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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『映画監督 アンジェイ・ワイダ』

展覧会『映画監督 アンジェイ・ワイダ』を鑑賞しての備忘録
国立映画アーカイブ〔7階展示室〕にて、2024年12月10日~2025年3月23日。

2019年にポーランドで開催されたアンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda/1926-2016)の回顧展の巡回展。京都賞の賞金をもとにワイダ自らが建設したマンガ日本美術技術博物館(Muzeum Sztuki i Techniki Japońskiej „Manggha”)の所蔵資料を中心に、日本との繋がりも併せ紹介される。
馬と親しむなどした子ども時代の影響を『パン・タデウシュ物語』などの作品に見る「zone 1: 子どもの神話」、『世代』、『地下水道』、『灰とダイヤモンド』など戦争の犠牲を描く映画を紹介する「zone 2: 地獄」、『すべて売り物』、『夜の終りに』、『蝿取り紙』などフランスやアメリカの影響を受けた映像表現に取り組んだ1960年代後半を取り上げる「zone 3: 新しい波」、『鉄の男』や『ダントン』など民衆の蜂起をテーマにした作品を見せる「zone 4: 革命」、ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチ(Jarosław Iwaszkiewicz/1894-1980)原作の映画を通じて郷愁や記憶というテーマを炙り出す「zone 5: (不)死」、さらに日本との繋がりを紹介する「zone 6: 日本」の6つのテーマで構成される。
絵コンテやスケッチ、脚本、衣装や小道具から、スチール写真、ポスター、リーフレットサウンドトラック、トロフィーまで映画に関連する実物資料に加え、所々に映画から抜粋した数分程度の映像が上映され、 アンジェイ・ワイダ作品の良き手引きとなっている。

「zone 1: 子どもの神話」及び略歴
1926年3月6日、砲兵小隊指揮官ヤクブ・ワイダ(Jakub Wajda)と教師アニエラ・ビアウォヴンス(Aniela z domu Białowąs)の間に生まれる。ポーランド東北部の要衝スヴァウキで育つ間、馬に対する愛着を育んだ。『すべて売り物(Wszystko na sprzedaż)』(1969)の撮影中役者が疾駆する馬を追いかけるシーン(「zone 3: 新しい波」)、あるいはアダム・ミツキェヴィチ(Adam Mickiewic/1798-1855)の叙事詩に基づく『パン・タデウシュ物語(Pan Tadeusz)』(1999)の騎兵の行進などで馬への関心が示される。
父ヤクブは1940年にハリコフでNKVD(ソ連内務人民委員部)に殺害されたが、スターリンによるポーランド人将校虐殺「カティンの森事件(zbrodnia katyńska)」は1989年まで秘匿された。後に『カティンの森(Katyń)』(2007)を制作している。
第二次世界大戦後、クラクフ美術アカデミーとウッチ映画学校に学んだ。『世代(Pokolenie)』(1954)、『地下水道(Kanał)』(1956)、『灰とダイヤモンド(Popiół i diament)』(1958)で瞬く間に注目を集める。
ポーランド映画監督協会の会長や映画ユニット「X」の責任者を務めながら映画作家として自由を求める運動を展開。1960年代から1970年代にかけては映画制作と並行して演劇作品も手掛けた。社会主義政権が倒れた後には上院議員にもなっている。京都賞(1987)の賞金をもとにマンガ日本美術技術センター(Centrum Sztuki i Techniki Japońskiej „Manggha”)を設立した。

「zone 2: 地獄」
『世代(Pokolenie)』(1954)はドイツ占領軍との戦闘を強いられた若者たちを、『地下水道(Kanał)』(1956)jはワルシャワ蜂起を、『灰とダイヤモンド(Popiół i diament)』(1958)は終戦直後に共産主義体制と戦うように命じられた兵士たちを、「戦いのあとの風景(Krajobraz po bitwie)」(1970)は強制収容所の生存者のトラウマを、それぞれ描く。戦争を生き延びた者から同世代の犠牲者に対する鎮魂として映画が制作されている。

「zone 3: 新しい波」
1960年代後半、フランスやアメリカの映画に典型的な手法である手持ちキャメラ、豊かなサウンドトラック、エピソード形式のナレーションといった手法を採用して、ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni/1912-2007)やジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard/1930-2022)と並び「新しい波」の作家に位置付けられる。映画制作について自己言及した『すべては売り物(Wszystko na sprzedaż)』(1968)、黄色い蠅取り紙と巨大な眼鏡をかけた笑顔の女性が印象的な『蝿取り紙(Polowanie na muchy)』(1969)、現代舞踊のようなシーンが印象的な『二十歳の恋(Miłość dwudziestolatków)』(1962)などが紹介される。

「zone 4: 革命」
繊維工場の労働者たちのストライキの鎮圧を描く『約束の土地(Ziemia obiecana)』(1974)、「連帯」運動の最中に撮影された『鉄の男(Człowiek z żelaza)』(1981),
次々とギロチンで処刑したフランス革命の狂騒を描く『ダントン(Danton)』(1982)を紹介。『ダントン(Danton)』(1982)の白い人物の顔を握り潰す赤い手を表わしたポスターが印象的。

「zone 5: (不)死」
ともにヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチ(Jarosław Iwaszkiewicz/1894-1980)原作の映画『白樺の林(Brzezina)』(1970)と『ヴィルコの娘たち(Panny z Wilka)』(1979)を紹介する。

「zone 6: 日本」
1944年にワイダはクラクフでフェリクス・ヤシェンスキ(Feliks Jasieński)の日本美術のコレクションを目にする。後に1970年に来日した際には文楽に感銘を受け、翌年にドストエフスキーの「悪霊」(1971)の舞台を手掛けた際には黒子を登場させた。デュマの『椿姫』で坂東玉三郎に魅了され、ドストエフスキーの『白痴』を原作とする舞台及び映画『ナスターシャ』の主演に坂東玉三郎を起用した。1987年に京都賞を受賞すると、賞金をクラクフにフェリクス・ヤシェンスキの日本美術コレクションを展示する施設を建設することに充てた。それがマンガ日本美術技術センター(Centrum Sztuki i Techniki Japońskiej „Manggha”)である(「マンガ」はフェリクス・ヤシェンスキが『北斎漫画』に基づいて付けた自らのペンネームの1つ)。