可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『ひそみね 金沢美術工芸大学日本画専攻卒業・修了生展』

展覧会『第30回大学日本画展 ひそみね 金沢美術工芸大学日本画専攻卒業・修了生展』を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2025年2月8日~23日。

渦巻く帯など記号的表現を挿入し独自のユートピアを描く新藤美希、猫から拡がる混沌とした世界を表わす谷井里咲、山の景観を題材に銀箔による表現を追究する前⽥茜の3人展。

新藤美希
《非在郷〈蓮池〉》(1818mm×2273mm)は、蓮池に腰を降ろすノースリーブのワンピピースの女性を描いた作品。大きな葉の中に開きかけた花や蕾が覗く。肩を露出した赤紫の衣装や、先が撥ねる肩までの髪により当世風の女性がしゃがみ、右手を頬に添えて右肘を突き正面を向く。ぼんやりとした視線は観想の表現であろう。彼女の周囲を帯のような流体が取り巻き渦を巻く。阿弥陀来迎図など仏教美術における紫雲や帯などの流線表現を独自のモティーフに改めようとしている。それは光背により現世に神仏を導入するのとは逆に、現実を非現実へと送り込む装置として機能する。他の作品でも見られる記号的表現にも同様の狙いがありそうだ。
《春へ向かう船》(1700mm×2150mm)には、朱の袖のゆったりした上着と白いロングスカートの長い髪の女性がアンモナイトなど化石の見える岩塊に目を閉じて腰掛ける姿が表される。彼女の乗る岩は、図案化した桜の花が散る、《非在郷〈蓮池〉》にも見られた帯ないし渦の表現で表わした桃色の流れの中にあり、時を進む船としてある。船(vessel)は化石が象徴する過去を伝える容器(vessel)でもある。膠着した時を表わす化石が桜や花々の儚さを浮かび上がらせる。あるいは船が向かう春とは、常世のことなのかもしれない。常世の国もまた一種の非在郷と言えよう。
《冬一番》(1303mm×1620mm)は、蝶が舞い、魚が泳ぐ木々の中を通り抜ける、青いドレスを身に纏った雪の女王と思しき女性が通り抜ける様を描いた作品。大きな雪の結晶が流れる衣装の中に配される。植物の緑は灰褐色の中に霞むように表わされることで秋のイメージを齎す一方、蝶や魚の存在は春や夏を喚起させる。季節だけでなく水陸の境を無化している点も独特である。その意味ではやはり非在郷なのかもしれない。

谷井里咲
《Piece》(1620mm×970mm)は、猫やぬいぐるみ植物など様々なモティーフを散らしたコラージュ調の作品。中心に居るのは画面上部中央の毛足の長い猫。その猫の顔から周囲へ拡がる毛が、ぬいぐるみや枝葉や画材やら雑多なモノ、あるいはその断片が散らばっていく。恰もクラッカーが弾けたかのようだ。一瞬の発火としての生命を描き出す意図も窺える。《Home》(2230mm×530mm)では、種類の異なる3匹の猫(1匹は《Piece》に登場する猫)が寝そべり、あるいは丸くなる周囲に、やはりぬいぐるみやボールなど様々なモノやその断片が鏤められている。なおかつ画面の周囲の枠には木や貝殻や人形などオブジェが並び、混沌とした世界が画面から外界へと溢れ出していくようだ。《Piece》や《Home》がクリーム色やパステルカラーのような明るめの色味が配されているのに対し、横向きに坐る猫を中心とした《待つ時間》(1167mm×1167mm)や正面向きの猫を中心とした《あそびたい日》(652mm×910mm)はそれぞれ緑や橙などを配したやや暗い画面であるが、猫を中心に雑多な物が周囲を覆う構成は変わらない。言葉により切り分けることのないありのままの世界を猫の介在により捉えようとするのであろうか。

前⽥茜
《穏やかな春》(1818mm×2273mm)は、前景、画面上部に枝を伸ばす山桜を描き、その幹は画面に姿を見せない。中景には斜面に生える木々の樹冠を腐食させた銀箔を用いて表わす。光景は春霞が立つのであろう、茫洋とした白い空間が拡がる。《晩春の不慥か》(1818mm×2273mm)は、腐食させた銀箔により木々の姿を表し、霧がかかる様子を表わす。中景では木々は淡いシルエットとなり、その先の空間へと霧はどこまでも拡がっていく。《憧憬》(1620mm×1620mm)の前景には左に大きく傾ぐ大きな竹を3本配し、濛々と霧が掛かる。中景には腐食させた銀箔による木々が半ば影となった姿を表し、その先には蜿々と模糊とした空間が果てしなく続くようだ。これら作品に通底するテーマは、梅の木の下で落日に向かい手を合せる盲目の人物を描いた、下村観山の《弱法師》に共通するのではないか。茫漠とした世界を描き出すのは、見えない真理を感得しようとする姿勢に他ならないからである。