可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『聖なるイチジクの種』

映画『聖なるイチジクの種』を鑑賞しての備忘録
2024年のドイツ・フランス・イラン合作映画。
167分。
監督・脚本は、モハマド・ラスロフ(Mohammad Rasoulof/محمد رسول‌اف)。
撮影は、プーヤン・アガババイ(Pooyan Aghababaei/پویان آقابابایی)。
編集は、アンドリュー・バード(Andrew Bird/اندرو برد)。
音楽は、カルザン・マムード(Karzan Mahmood/کارزان محمود)。
原題は、"دانه‌ی انجیر معابد"。

 

聖なる無花果の生活環は珍しいものだ。鳥の糞に含まれる種子が他の樹木に落ちると、根を地面にまで伸ばす。その後、幹が生長して宿主の木に巻き付き絞め殺し、自立するに至る。
銃弾がテーブルの上に1つずつ落とされる。イマン(Missagh Zareh/میثاق زارع در)が受け取ると、用紙が差し出される。イマンが受け取りのサインする。イマンは革命裁判所を出て車を走らせる。助手席には鞄と受け取った拳銃とがある。混み合う市街地を抜け、人気のない荒野を抜ける頃には夜になっていた。イマンはモスクに入り、一人祈りを捧げる。その様子をイマームが影から見つめていた。祈りを終えたイマンが自宅へ車を走らせる。
ナジメ(Soheila Golestani/سهیلا گلستانی)が台所で湯を沸かし、チャイを用意する。ナジメが盆に軽食とチャイを載せて寝室のイマンのもとに運ぶ。ありがとう、寝るつもりだった。昨日から何も口にしていないでしょ。軽食を取って。あなたの祈りがとうとう届いたのね。誇らしいわ。お義父様がご覧になったら。安らかに眠り給え。3部屋の官舎に入居できるの? すぐにじゃない。待てるわ。娘たちはもう同じ部屋という訳にはいかないもの。引っ越しで生活が一変するわね。イマンはベッドサイドチェストの抽斗から拳銃を取り出した。護身用に渡されたんだ。何故? 身を守るためさ。ナジメは当惑する。持ってみろよ。いやよ。怖がることはない。安全装置がかかってるんだ。怖いんじゃないの。それでもイマンは妻に拳銃を手渡す。重いわね。娘たちには何て言えばいいかしら? まだいいだろ。またとない機会でしょ。父親が判事になったって知ったら誇りに思うわ。裁判官ではなく調査官だ。そんなことはどうでもいいの。ゆくゆくは判事になるんだから。まだ分からないさ。娘たちが知っておくことは大事よ。人格形成にも影響するわ。革命裁判所については知っているだろ? 世間から疎んじられている。でもずっと仕事の話をする機会を待っていたじゃない? これを逃す手は無いわ。レストランで昇進祝いをしましょう。そこで娘たちに伝えればいいわ。イマンがベッドに横になる。私が手配するわ。いい? 任せるよ。
ダイニングキッチンでメジナがレズワン(Mahsa Rostami/هسا رستمی)とサナ(Setareh Maleki/تاره ملکی)と朝食の準備をしている。静かに、お父さんが寝てるのよ。私がいなくても問題無いでしょ。レズワンが言う。駄目よ。大事なことだから一家で話し合わなくちゃ。今教えてよ。お父さんのいるところで言うわ。お祝いを兼ねた話し合いなの。何のお祝い? パーティーがあるから無理。友達とは別の日に会いなさいよ。誕生日だよ。別の日に生まれてもうらんだね。サナが茶化す。巫山戯ないで。延期はできないよ。前々から計画してたんだから。家族を優先をしないといけないわ。お祝いって何なの? 連れ添って20年、お父さんがずっと夢見てたことよ。気を持たせるのは止めてくれない? 何があったか教えてよ。自分の部屋が持てるって言うならどう? 本当?
レストランに一家4人が集まっている。判事は事実と証拠を集めないと判決を下せない。情報収集がお父さんの仕事だったの? そうだ。何で教えてくれなかったの? もっと早くに教えてくれれば良かったのに。匿名でなければならないのよ。自分と家族の安全のために。訴訟には必ず勝者と敗者が生まれる。敗者は不当な判決が下されたと考え、報復しようとする可能性が常にある。調査官になったってことは身の危険があるっていうこと? その通りだ。あなたたちも大きくなったし、お父さんの立場を弁えて注意を払えるでしょ。何に注意するの? お父さんに対する復讐のために家族に危害が及ぶってこと? 可能性はある。同じ立場の人たちの暮らす場所に引っ越すのよ。安全だよ、見張りが付くから。お父さんの地位を危うくしないようにあなたたちにも配慮してもらわないと。どんなこと? ヒジャーブを着ける。ネットに写真をあげない。非難される隙を作ってはならないの。何だって攻撃の対象になるんだから。態度、服装、外出先、友達、言葉遣い。開けてよ。サナがイマンにドゥーグの瓶を開けてもらう。
裁判所。イマンが上司のガデリ(رضا اخلاقی‌راد)の部屋に向かう。資料を差し出す。これは何です? 書いてある通りだ。訴訟記録が5冊もあるんですよ。調査には相当な時間が必要です。まだ読み始めてもいないんです。気にせず起訴状を書いて署名しろ。検事の命令だ。できません。20年間誇りを持って働いてきました。私は宣誓したんです。ガデリがペンを取って紙に「盗聴」と書き付けた。イマンが押し黙る。宣誓をもう1度読んでみるんだな。特に最後の部分を。昼にしよう。
イマンがガデリと向かい合い昼食を取る。何故調査官になれたと思う? 所長はお前を嫌ってる。お前の昇進に反対してたんだ。自分の部下を採用しようとしてな。俺がお前を引き上げたんだ。所長はお前の些細な失敗も見逃さないぞ。自分の出世と家族の平穏を犠牲にしてでも私に異議を申し立てて欲しいのか? 調査官の地位を希望する者がどれだけいるか。業績を挙げるんだ。特に検事の命令の事件についてはな。まだ調書を読んでさえいません。神への冒涜で起訴して死刑を求めるなんてどうやってできます? ガデリがイマンに煙草を勧める。二人が煙草を吸う。

