母親不在の生活を送った自分に、実の娘でもないテイラーやアリスの母親が務まるのかということである。ジェシカは正しく振る舞えているのかと葛藤しながらテイラーやアリスに向き合う。その姿こそ母親のものに他ならない。理想の母親という虚像が消えるとき、ジェシカは母親そのものとなる。