展覧会『来たる世界 2075 テクノロジーと崇高』を鑑賞しての備忘録
GYRE GALLERYにて、2025年2月11日~3月16日。
アンドレア・サモリー(Andrea Samory)の彫刻「キメラ」シリーズ、イオナ・ズール(Ionat Zurr)の「人工子宮」プロジェクト、井田大介の彫刻《シノプテス》、牧田愛の映像作品《動的平衡》などを通じてテクノロジーにより人間の心身が変容した近未来を想像することで、現在の解決困難な問題の糸口を探る企画。
アンドレア・サモリーの作品。灰色の長円形のカプセル、及び玉虫色の小さなカプセルに覆われた人間の顔から右目の周囲だけが覗く《Signal 1.1-Deposition》(410mm×440mm×110mm)は、壁に掛けられた立体作品。「Infection」シリーズは、筋や皺のある皮膚や消化管のようなものに玉虫色のカプセルが附着した立体作品である。《Signal 0.1》ではこれらの彫刻作品がCGアニメーションとして描かれる。カプセルは細菌のように体内を流れ、あるいは顔を覆っていく。《Signal 1.1-Deposition》に表わされた眼からは当惑した感情が明白であり、増殖する細菌やウィルス、あるいはそれらが暗示するテクノロジーによって人間が翻弄される状況が表現されている。6本の脚を持つ獣の胴体を表わしたメタリックな紫色の立体作品《Chimera 1.7》(1550mm×600mm×1050mm)に頭部はない。テクノロジーが生命倫理などの問題を置き去りに発達する姿を揶揄する。
ソフィー・バルト(Sophie Barthes)監督の映画『ポッド・ジェネレーション(The Pod Generation)』(2023)は、人工子宮ポッドを利用して胎児の育成・出産のアウトソーシングが可能になった世界を描く。人工子宮ポッドは卵型のスタイリッシュな家電製品のような外観で表現されていた。それに対し、イオナ・ズールの人工子宮《ExUtero》の映像及び写真では、細胞の培養などを通じて人工的に生成される子宮が剥き出しにされている。生々しい臓器は、人間の欲望を明るみに出すことにもなっている。
井田大介の彫刻《シノプテス》(1200mm×1200mm×1800mm)は、右手のスマートフォンの画面を眺めつつ、左手でトイレットペーパーのロールを掲げた人物大小2人が接合された立体作品。ボサボサした髪や髭の人物のうち大きい方の顔には眼が1つしかない。もっとも、2人の身体にはあちこちに眼が付いていて、近くの動きを察知して開閉する。タイトルは、ギリシャ神話に登場する沢山の眼を持つ巨人アルゴス・パノプテス(Ἄργος Πανόπτης)と、社会学者トマス・マシーセン(Thomas Mathiesen)が提唱した、多数者による少数者の監視を意味するシノプティコン(Synopticon)とを組み合わせたもの。今や人々は世界のあらゆる情報を瞬時に手にする。だが、大量の情報に思考は追いついているだろうか。トイレットペーパーのロールは、半世紀前の第一次オイルショックの際に人々がトイレットパーパーが無くなると信じて一斉に買い求めた騒動を想起させる。真偽を問わずスマートフォンから得た情報で動く人々の姿は50年経った現在でも変わらず、おそらく50年後も変わらないだろうという揶揄である。
牧田愛の映像作品《動的平衡》は、SF映画の未来都市の廃墟のようにも、生体を顕微鏡で観察したイメージのようにも見える。看板や廃棄物などの画像を人工知能に読み込んで抽象化することで作成した映像だという。人間の営みも細胞の働きも、スケールこそ異なるがパラレルである。マクロコスモスとミクロコスモスとの照応をテクノロジーと一体化した世界・人間に当て嵌めた作品と言える。