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芸術鑑賞の備忘録

映画『奇麗な、悪』

映画『奇麗な、悪』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
76分。
監督・脚本は、奥山和由
原作は、中村文則の短編小説「火」。
照明は、中村晋平。
録音は、伊藤裕規。
美術は、部谷京子。
衣装デザインは、ミハイル ギニス アオヤマ。
ヘアメイクは、董氷。
音響効果は、大塚智子。
編集は、陳詩婷。
音楽は、加藤万里奈。

 

全てを話して下さい、治療になりません。全てを、です。
古い洋館の1階にある広間。閉ざされたカーテンの隙間から陽が漏れる。リクライニングチェアの脇のローテーブルには蝋燭と酒瓶を持った酔っ払いの人形が並ぶ。奥には窓に向かって机があり、びっしりと文字を書き付けた便箋が散らばる。階段の踊り場には、流れ星と有明の月の空を背にした画家と、背を向けて立つ裸婦とを描いた絵画が飾られている。古いシーリングファンが軋みながら回転する音が響く中、時折酔っ払いの人形が作動する。
雑沓の中を女(瀧内公美)が歩いている。ゆったりした白い服は風に煽られる。繁華街を抜け、墓地脇の坂道をゆっくり上がると、閑静な街区に2階建ての洋館の前に出た。正面玄関から入ろうとするが扉は閉ざされていた。彼女は右手にある鉄の門扉を潜り抜け、ドアを開けて中へ入る。
閉ざされたカーテンの隙間から陽が漏れる。革張りのリクライニングチェアがあり、その脇のローテーブルにはワインボトルとグラス、蝋燭ととともに酒瓶を持つ酔っ払いの人形が並ぶ。奥にある窓辺の机の上には便箋が散らばっている。階段の踊り場には、画架に掛けた緑色の夜空の絵、画家、裸婦とがそれぞれ異なる向き、角度で描かれた絵画が飾られている。シーリングファンが回転する度にブランコを漕ぐような音をたてる中、女は絵を眺め物思いに耽る。彼女は絵の前から離れ、革張りの椅子に腰掛ける。手元のコードを操作すると酔っ払いの人形が口笛の音を響かせながら身体を動かす。壁の電灯が明滅する。
女が語り始める。
まず、火のことから話すことにします。でも、これは前にもお話ししたことです。私が火を使って遊んでしまったせいで、家族の全員が焼け死んだ。でも、嘘だったんです。火で遊んだ訳ではなかった。幼かったからといってカーテンを燃やせばどうなるかということくらい分かっていたんです。火事のことを申し訳なく思っているのでしょうと、先生はトラウマを考えてるんだと思います。でもトラウマって何ですか? 何でもトラウマと言って分かった気になっている。…すいません、余計なこと言いました。本当はすいませんなんて思ってないんですけど。私は寝ていなくてもいいんですか? 私はこうやって坐っているし、先生はそんなところにいたりする。でも、その方が落ち着きます。頭に浮かんだことをそのまま話すなんてことは難しいのは慥かですが…。でも、これが治療になるんでしょう? 患者に喋らせることで悩みの奥に入っていく。患者が言い淀んだ時は核心に迫る時、違いますか? 先生は、話や表情や態度から、その裏側にある真実を読み取らなければならない。大変ですね…。今日は話します。話さないと、これからどうやて治療するか、決められないと言うし。続きを話します。

 

女(瀧内公美)が高台の閑静な街区に立つ古い洋館を訪れる。かつて精神病院だった建物は閉鎖されていたが、女は脇の扉から中へ入る。カーテンが閉ざされた広間にはリクライニングチェア、その脇のローテーブルには蝋燭、ワイン、口笛を吹く酔っ払いの自動人形が置かれている。奥の窓辺のテーブルには便箋が乱雑に置かれ、手前の階段の踊り場には、画家とモデルを描いた絵が飾ってあった。シーリングファンが軋みながら回転する中、女はリクライニングチェアに坐り、人形を作動させる。治療になるんでしょうと、恰も精神科医がその場にいるかのように、自らの来し方について1人語り出す。酔って暴れる父親とヒステリックな母親から虐待を受けていた8歳の時、ライターで部屋のカーテンに火を点け、眠っていた父と母とを焼死させた。忽ち大きくなる炎に、何かを燃やしてなければ存在できない「綺麗な、悪」を認め、魅入られてしまったと告白する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

