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芸術鑑賞の備忘録

映画『知らないカノジョ』

映画『知らないカノジョ』を鑑賞しての備忘録
2025年製作の日本映画。
121分。
監督は、三木孝浩。
原作は、ユーゴ・ジェラン(Hugo Gélin)監督の映画『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから(Mon inconnue)』(2019)。
脚本は、登米裕一と福谷圭祐。
撮影は、小宮山充。
照明は、加藤あやこ。
録音は、石寺健一。
美術は、YANG仁榮。
装飾は、菊地香江と米澤拓哉。
スタイリストは、望月恵。
ヘアメイクは、山井優 本田真理子。
音響効果は、井上奈津子。
編集は、和田剛。
音楽は、mio-sotido。

 

近未来の荒廃した都市を武装したガロアス(中島健人)が懸命に走る。何故追われているのか、そこがどこかさえも分からない。1つだけ分かっていることは、ここは自分のいた世界ではないということだけだ。追手の兵士たちの銃撃を受けたガロアスは瓦礫の影に隠れ必死に応戦する。そこへ普段着の梶原恵介(桐谷健太)が突然現われる。さっさとしまえって! ガロアスには意味が分からない。手にしていたはずの銃がペンに変わってしまっていた。
慶明大学の大教室。隣に坐る梶原が小説を執筆している神林リク(中島健人)に教授(小手伸也)が近付いているからノートをしまうよう注意してくれていたが、創作に没頭していたリクは気が付かなかった。教授はリクのノート『蒼龍戦記』を取り上げて読む。…それでも生きていかなくてはならない。私の講義は受けた方がいい。
新歓シーズンのキャンパスは賑わっている。就職活動せずプロの作家になると腹を括った4年生のリクは教授に作品を読まれたことを愚痴る。作品は読まれてナンボやろ。自分の世界に籠もるなって。友人で4留の梶原が慰める。俺でも入れる? あいつ応援してやって。梶原は新入生の勧誘をしていたチアリーディング部の女子学生(坂ノ上茜)にちょっかいを出す。
夜、リクは教授の部屋に忍び込み、創作ノートを取り戻す。守衛に見つかったリクは逃げ出す。気付くとリクは講堂の前にいた。扉の向こうから漏れてきた女性の歌声に誘われて講堂に入ると、新入生歓迎イヴェントの飾り付けのされた舞台で、女子学生(milet)が弾き語りをしていた。♪あなたがいて私がいる/ふたりだけの世界みたい/名前を呼んでいたいよ/消えちゃいそうな気がしたから/こんな鮮やかに映るよ/あなたがいる世…。ごめんなさい、勝手に入って! 彼女はリクが注意しに来たのだと勘違いして慌てて舞台を降りようとして周囲の楽器を派手に倒してしまう。大丈夫? リクが彼女に駆け寄る。おい、お前ら何やってんだっ! 守衛が叫ぶ。逃げよう、早く! 彼女がリクを促す。待ちなさい! 2人はキャンパスを走る。こっち! 彼女がリクを導く。リクの頭の中では『蒼龍戦記』で廃墟の中をガロアスとともに逃走するヒロインのイメージが膨らんでいた。彼女は金網フェンスの破れた場所にリクを案内した。リクが潜り抜ける。君は? 大丈夫、行って! 走り去る彼女を目で追いながら、リクの中でアイデアが湧き出す。ガロアスは出逢った。この世界で彼の存在を支えるものに。彼女の名はシャドウ。
翌日。キャンパスでリクが梶原に教授の部屋に忍び込んで没収されたノートを取り戻した話をする。バレたら退学だろと梶原が驚く。で、その娘の連絡先は? 聞く暇が無くて。聞く暇が無かったんじゃなくて勇気が無かったの間違いじゃなくて? リクは昨晩の彼女が近付いて来るのに気付く。梶原は顔見知りで先に彼女に声を掛けた。フランス語の授業で一緒だったことがあるらしい。前園ミナミです。昨日はどうも。梶原は気を利かせて立ち去る。ミナミは拾ったノートをリクに届けてくれた。誰にも読まれたくなかったからさ、とリクがノートを捲ると、ネコのイラストとともに「続きが気になるニャ」と記してあった。一気に読んじゃった。歌を聴いたんだから、これでおあいこ。ずっと聴いてたかったくらい。もう1度君の歌を聞きたい。
夜。象の鼻パーク。ミナミが弾き語りする。数人の聴衆にはリクの姿もある。♪時が停まる指が触れる/まだ聞こえてるかな/不器用同士愛おしい頁を捲った/あなたがいて私がいる/ふたりだけの世界みたい/名前を呼んでいたいよ/消えちゃいそうな気がしたから/こんな鮮やかに映るよ/あなたがいる世界/魔法みたいだね…。
ミナミがライヴを終え、2人がみなとみらいを歩く。ときどきここに歌いに来るの。プロになることは考えてないの? 目指すべきだよ。絶対にプロになれるよ。有り難う。あの小説の続きは? 相棒がいたらいいんじゃない? こんなヒロインがいてくれたらってビビッと来たんだ。読ませてね。完成してからで構わないから。1人目の読者になって欲しい。私もビビッと来てるかも。えっ?

