可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『雨の中の慾情』

映画『雨の中の慾情』を鑑賞しての備忘録
2024年の日本・台湾合作映画。
132分。
監督・脚本は、片山慎三。
原作は、つげ義春の漫画『雨の中の慾情』。
脚本協力は、大江崇允。
企画は、中沢敏明。
撮影は、池田直矢
照明は、舘野秀樹。
録音は、秋元大輔。
美術は、磯貝さやか。
装飾は、折戸美由紀。
衣装デザイン・扮装統括は、柘植伊佐夫。
スタイリストは、玉置博人と橋本ゆか。
ヘアメイクは、会川敦子。
小道具は、佐藤桃子。
VFXスーパーバイザーは、朝倉怜。
音響効果は、井上奈津子。
編集は、片岡葉寿紀。
音楽は、高位妃楊子。

 

水田地帯を抜ける道にあるバス停「妬卜杭」。猛烈な雨に打たれた女性(中西柚貴)が駆け込み、ずぶ濡れになった髪や服を絞っている。義男(成田凌)が女性の隣に駆け込む。稲光が走り、雷鳴が轟く。金物を付けていると危険ですよ。義男が女性に金属類を外すように言う。そのボタンも。彼女は服のボタンを外す。義男と女性は下着姿でバス停に立つ。ブラジャーの留め具も金具ですよ。彼女はブラジャーを外す。義男は屋根の上に古い自転車が打ち棄てられているのに気付く。落雷を懼れた義男は彼女の手を引っ張ると雨の中へ飛び出す。泥田の中へ駆け込むと、倒れ込んだ女性の尻が義男の目の前にあった。パンツもナイロンですね。擦れて静電気が起きます。義男は下着を脱ぐと、女性の尻からパンツを引きずり下ろし、後ろから彼女を激しく犯す。
義男と女性は滝の前で水浴びをして泥を流す。晴れ渡る空には虹が懸かる。
義男がベッドで目を覚ます。小さな七色の光が当たっていた。その光は少しずつ移動して缶詰を並べた棚、台所へと移動していく。義男がその光を捉えようとベッドから起き上がり、壁に手を伸ばすと、光は消えてしまった。画材などの棚で仕切った隣の作業部屋へ移動する。壁には様々な眼を描いた絵が掛けてある。すぐさま机に向かい、白紙を1枚取り出すと、線を引き、バス停のある道の絵を描き出す。夢中で描いていると、物音がする。セーラー服を着た娘が掃除に入って来て、汚いと文句を言う。勝手に入って来ないで。綺麗な方がいいでしょ。芸術空間なんだ。芸術空間? 少女はロールパンに竹ひごを挿したオブジェを手に取る。触らないで、後で食うんだから。イチゴジャムを持って来てあげる。おいっ! 掃除は終わったか? 咥え煙草の家主の尾弥次(竹中直人)が松葉杖を突いて現われた。尾弥次は娘に犬小屋の掃除を言い付ける。義男君、今は暇ですか? 車を運転してもらいたいんだよね。義男は尾弥次とともに長屋を出る。今、新しい漫画を描いているところで手が放せないんです。世話になった婆さんの頼みで引っ越しを手伝って欲しいんだ。僕1人ですか? 伊守君も一緒だ。家賃なんですけど、来月まで待ってもらえると…。尾弥次の家の前では娘が犬小屋を清掃している。他にもあるのか?
義男が尾弥次と伊守(森田剛)を載せて空色のピックアップトラックを転がす。酷く揺れる車中で伊守は本を読んでいる。
1軒の家の前に車を停める。福子ちゃん! 尾弥次が家に入って声をかけるが返事がない。尾弥次は脚の悪い自分に代わって義男に2階の様子を見てくるように頼む。伊守は車に酔って吐いていた。
義男が階段を登る。床が濡れていた。寝室のドアが開いている。義男が入ると、ベッドに裸の福子(中村映里子)が背を向けるように横たわっていた。福子の軀を食い入るように見詰める義男は、ベッドに近付きながら反射的に壁のポスターを剥がして床に裏にしておくと、ポケットから取り出した木炭で福子の軀を描き始める。壁に立て掛けた大きな鏡には、福子の裸を凝視する義男が映っていた。

