展覧会『もりさこりさ「醒めない夢に針を落とせば」』を鑑賞しての備忘録
MEDEL GALLERY SHUにて、2025年2月28日~3月12日。
真夜中、輝く光に誘われて、あらゆる境界を越えて自由に往き来できる世界を表現する絵画で構成される、もりさこりさの個展。展覧会タイトル「醒めない夢に針を落とせば」は、音楽を聴きながら描き出した世界をレコードに見立てたことに由来する。
《Dream Time》は眼鏡の男性の顔を描いた作品。レンズ越しに見る世界は現実と同じだろうか。少なくとも現実は歪められているはずである。《Gimme Little Sign》では男の眼鏡に踊る女性が映る。眼鏡=レンズの存在により、目にすることはイメージとして対象を捉えてしまうことだ。江戸川乱歩の小説「押絵と旅する男」では、押絵と旅する老人の兄が遠眼鏡を利用して押絵の中に入り込んでしまったではないか。絵画もまたレンズであり、あらゆるものを映し、取り込むのである。絵画では境界を跨ぎ越し、あらゆるものが併存しうる。必要なのは光である。作品に表される照明や月、そして生命は全て光である。
O JUNにとっても絵画は特殊な場所であった。彼は「非日常」を敏感に捉え描いていく。「非日常」とは、普段、ありもしない場所に何かがあったり、ふいに何かが訪れることだ。これは、何かの「兆し」であるという。その多くは記号のようにフラットに描かれている。「非日常」である衝撃的な事件もフラットに描く。ここには日常が非日常に侵食されていく様が描かれる。あるいは非日常が日常化していくのである。彼にとっては「非日常」の最たるものが絵画自体であった。絵画は「平面という、およそありえぬ世界」である。Oはこの世界と「絵画世界」を往還する越境者である。「絵画世界」で得たおよそこの世にはあり得なかった「もの」や「こと」をこの世界にもたらす。それらのあるものは不穏な印象を与える。(略)
(略)
(略)人間は時間の流れに沿って、「瞬間」の連続により生きている。しかし、魂は自由だ。過去にも、未来にも、宇宙の果てまでも意識を飛ばすことが出来る。なぜ可能なのか。それは魂に「神的なもの」の性質が備わっているからだ。それは大元にある「何か」とつながっている証しである。「何か」とは私たちの「もとした場所」でもあり、古来「カミ」と呼ばれていた。
「カミ」は絶えずこちらに目配せする。そしてこの世界にはたらきかける。「カミ」jはまず創造する魂に呼びかける。その結果、芸術作品はその「声」を宿す。作品を見て感動するのは「声」を聴いているからだ。人はみな「カミ」の「声」を聴き取る能力がある。ただ、先述したとおり直接聴くことは危険を伴うため作品を介して「聴く」のである。
しかし、ふとした拍子で「声」を聴くことがある。そうすると郷愁に似た感情にかられ、無性に帰りたくなる。だが、どこに帰ってよいかわからない。このとき、藝術作品はこの上ない慰めとなる。私たちの「もといた場所」を想起する「よすが」となるからだ。優れた作品は「よすが」としてのはたらきがある。これは、表現者自身が激しい郷愁にかられたからこそ起こりうる出来事である。根源的な郷愁こそ「顕神の夢」を見る理なのだ。それは「カミ」に対する思慕であり、その結果惹き起こされる幻である。
このような「夢」は、「天の食」同様、魂に資する。可視化された「夢」である藝術作品は「魂の糧」である。(江尻潔「顕神の夢」江尻潔・土方明司企画・監修『献身の夢―幻視の表現者』顕神の夢展実行委員会/2023/p.357-360)
満月が上っていた。真夜中らしい。表参道から脇道に入ると、ピンク色のアパレルショップがあった。ウサギか跳ねて、一区画先にの階段を下って行った(ピンク色の獣と俯く眼鏡をかけた男の胸像《おきてよDreamer》)。アリスではないが、ウサギを追って階段を降り扉を抜けると、艶やかなサクランボを咥えた女の口が目に入った(《Wild Cherry》)。よく見ると、彼女の背後にはスーツ姿の男がいる(《Big suit & Big mum》)。歌声に誘われるまま奥へ向かうと、腹這いになった女性が美しい声で歌っていた。魚が泳いでいる。彼女はセイレーンだったのか。銀色のウロコがキラキラと輝く(泳ぐ魚と腹這いになって輝く鍵を手にしようとする女《Siren》)。ミラーボールの回転だ。明滅する光の中で、激しく踊る女の姿が、まるでゾートロープのように見える(男の眼鏡に映る踊る女《Gimme Little Sign》)。水槽のようなガラス張りのブースでDJが1人煙草を燻らせている(《Ruby Baby》)。紫煙の行方を見やると、もくもくと湧く雲の中にポニーの首に顔を寄せる男がいた(《Lookin' At Tomorrow》)。ポニーと男の姿が斜めに傾いで、急速に遠のいていく。鳩に摑まれて遙か上空に連れ去られたのだ(翼を拡げた鳩の背にいる男《Lucky Man》)。満月が上っていた(《Moonchild》)。真夜中らしい。表参道から脇道に入ると…。