 

慶明大学文学部4年の神林リク(中島健人)は作家志望。友人の梶原恵介(桐谷健太)が注意したにも拘わらず講義中に小説を執筆していて教授(小手伸也)にノートを没収されてしまう。夜中に教授の部屋に忍び込みノートを取り戻したリクは守衛から逃げる最中に歌声に誘われて講堂に入り、ギターの弾き語りをする前園ミナミ(milet)と知り合った。お互いの才能を認め合ったリクとミナミは交際する。リクはSF小説『蒼龍戦記』を完成させ文報社からの出版が決まる。ミナミはライヴハウスで歌うがプロデデビューは至らない。リクはミナミの育ての親であるミナミの祖母・前園和江(風吹ジュン)から指輪をプレゼントされ、ミナミへの婚約指輪とする。2人は結婚するが、『蒼龍戦記』がベストセラーとなり多忙を極めるリクは、最初の読者になって欲しいとミナミに交際を申し込んだことを忘れ、ミナミを蔑ろにする。最新作『蒼龍戦記Ⅲ』では主人公ガロアスはミナミをモデルにしたバディのシャドウを失いつつ旅を続ける決断を下す結末を迎えていた。原稿を読んだミナミは衝撃を受ける。リクは酩酊して帰宅した翌朝、目を覚ますとミナミの姿は無かった。文報社文芸編集部部長の春日研一(八嶋智人)から何故か早く出社しろと電話で怒鳴られる。映画化に関する打ち合わせはリスケしたのでサイン会のみでお願いしますと慇懃な態度の昨晩とは打って変わっていた。リクが出社すると小松みのり(円井わん)とともに梟屋書店へ向かうよう命じられる。自分ではなく羽田圭介(羽田圭介)のサイン会であった。憤然として書店を出てタクシーに乗り込むと、前園ミナミのニュー・アルバム「Ambivalent」の宣伝をするアド・トラックが目に入った。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

「知らないカノジョ」というタイトルは、原作の邦題に比べて原題"Mon inconnue"に近い。

ミナミとの関係が冷え切っていたリクが『蒼龍戦記Ⅲ』の初稿を完成させたのはスーパームーンの月蝕の晩。最初の読者との約束を反故にしてミナミを置いて家を出たリクは、1人飲んで帰宅すると、ミナミの枕元に初稿があるのを発見する。だが酩酊していたリクはそのままベッドに倒れ込んで寝てしまう。翌朝目覚めると、ミナミの姿は無く、文報社文芸編集部の春日部長に電話で怒鳴られる。自分が売れっ子作家ではなく文報社の編集部員であること、ミナミが大手音楽会社Bextar所属のミュージシャンとして成功している世界だと気付く。たまたまミナミがニューアルバムのプロモーションでラジオの生放送にゲスト出演していることを知ったリクが駆け付けるが、ミナミはリクのことを知らなかった。文報社の同僚となっていた梶原は大学で4回タイムリープ(留年)するほどのSF好きで、パラレルワールドへの転生について、神の悪戯により時空が歪むか、誰かの強い願いによるかのどちらかだと説明して見せる。作家として成功せずミナミとも繋がりの無い現在の世界を否定するリクに、梶原は俺だって別の世界へ行きたいと願うことくらいはあるさとぼやきつつ、この世界を否定しないように諭す。リクが老人ホームに入所しているミナミの祖母のもとに押しかけ警察沙汰になったのを見かねた梶原は、リクがキャリアを積んだゴーストライターであり、ミナミの半生記を執筆しようとしていたことにして、ミナミのプロデューサー田所哲斗(眞島秀和)に近付き、ミナミから取材許可を得ることに成功する。
リクのSF小説『蒼龍戦記』は、主人公ガロアスが自分のいた世界とは異なる世界に転生してしまうという物語で、リク自らの転生を予兆となっている。なおかつ、リクがミナミと出逢ってシャドウというバディのキャラクターを生み出しながら、私生活でミナミとの関係が冷え切ってしまうと、最新作『蒼龍戦記Ⅲ』の結末を斃れたミナミを置き去りにガロアス1人で旅を続けることにしてしまう。自らの音楽活動を諦め、小説の最初の読者としてリクを支えてきたミナミは、ガロアスを支えたシャドウが始末される展開に衝撃を受け、異なる物語を強く願った。