 

漫画家の義男(成田凌)は芸術家肌で売れ筋の商業作品を描くことができず家賃もままならないほど困窮している。驟雨に見舞われずぶ濡れになった女性(中西柚貴)に雷を避けさせるとの名目で服を脱がせて無理矢理犯した話を夢に見た義男は、これ幸いと作品にすることにした。家主の尾弥次(竹中直人)から、夫を亡くした福子(中村映里子)の引っ越しを手伝うように頼まれる。行水したのか濡れたまま裸で寝ていた福子を目にした義男は、その姿を逃すまいと慌ててデッサンする。義男は、目を覚ました福子に触るんじゃなくて描くんですねと笑われた。同じく引っ越しの手伝いに来ていた小説家志望の伊守(森田剛)に、福子は夫を殺したんじゃないかと庭先の土の色が異なる部分を指摘され、義男はその考えを馬鹿馬鹿しく思いながらも囚われる。想いを見透かされる義男は、福子から馴れ馴れしく扱われるとともに、こんなところにいてはいけないと言われるが、どうして良いか分からない。義男は真夜中に一人福子の旧宅に向かい、土を掘り返す。白骨と赤ん坊の勘太を抱く福子の写真が出てきた。義男は福子が給仕するようになった喫茶ランボウを訪れ、出来上がったばかりの漫画「雨の中の慾情」を福子に渡す。ランボウの客たちは皆、福子の歓心を買おうと必死だった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

驟雨の中で見初めた女を激しく犯す。雨上がりの空に懸かる虹。夢から覚めると、七色の光を目にする。虹のような光を手に入れようと起き上がると、消えてしまう。すぐさま作業部屋で机に向かい夢を漫画に描き出す。夢、覚醒、空想が入れ籠で登場する。全ては視覚像として共通する。
作業部屋は義男の芸術空間であり、壁に貼られた無数の描かれた眼が義男を見詰めている。漫画家という世界を観察する義男は言わば眼である。そして自らが覗き見るように、自らもまた世界に監視されているに違いないと義男は思い込む。それが作業部屋を埋め尽くす無数の眼なのだ。実際、引っ越し作業で訪れた家で、義男は福子の裸体を窃視するが、ベッドサイドの鏡により、福子のみならず、福子を凝視する義男の姿もまた映し出され、福子から見詰め返されることになる。福子は義男に言う。触るんじゃなくて描くんですね。福子は七色の光=虹に等しい。触れようとすると消えてしまう。
伊守と福子が転がり込んできた後、2人の交合を義男は作業部屋の棚越しに盗み見る。その後、ふらふらと家を出た義男は酔って銭湯帰りの女を目にして、その後を追いかける。女は車に撥ねられ、泥田に落ちる。義男は自らが轢き逃げ犯として官憲に追われると思い込む。夢との境が曖昧になっていく。全ては視覚像として区別はないのだから、当然である。

(以下では、中盤以降の内容についても言及する。)

漫画家の生活自体が、兵士の見る夢である。娼館で出逢った女への追慕が、死線を彷徨う義男の中で幻想を産み出したのだ。雨とは降り懸かる戦禍のことであった。
兵士の夢見る、漫画家の描き出す、作品の中の世界と、入れ籠の関係はより複雑化し、その境界は定かではなくなる。それは映画の幻想世界に過ぎないのか。
映画は世界を映し出す鏡である。世界は単純ではない。情報が与えられれば与えられるほど却って複雑な世界を前に立ち竦み、分かりやすい因果関係に縋ってしまう。境界が流動的な入れ籠の世界では、分からないことを分からないままに受け容れる力(ネガティブ・ケイパビリティ)が試される。その力は映画館を出ても必要となるのだ。
日本語だけでなく中国語やロシア語も飛び交う、北町と南町という抽象的な場所を舞台に、主要な撮影地である台湾の光景も相俟って、実在しそうで実在しない曖昧な景色が拡がる。国境のイマジナリーな性格を浮かび上がらせることにもなった。