展覧会『ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965』を鑑賞しての備忘録
パナソニック汐留美術館にて、2025年1月11日~3月23日。
建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier/1887‒1965)の絵画、彫刻などを、フェルナン・レジェ(Fernand Léger/1881-1955)、ジャン・アルプ(Jean Arp/1886-1966)、ワシリー・カンディンスキー(1866-1944/Васи́лий Васи́льевич)ら同時代の芸術家の作品と対照しつつ、ル・コルビュジエの「諸芸術の綜合」の企図を紹介する。
第1章「浜辺の建築家」
世界恐慌後、絵画の自律性を追求する抽象絵画から、シュルレアリスム絵画への潮流の変化に併せ、自然界の原理が創作の着想源として注目された。ル・コルビュジエも、幾何学的構成によるピュリスム絵画から、貝、骨、流木などの有機的形態を「詩的反応を喚起するオブジェ」として作品に取り入れるようになった。
海岸の人物や浜辺で拾い集めた貝などのスケッチ[01-03]や8ミリフィルム(複製映像)[04]、「詩的反応を喚起するオブジェ」としての貝殻[10]などが有機的形態の作例であるジャン・アルプの彫刻《薔薇を食べるもの》とともに紹介される。続いて、ル・コルビュジエが「詩的反応を喚起するオブジェ」や女性などをモティーフとして描いた絵画[12-14, 16-17, 20-21]が、レジェの絵画《緑の背景のコンポジション(葉のあるコンポジション)》[14]やアルプの彫刻[15, 18]とともに展示され、有機的形態への関心の共鳴を明らかにする。
第2章「諸芸術の綜合」
「彫刻だけ、絵画だけ、建築だけがあるのではない。造形的な出来事は詩の助けによる“一なる形”のうちに成就するのである」。戦後、ル・コルビュジエは、絵画、素描、彫刻、タペストリー、建築、都市計画に至るまで全ては1つの同じ事柄を様々な形で表現したものと捉え、インテリア・デザイナーのシャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand/1903-1999)がキュレーションした展覧会「巴里1955年―芸術の綜合への提案 ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」(1955)[36, F12-13]において「諸芸術の綜合」としてそのコンセプトを明らかにした。「諸芸術の綜合」の実践をタペストリー[27-28](レジェのタペストリー《誕生日》[29]とともに)、家具職人のジョセフ・サヴィナ(Joseph Savina)と制作した彫刻[42,45]、ロンシャンの礼拝堂[47, F16-21]などにより示す。
第3章「近代のミッション」
「私の義務と研究の目的は、現代人を不幸や悲劇から救い、幸福と日常の喜び、そして調和を提供することにある。特に人間と環境の調和を再構築すること、あるいは確立することを特に強調したい」。ル・コルビュジエは2度の世界大戦を経験しながらも、人間の進歩の永続を楽観的に確信していた。抽象芸術を「偉大なる綜合」と「偉大な精神性の時代」に近づく手段と位置付けたカンディンスキーの思考に相似すると捉え、カンディンスキーの版画集『小さな世界』[62-73]を、ルシアン・エルヴェ(Lucien Hervé/1910-2007)撮影によるル・コルビュジエの建築写真[50-61]とを上下に組み合わせ、そのイメージの類比を示す。併せて、晩年のル・コルビュジエの絵画「牡牛」のシリーズ3点[77-79]を紹介する。
第4章「やがてすべては海へと至る」
ル・コルビュジエは1954年の論考「やがてすべては海へと至る(Tout arrive enfin à la mer corbusier)」でテクノロジーの発達による情報化社会の到来を予見していた。時代の先端技術から着想し建築作品を実現し、人工知能を予知したかのような
「知のミュージアム(Museum of Knowledge)」をインド初の女性建築家ウルミラー・エリー・チョードリー(Urmila Eulie Chowdhury/1923-1995)[88-91, F35-39]と協働して設計した。1958年ブリュッセル万博フィリップス館で公開された音楽・映像・建築を融合させ人類の発展をテーマとした作品《電子の詩》[92]を上映する。
ル・コルビュジエが諸芸術の綜合を目指したことを絵画や彫刻・タペストリーなどで辿る。彼が海で亡くなったことと「やがてすべては海へと至る」という論考を残していることから、冒頭に「浜辺の建築家」を置き、終章の「やがてすべては海へと至る」へと海のイメージで繋いでいる。そして、コルビュジエが「造形的な出来事は詩の助けによる“一なる形”のうちに成就する」と述べているように、「詩的反応を喚起するオブジェ」や女体、手といった繰り返されるモティーフや、アルプやカンディンスキーの作品との類比により、本展そのものをポエジーにより、「詩的反応を喚起するオブジェ」に仕立てようとしている。
海(mer)が母(mère)なら生まれる場であり、再び辿り着く場である。コルビュジエの絵画に現わされる女性の身体は母胎として海へと繋がっている。また中間地点に置かれたロンシャンの礼拝堂の模型は、水平線とともに向こう側、すなわち死の領域へと誘う。
言語革命が人間にもたらした最大のものは、死の領域、死者たちの広大な領域である。このいわば正の領域に対する負の領域は、とりあえずは、俯瞰する眼の必然として、あたかもその俯瞰する眼を補完するかのように姿を現わしたといっていい。追うものと追われるものはいわば互いの俯瞰する眼の高度を競い合っているようなものであり、より高い視点に立ち、より拾い視野を持つものが他を制するのである。(略)
視野の向こう、すなわち、地平線の、水平線の向うには何があるか、という問いは、俯瞰する眼に猟や狩猟の時間が、俯瞰する眼によって――いやそれ以上に視覚が必要とする距離すなわち思考によって――空間かつまり図式化されるのは必然であり、その図式が無限に延長されるのもまた必然である。要するに昨日があり明日があることは、変化を感知する能力にとって、自明のことにならなければならなかった。(略)
人が現世と来世、この世とあの世を考えるのは、俯瞰する眼にとっても、視覚が必要とする距離の内実としての思考にとっても、不可避だったろう。(略)
思考の領域が行動の領域から自立することと、記憶の領域が自立することとは表裏である。記憶は思考の素材であり、図式化されるべきものの筆頭である。あの世の体系化は、この世の体系化にこそ役立ったのだ。
言語革命は死後を発明しただけではない。
この世をあの世に変えたのである。
(略)
人は生きるために死という広大な領域を発明し、そのなかに立ち入ったのである。
人間は生と死を転倒させたといっていいが、そのようにして初めて生を意識しえたのだ。要するに、人はみな文学空間に住むことになった。それを言語空間といっても歴史空間といっても同じことだ。
人間の表現行為はすべて、死にかかわっている。
あの世の視点に立ってこの世を生きることになったからである。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』講談社/2018/p.479-481)
表現行為が死に関わっているなら、「正の領域に基づいた負の領域という」フィクション、すなわち嘘に関わっているに等しい。ティムバートン(Tim Burton)の映画『ビッグ・フィッシュ(Big Fish)』(2003)を思い起こそう。ウィルの父エドワードま大の嘘吐きであり、芸術家であった。エドワードは川で大魚(Big Fish)に変じ、海へと去るだろう。