(以下では、後半の内容についても言及する。)

リクの転成した世界で梶原は妻カナ(坂ノ上茜)を3年前に交通事故で失っていた。悲嘆にくれた梶原は別世界への転生を願ったこともあった。しかし、カナとの掛け替えのない日々のあったこの世界を大切にしようと、結婚を機に手に入れた浜辺の家で、妻の可愛がっていた犬とともに暮らしている。だから梶原は、リクに別世界ではなく、現在の世界でミナミとの関係を築くよう励ます。冴えない自分の生きる世界を肯定し、そこでどう生きるかが大事だと、本当の自分とはどこか別の世界に存在するのではなく現在の自分なのだと、梶原のリクに対するアドヴァイス(敢て要約すれば"Carpe diem")こそ、この映画のメッセージである。

(以下では、結末についても言及する。)

リクは梶原の忠告を受け容れ、文報社の文芸部員として努力する。新進作家・金子ルミ(中村ゆりか)の発掘・育成にも成功し、ルミの『少女と兎』の映画化に当たり、ミナミが主題歌を引き受けることで、リクはミナミとの繋がりを持つことができた。リクはこれまで自分の成功ばかり考えてきたんじゃないかと反省し、ミナミが成功すれば自分の作家としての成功、そしてミナミとの「復縁」(ミナミの成功する世界においては「交際」)を望む必要はないと諦める。この世界で改めて執筆した『蒼龍戦記』を廃棄してしまう。だがミナミはリクに自分も作家の夢もリクに諦めて欲しくないと強く願う。
ミナミの強い願いは、最初の世界では月が皆既月蝕で地球の影になるときに生じる。リクとは、陸(earth)であり、地球(the earth)である。ミナミはシャドウ(影)であった。その世界が影に覆われて終わる(画面が暗転する)。リクが転生した世界では、月が月蝕を終えて輝き始める(画面が白い光に包まれる)。それはリクだけの、あるいはミナミだけの成功する世界とは異なる、新たな世界の到来を告げる。

『蒼龍戦記』の蒼龍とは青龍か。青龍の象徴する東(日の昇る場所)を目指すということだろうか。月蝕が重要なモティーフであり、ミナミの名前も方角であるが…。
リクの転生した世界で、リクの部屋に貼ってあるミナミのポスターはアルバム"inversion"のもの。リクとミナミの成功者としての立場の反転(inversion)が暗示される。
ミナミの祖母は歌手として成功したパラレルワールドから転生しているらしい。
リクとミナミの初デートがみなとみらいなのは、の山崎まさよしの"One more time, One more chance"を連想させるためではないか。
転生した世界で梶原が心配してリクを見舞って食べるスパゲティは、明らかにカリオストロの城のミートボールパスタを意識している。
miletはTVドラマ『アンチヒーロー』の主題歌"hanataba"で強く印象に残っていた(TV『ハコヅメ~たたかう!交番女子~』の主題歌"Ordinary days"も手掛けていたとは!)。特徴的な歌声、作詞・作曲の才能はもとより画面に引き付ける美しさ、とりわけ眼鏡をかけて魅力が弥増すのに驚く。
桐谷健太はいい人がはまり役。それこそ「この世界」を肯定する力を与えてくれるのに力を発揮して余りある。桐谷健太がいなかったら全く違う作品に見えていたのではと思わせる。
余談だが、中島健人はTVドラマ『彼女はキレイだった』で演じたクールな役よりも、TV『しょせん他人事ですから~とある弁護士の本音の仕事』のスイーツ好きの弁護士で見せたコミカルなキャラクターが魅力的。