映画『ドリーム・シナリオ』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のアメリカ映画。
102分。
監督・脚本は、クリストファー・ボルグリ(Kristoffer Borgli)。
撮影は、ベンジャミン・ローブ(Benjamin Loeb)。
美術は、ゾーシャ・マッケンジー(Zosia Mackenzie)。
衣装は、ナタリー・ブロンフマン(Natalie Bronfman)。
編集は、クリストファー・ボルグリ(Kristoffer Borgli)。
音楽は、オーウェン・パレット(Owen Pallett)。
原題は、"Dream Scenario"。
ソフィー・マシューズ(Lily Bird)が自宅の庭で椅子に坐ってスマートフォンを眺めていた。プールサイドでは父親のポール・マシューズ(Nicolas Cage)が落ち葉を掃いている。突然、ソフィーの前のテーブルのガラスの天板が割れた。空からキーホルダーが落ちて来たのだ。悲鳴を上げたソフィに声をかけることもなく、ポールは落ち葉を搔き集め続けている。そこへ一足の革靴がプールに落ちて来た。さらに1人の男がプールに落下した。ソフィーが父親を呼ぶが、大丈夫と言って取り合わない。落ち葉が宙空に浮き上がり、ソフィーの身体も浮かび上がる。助けて! ソフィーが叫ぶがポールは娘を眺めるだけ。
そこで目が覚めたの。朝食をとるソフィーがポールに夢の話を伝えた。何故私は何もしなかったんだ? さあね。もう3回目じゃないか。何で私はいつも突っ立ってるだけなんだ? 夢のことで娘を責めないでもらえる? 妻のジャネット・マシューズ(Julianne Nicholson)がポールを窘める。父さんはそんな人じゃないって分かってるよな? 現実ではそんなことはないって。浮んでたら? 溺れかけたことがあったじゃないか。すぐ助けたろ? 4歳だったでしょ。その話は父さんから聞いた。一足早く家を出て行くハンナ・マシューズ(Jessica Clement)をジャネットが呼び止める。今夜はソフィーと留守番よ。明日の晩でしょ? 観劇は今夜だ。1人で大丈夫でしょ? 私は大丈夫。もう約束したでしょ? 分かったわ。ハンナが出て行く。
出かけようとするポールにジャネットが尋ねる。緊張してるの? いや、それほどでも。シーラ(Paula Boudreau)は理解してくれると思うし、謝ってくれるかも。録音したら? 本気か? 彼女の反応を聞いてみたいわ。それはなかなか剣呑だな。考えてみるよ。遅れるわよ。行ってくる。
オスラー大学の階段教室。ポールが進化生物学の講義を行っている。…適応戦略の観点から、シマウマの模様にはどのような意味があるだろう? 遠くから見つかってしまうのではとても機能的とは言えない。白黒の縞模様の有用性についてどう考える? 誰かいないか? 学生は黙っている。環境に溶け込むには効果的とは言えない。むしろ群れに溶け込むことが目的なんだ。捕食者は獲物を特定する必要があるが、群れ全体を攻撃することはできない。つまり目立つことは標的になることなんだ。ポールは女子学生(Star Slade)が隣の男子学生(David Klein)とお喋りしているのが気になっていた。集中! みんなで話し合おうか? すいません。君たちは話すべきでないときに話すことで自らを標的にしてしまったんだ。類比だと分かるか? 類比だと分かります。それでは、反対に目立つことが進化の利点になる例はあるかな? 別の男子学生(Kaleb Horn)が手を挙げる。交配です。その通り!
ポールがレストランに入る。ようこそマードレイへ。受付係(Liz Adjei)が迎える。予約してあるんだが。彼女はポールの姿に目を丸くする。どうした? 以前にお会いしましたっけ? 知らないがね。私はオスラー大学の教授だ。いいえ、訪れたことはありません。最近ご来店されましたか? いや。すみません。お見かけしたことがあると思って。ブライアン様? ポールだ。
窓際の席に案内されたポールは落ち着かない。迷った揚句にスマートフォンを取り出し、録音を開始してテーブルの脇に置いた。そこへシーラ(Paula Boudreau)が現われる。お会いできて嬉しいわ。久しぶりだな。見違えるところだったわ。髭のせいかな。というより、まるっと、ね。ここにはどれくらい滞在するんだ? 数日だけ。兄に会いに。まだオスラーにいるんでしょう? ああ。論文を発表するとか。ええ、総仕上げの真っ最中。どこから出すんだ? 『ネイチャー』よ。『ネイチャー』? 嬉しいわ、前の掲載から随分経ってしまったし。どうして連絡して来ないんだ? 何ですって? どうして私の名前が載らないんだ? どういうこと? 群知能だろ? 蟻の巣のアルゴリズム? ええ。私の研究に酷似している。大学院時代のこと? そうだ。君は老化以外に興味なかっただろう? 30年で興味の範囲も拡がったのよ。「アンテリジェンス」は使っているか? 私の造語だと知っているだろう? 「アンテリジェンス」は使っていないわ。着想と実際の研究とでは違うでしょ。研究しているさ、本がある。出版社は? 出版前に完成させたいんだ。出版社の都合に振り回されたくなくてね。草稿を拝見しても? 何故? 資料が必要なのかな? 大人になりましょうよ。進捗状況はどうなの? まだ執筆には着手してはいないが、全てが無駄になってしまう。完全な盗用じゃないか。
