展覧会『チェン・ウェイ「Sleepless Tonight」』を鑑賞しての備忘録
オオタファインアーツにて、2024年10月19日~11月30日。
写真と映像、LED作品で構成される、チェン・ウェイ(陈维/Chen Wei)の個展。
《Flowers on the Steps》(1500×1875mm)は、コンクリートの階段に置かれた緑、オレンジ、赤など色の異なる5つの傘を捉えた写真。最上段の4段目に4つの傘が置かれ、水を被せられている。垂れた水は階段の下へと流れ出す。水色(?)の1本は1段目の上でひっくりかえる。周囲は暗く他に何も無い。ただ自動車のライトを連想させる、横方向からの光によって傘と階段とが浮かび上がる。降雨や陽光といった自然現象ではなく、放水や投光といった作為が露悪的に表現されている点からは、10年前に起きた香港での大規模なデモを暗示するようでもある。いずれにせよ、放置された傘は人の不在を強く印象づける。
《Silent Bombs》(640mm×800mm)は出窓に積まれた書籍の上に置かれた6個のレモンの写真である。空色の柱と黄色いレモンとが爽やかな印象を生む。窓の外には枝葉がぼんやりと見える。全体にごく薄いカーテンが掛かる。書籍の中には中平卓馬の写真集も見え、日本の文化に対する嗜好が覗く。題名も梶井基次郎の短篇小説《檸檬》に基づくのだろう。靄がかかった状況を吹き飛ばす爆弾としてのレモンである。
《Front Door Nail》(600mm×600mm)は、黄色いランプが置かれているために、僅かしか開けることのできないドアの写真である。手前が暗い室内で、床に設置された黄色の電球が点灯している。内開きのドアが僅かに開き、明るい室外の光が僅かに漏れる。外界を閉ざす照明は、スマートフォンやラップトップの光を浴びる孤独な人を捉えた映像作品「Light Me」シリーズへと連なる。
「Light Me」シリーズは、暗い室内でスマートフォンやラップトップを使用する人物が、液晶画面により色取り取りの光に照らし出される様を捉えた映像作品。彼/彼女らは部屋という箱からスマートフォンないしラップトップという覗き穴で世界覗く。安部公房描くところの、覗き穴を穿った段ボールを被って町を徘徊する「箱男」たちに擬えられる。《Light Me #210901》の部屋の窓はカーテンにより外界が遮され、カウチ(?)に腰掛けてスマートフォンを見詰める男性は、液晶画面の光を浴びながらスマートフォンの蔭となり顔が見えない。《Light Me #210902》では男性が床に坐って窓際のテーブルに置かれたラップトップを眺めるが、ラップトップの上の窓には視線を送ることはない。《Light Me #210903》にはスマートフォンを手にカウチに横たわる女性の後ろ姿が映る。窓に街灯が輝くが、窓は壁に掛けた写真のようでもある。フロアスタンドと街灯が照度を変えることで機械的な時間の経過を印象づける。視覚像にはイメージと現実との区別がない。街灯は月のメタファーとして、アンリ・ルソー(Henri Rousseau)の《眠るジプシー女(La Bohemienne endormie)》への連想を誘う。現実と夢ないし仮想空間との境界もまた截然としたものではない。
写真作品《Flowers of Silence》(1200mm×1500mm)では、床に置かれた桃の缶詰や卵などの箱とその上の花束とが右手の窓から射し込む光に照らし出される。床に敷かれた青、黄、白のタイルは液晶画面を連想させ、花束などのプレゼントの実物と対照をなす。贈り物の存在は人の不在を強調する。窓の黄色い光は、《Front Door Nail》の室内の黄色い電球と内と外とで反転する。あるいは入れ籠の関係に立つのであろうか。
「Trouble Garden」シリーズはLED板を立体的に組み合わせた映像立体作品である。LED板の彫刻を枯山水の岩のように配し、個々の彫刻の表面には抽象化された景観が光によって――ちょうど紙/絹に墨と明暗と反転させて――描き出される。《Trouble Garden: Falling Rain》(266mm×266mm×529mm)では縦に長いLED板を5枚柱状に組み立て、上から下へと光が流れることで降水を表現している。《Trouble Garden: Gentle Wind》(518mm×108mm×133mm)は壁掛けのLED板。右から左へと光が流れることで微風を表わす。《Trouble Garden: Firefly Lights》(161mm×161mm×308mm)は明滅する辺の光を四角柱の4面に表わしたもの、《Trouble Garden: Star Clusters》(325mm×219mm×160mm)は夜空の星の瞬きの表現である。前2者は流れる光、後2者は明滅する光であり、それぞれの対はよく似ている。すなわち等しさが強調されるのである。すなわち、光は、エネルギーであり、気である。
いかになる環境下においても芸術家は気韻生動を実現できる。世界が壁に覆われ闇に包まれても、それでも花を咲かせることはできる。止まない雨はない。フランス語で傘は"parapluie"。雨(pluie)に抗する(para)のが傘である。傘は反射光であり、花である。作品は、作家なりの、雨傘の、光の、花の革命だ。レモンが鑑賞者の脳裡に炸裂する。黄色い光を放って。