 

ナジメ(Soheila Golestani/سهیلا گلستانی)と結婚して20年。イマン(Missagh Zareh/میثاق زارع در)はテヘランの革命裁判所で念願の調査官に登用された。判事への出世コースに乗ったのだ。イマンを推薦した判事のガデリ(رضا اخلاقی‌راد)は派閥争いで優位に立ちたい思惑があった。上層部に実績をアピールするためにも、急増する「地上に腐敗を撒き散らす犯罪」に検事の求刑通りの判決を即断するようイマンに求めた。数分に1件、1日数百件にも上る事件を前にイマンは追い込まれる。革命裁判所管轄の事件が急増したのは治安当局に対する抗議活動の高まりだった。ヒジャーブを身に付けず逮捕された女性が急死したのは心臓発作であるとの政府発表をテレビのニュースは報じていたが、SNSでは治安機関による暴行・虐待を撮影した映像が出回り、若い女性たちが怒りを爆発させたのだ。イマンには護身用の拳銃が貸与されるとともに、一家は豪勢な官舎に転居した。ナジメは大学に通う娘レズワン(Mahsa Rostami/هسا رستمی)と高校生の娘サナ(Setareh Maleki/تاره ملکی)に念願の自室を与えることができて満足する。レズワンやサナはSNSで女性に対する暴力を日夜目にして抗議活動に共感していたが、ナジメからイマンの立場と生活の平穏を守るために挙動に注意するよう釘を刺された。ところが抗議活動の高まりで大学や高校が閉鎖された際、レズワンが顔に大怪我を負った友人サダフ(Niousha Akhshi/نیوشا اخشی)を医者には連れて行けないと官舎に連れ帰った。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

革命裁判所の調査官に就任したイマンが拳銃を貸与されるシーンで始まる。テーブルの上に銃弾が落とされる。銃弾はイマンに降ってきた無花果の種である。種は根を伸ばして成長し、イマンを絞め殺すことになるだろう。その「無花果の種」のモティーフは、ナジメがサダフの顔面から摘出した散弾を洗面台に落とすシーンにより繰り返される。
かつてイマンは家族と過ごす優しい父親だった。20年経って漸く念願の判事への出世コースである調査官の地位に就くことができた。その職務は検事の要求通り「地上に腐敗を撒き散らす犯罪」に対して判決を即決することであった。豪勢な官舎に移り住み家族に豊かな暮らしを実現したものの激務に疲労困憊し家族とは疎遠になる。
警察・司法制度は国の安寧を保ち、国民を守るための仕組みである。ところが秩序を乱した女性に対する過剰な暴力が行使され、その暴虐に抗議する女性たちに対してさらに暴力を振う悪循環に陥っている。
イマンは革命裁判所から貸与された拳銃を家庭で紛失する。レズワンかサナが持ち出したと疑うが、否定する。革命裁判所の調査官として身元が割れてしまったイマンは休暇を理由に家族を故郷に連れ出し、レズワン、サナ、そしてナジメを監禁して白状するよう要求する。サナはイマンにかつての父親に戻るよう画策するが、怒りに駆られたイマンは聴く耳を持たない。脱走したレズワン、サナ、ナジメを追って廃墟の村を彷徨うことになる。イマンは治安当局を、妻や娘たちは抗議する女性たちのメタファーである。