可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 菊地雅恵個展

展覧会『菊地雅恵』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー58にて、2025年2月17日~22日。

山岳などの景観を、それを生み出した自然の営為までも含めるかのように、あるいは有機物と無機物とを縫い目無く繋げるように、鮮やかに描き出す、菊地雅恵の個展。

那須連山》(970mm1940mm)は、連なる峰を赤や青、緑など様々な色の縞の流れる描線で表わした作品。左側中景の赤色を中心の縞で構成される峰と右奥の紫と緑・青など寒色系の峰(茶臼岳と思われる)とを中心に、5つの峰がその周囲に配される。赤い峰は右側に45度の傾斜で桃色や暗紫色、くすんだ緑などが直線状に並ぶ。「茶臼岳」は30度の傾斜で緑が山腹に走るほか、モスグリーンや青の線が円弧状に引かれている。その直線や曲線の縞は堆積や褶曲、断層といった地層のイメージを呼び寄せる。連峰の手前で茶、クリーム、黒などで波打つ丘は室町期の《日月山水図屏風》の波の表現と通じる。地質学的スケールで見れば大地もまた常に変動する流体となる。それは神話的世界観に通じよう。さらに青空に湧く雲もまた波へと転化し、あるいは連山へと連なる。天地さえ渾然として一体なのだ。画面上部にクリーム色の枠を設けることで、山々がその枠を突き破る。エネルギーはこの天地を超えて溢れ出す。《マスタード》(910mm×910mm)でも、マスタード色の空を背に山並を描き出す。やはりクリーム色の枠を超えて山塊が周囲へと流れ出て行く。アンモナイトの化石が姿を見せる。褶曲により円を描く山岳を構成する「地層」=描線と共鳴する。海は山となり、山は海となる。恵比寿映像祭2025に出展された、劉玗の映像インスタレーション《If Narratives Become the Great Flood》 (2020)において表現されていた、洪水により大地が沈降と隆起とを繰り返す地質学的スケールの神話世界に通じよう。
キーヴィジュアルに採用されている《帽子》(1303mm×1303mm)の画面中央に左側を向いて立ち鑑賞者にふり向く女性の顔がある。彼女の顔や衣装は複数の色のパッチワークのように構成されている。彼女の頭上には《那須連山》や《マスタード》に見られるような色取り取りの色と形とで構成された山々が広がっている。女性と自然世界とが等価な存在として描き出されているのである。

 (略)生物と無生物の間にはいかなる対立もない。あらゆる生物は無生物との連続性において存在するのみならず、無生物が延長されたものであり、無生物のメタモルフォーゼ、その最も極端な表現なのである。
 生はつねに無生物の再受肉であり、無機物のブリコラージュ(組み合わせ)であり、1つの惑星――ガイア、地球――の大地的実体の謝肉祭である。この惑星は、ちぐはぐで不統一なみずからの身体の最小の粒子においてさええ、その相貌と存在機能を増殖させて止まない。どの自己も地球のための乗り物であり、惑星が自分で移動せずに旅をするための船なのだ。(エマヌエーレ・コッチャ〔松葉類・宇佐美達朗『メタモルフォーゼの哲学』勁草書房/2022/p.8-9)