女がかつて精神病院だった古い洋館の広間で、不在の先生に語りかけるように来し方を独白する姿を描く作品。
8歳のとき「失火」により彼女を虐待していた両親を失い、女は施設に入れられた。小学校では施設出身者としていじめられるが、美しく成長した彼女が中学に入るといじめられることは無くなったと言う。不良と付き合ううち中学3年生で妊娠し、中絶する。高校へ進学したものの中退して工場の事務員となり、薬中の男Rと交際する。Rは優しい男だったが刑務所送りとなった。職場の同僚の知り合いの兄で、父親が地方議員をしている金持ちの息子の子を孕んだことから結婚することになった。義母と折り合いが悪く娘は取り上げられ、夫は浮気。女もまた隙を見ては外で男を漁る。夫から浮気を咎められ暴力を受けると、女は義父を誘惑し関係を持つ。証拠写真を突き付けて家を出た女はクラブで働くものの身体を壊し、続かない。生活と借金返済のため、かつての客やその紹介者を相手に身体を売る。客のTから腕を折られそうになったり、首を強く絞められた。女は縛られ写真を撮られ脅され、週に2回、Tから苦痛や悲しみを絞り取るように暴力を振われる。Tの無表情な顔、その目から空洞を覗けば、自分の必要な何かがあると思ったと言う。
女は幼くして両親、長じて交際相手、結婚相手、さらには売春相手から暴力を振われる。暴力は苦痛や悲しみを絞り取る。暴力に耐えるべく、自らを圧し殺す。暴力を受けるうち、女はこれ以上苦痛や悲しみが絞り取ることのできない干からびた状態になる。換言すれば、中身の空っぽの状態だ。洋館の吹き抜けの広間は彼女そのものである。潰れた病院から廃墟が彼女だと言ってもいい。
空白とは、真空である。あらゆるものを吸収する。まだだ、まだ足りない。女は空白を満たそうとする。次から次へと男の相手をするのはそのためだ。
空白とは、空虚である。女の独白もまた空虚である。暑いと言ってみたり、寒いと言ってみたり。あるいは、状況に身を任せて来たと言ってみたり、全ては自分の意志で行ったと言ってみたり。シーリングファンの軋む音はブランコを漕ぐときの音に似ている。一方から他方へと女の発言は大きく揺れる。暴力により破壊された女は、噓を吐く。虚無であり、無意味である。
女が重ねる嘘は、自らの、すなわち空虚の拡張であり、増殖である。嘘は自らを焦がすとともに相手を焼き尽くす。廃墟が拡がっていく。
暴力により精神を病んだ女の話は、およそ人に適用可能だ。なぜなら実存が本質に先立つ以上、実存には本質が無く、本質を充填しなければならない存在だからだ。すなわちおよそ実存とは空虚である。何かを燃やしてなければ存在できない「綺麗な、悪」とは、人間そのものを指す。
女は、客のSを気に入り、金を受け取ろうとしない(それでも金を渡されてしまうが)。生計のための売春から、売春のために生計を立てるとも言える状況を招来している。これは資本主義のメタファーと言える。商品を手に入れるために貨幣を用いるのではなく、貨幣を手に入れるために商品を売買する。資本価値の増殖と炎の燃え広がりとは正しくパラレルである。まだだ、まだ足りない。
さらに、独白する女は、言葉のメタファーともなろう。言葉は貨幣同様の媒介手段であり、意味を運ぶ容れ物であり、空虚である。

キャメラ精神科医とする選択も有り得たろうが、反応を表現する必要が出て来る。人形ないし建物を「先生」として、照明の明滅を反応に仕立てて見せた。閉院した病院と設定したことも相俟って、女が病んでいる状態が明確になっている。
劇中に登場する後藤又兵衛の絵画《真実》は、画家とモデルと絵画とを異なる角度で配した作品。画家を「先生」、モデルを女に見立てて登場させたものだろうか。パレットの手持ち用の穴から突き出す指は画家の劣情を暗示する一方、絵画には女性を宇宙を見たてる観念の世界が表現されている。