車の運転席で録音を確認したポールはスマートフォンをしまい、車を走らせる。
ポールが劇場の前で待っている。近くで煙草を吸っていた男がポールの顔をじろじろ
見た。ジャネットがやって来る。チケットはある? ええ。どうだったの? シーラと? そうよ。まあ解釈の問題かな。彼女は私の主張を完全に分かってくれたけれど、解決には至らなかった。そうなの? これからどうするの? 考えるよ。彼女、身構えてた? 録音したの? いや、倫理的にどうかと思ってね。入ろうか? ええ。2人は劇場に入る。
ポール・マシューズ(Nicolas Cage)はオスラー大学の進化生物学教授。蟻の群知能を「アンテリジェンス」と名付け研究しているが、論文や書籍などの形で成果は残せていない。大学院で同じ研究室に所属していたシーラ(Paula Boudreau)が『ネイチャー』誌に蟻の群知能に関する論文を発表すると聞きつけたポールは本人に盗用だと抗議する。だが着想だけのポールはシーラに太刀打ちできなかった。妻ジャネット・マシューズ(Julianne Nicholson)と劇場に出かけたポールはかつての恋人クレア(Marnie McPhail)に呼び止められる。最近、夢にポールをよく見るという。もっともポールは何もせずに通り過ぎるだけという。実は下の娘ソフィー・マシューズ(Lily Bird)からもポールに助けを求めても傍観するだけという夢を見たと伝えられていた。クレアから珈琲に誘われたポールがいそいそと出かけると、オンライン雑誌にポールの夢についての記事を載せたいと頼まれた。間もなくして記事を読んで夢で見たというメッセージがポールに殺到、メディアでも珍現象として取上げられ、ポールは一躍時の人となった。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
ポールは進化生物学の大学教授として、また夫としても2人の娘の父親としても、安定して穏やかな生活を送っている。娘のソフィーの夢で何もせず佇むだけのポールはその象徴である。枯れていく自らに不安をそこはかとない不安を感じていたところへ、かつての研究仲間であるシーラが自分の研究テーマで論文を『ネイチャー』誌に発表すると聞き、自己の能力について思い知らされる。友人であり学長でもあるブレット(Tim Meadows)との会話でも言及されるが、中年の危機(Midlife crisis)にある。ポールは中年の危機から脱しようと足搔く。
ポールの夢を見たというかつての交際相手クレアから珈琲を飲もうと誘いを受けたポールは、クレアとの何らかの関係を期待する(ジャネットには下心を見抜かれている)。だがクレアにポール自身に対する関心は無い。雑誌記事のネタにしたいだけなのだ。
(中盤以降の内容についても言及する。)
クレアの記事をきっかけに多くの人の夢に現われることが判明したポールは時の人になる。新興の広告代理店ソーツのトレント(Michael Cera)から商談を持ちかけられる。ソーツ社を訪れたポールは、若いアシスタントのモリー(Dylan Gelula)から性的な夢を見たと告げられる。青春を取り戻そうとするポールの願望は、自身の身体的な問題で叶わない。
千載一遇のチャンスに恵まれながら、自己の性的な欲望を達成できなかったポールは、チャンスが与えられなかった場合に比して心理的葛藤を高めてしまう。夢の中で凶暴化するポールの姿は、その象徴である。
日本ではかつて夢に現われた人は、夢に現われた人が夢を見る人に会いたがっていると考えられていた。そのような捉え方を踏まえれば、妻ジャネットの夢に現われないポールとは、妻に感心を持たなくなったポールの姿ともなり得る。
多くの人の夢にポールが現われるのは、クレアの記事に掲載されたポールの写真に触発されたためかもしれない。禿頭で顎髭を蓄えた中年男性(あるいは単に中年男性)を見た人々が、自分の見た者こそポールだと思いこんでしまったのではないか。さらには、そのような記事や報道に接するうちにポールのイメージを刷り込まれポールを夢に見る人が増えた可能性がある。
夢と現実は全く異なる世界である。少なくとも普通はそう捉えられている。もっともとりわけ強い印象を残す夢を見れば、その夢によって現実を解釈することはあり得る。夢の記憶は残りづらく、無意識のうちに影響を受けている可能性も考えられる。夢と現実とは截然と切り離すことはできないのではなかろうか。
情報の多くは直接の経験によるものではない。メディアを介して間接的に得ているに過ぎないのである。靴を履かずに外に出られないように、インターネット空間はオフラインの現実を構成している。
ならばインターネット空間ではなく夢をマーケティングに利用する「ドリームハウス」の技術は、正しく「想像の共同体」――オンラインに構成されるネイション――を構成する技術である。
夢でありメディアである映画もまた現実を構成する一部であることも間違いない。「ドリームハウス」は夢物語ではあるが現実となる可能性を秘めている。