展覧会『曽根裕個展「石器時代最後の夜 今日の3つの話』を鑑賞しての備忘録
ミヅマアートギャラリーにて、2025年1月15日~2月15日。
香川県の石切場跡で採取した凝灰岩を用いた彫刻と、石切場の景観を描いた絵画などから成る、曽根裕の個展。
《雪豹》(1485mm×925mm×460mm)は凝灰岩で表わした寝そべる雪豹である。作家は自らを孤高の雪豹に重ねている。すなわち雪豹は作家の分身である。作品は台座ではなく床に敷いたチベット布の上に置かれている。チベット布は雪豹の生息圏の象徴であると同時に縞模様の赤い布は造山帯や火山活動を暗示する。火山灰が凝固した凝灰岩の彫像とも相性がいい。
《ダブルログ no.3》(780mm×435mm×780mm)は、煉瓦を積んだような樹皮を持つ樹木――クヌギであろうか――の丸太(log)がY字状に枝分かれしたものを凝灰岩で彫り出した作品である。作家の独白(monologue)が自らの分身である《雪豹》との対話(dialogue)――2つのログ――へと変じることを訴えるのか。それもあろうが、「石器時代最後の夜」というタイトルからすれば、時代の分岐点を象徴するものと捉えるべきであろう。石器時代は狩猟・採集生活が営まれた消費と蕩尽の時代であった。農業革命により生産と蓄積の時代へと転じようとする時点である。
(略)資本主義も社会主義も全体主義も、近代的な国家を内側から乗り越えて拡大する、超近代的な帝国を目指していた。世界に覇を唱える帝国を目指す国家同士の戦いは必然的に全面化し、同時にその帰結としての破滅も全面化することになる。その危機は現在でもまったく薄らいではいない。
帝国に抗うためには、なによりも帝国を生み出した「生産と蓄積」の論理そのものを再検討しなければならない。それとともに、「生産と蓄積」の論理によって成り立ち、帝国の基盤となった国家という在り方そのものをも再検討しなければならない。(略)国家に抗う社会とは、「生産と蓄積」の論理に抗う、「消費と蕩尽」が貫徹された社会であった。「価値」の置かれ方がまっく異なっていたのである。「未開」の社会、「野蛮」な社会では、社会の規模を拡大していく要因となる「蓄積」が、1年に1度、その多くは時間と空間の境界――季節が移り変わる瞬間にして内と外を区別する場所――で行われる祝祭によって、ほとんど跡形もなくすべてが「蕩尽」されていた。生産に対して消費、蓄積に対して蕩尽という論理が貫かれていた。(安藤礼二『縄文論』作品社/2022/p.142-143)
作家が石切場跡から採取した石に彫刻するのは、芸術の起源にして既に芸術の完成を見たラスコー壁画を残した旧石器時代の人々の立場に身を置くためではないか。
芸術の起源に還ることによって芸術の未来をひらく。芸術の新たな次元、芸術の「四次元」をひらくのは、起源の芸術を創り上げた氷河期の狩人たち、彼ら彼女らが磨き上げ、そこから1歩を踏み出そうとした極限の空間認識(「極めて鋭敏な三次元的感覚」)からなのだ。〔引用者補記:「縄文土器論」において縄文土器の隆線紋に三次元を超えた超現実的な認識の可能性を見出した岡本〕太郎は、こう記している。――「狩猟期に於ける感覚は極めて空間的に構成されている筈だ。獲物の気配を察知し、適確にその位置を摑むには極めて鋭敏な三次元的感覚を要するに違いない。更に捕える時は全身全霊が空間に躍動しなければならないのである。それによって生活する狩猟期の民族が、我々の想像を絶する鋭敏な空間感覚を備えていたことは当然であり、それなしにはあのように適確、精緻な捉え方が出来る筈はない」。太郎は、そうした狩猟期に特有の芸術表現の1つの起源として、まさに的確にも「ヨーロッパ旧石器時代」の洞窟壁画、「アルタミラの岩絵」をあげている。縄文土器はラスコーの洞窟壁画へと通じているのだ。(安藤礼二『縄文論』作品社/2022/p.151)
作家が自らを雪豹に擬えるのは、旧石器時代の人々同様、狩人たらんとしてではなかろうか。《ブルースカイ(鷲の山)》(860mm×760mm×245mm)において石切場の周辺を凝灰岩でジオラマに仕立てるのも、ハンターたる鷲の目線を獲得していることを示すものであろう。そして、《A Set of Sunset》においてサヌカイト断片に沈もうとする夕陽の景観を投影するのは、旧石器時代の人々の壁画が「極めて鋭敏な三次元的感覚」を備えていたことを訴え、「芸術の『四次元』をひらく」ためではなかろうか。また、かつて旧石器時代人に陽光を浴びせた太陽が変わらず現代人をも照らしていることをを示すことで、リニアな時間観念を克服し、生産・蓄積の社会から消費・蕩尽の社会へと価値の転倒を企てるのである。