可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 サラ・アンスティス個展『Bath』

展覧会『サラ・アンスティス「Bath」』を鑑賞しての備忘録
ペロタン東京にて、2025年3月5日~4月5日。

初期フランドル派やフォンテーヌブロー派といったルネサンス期の雰囲気を湛える、主に女性を描いた絵画で構成される、サラ・アンスティス(Sara Anstis)の個展。

表題作《Bath》(381mm×395mm)は、クリーム色の浴槽から顔を覗かせる2人の女性と犬とを描いた作品。浴室は赤味のあるやや淡い茶色の壁で床には緑と薄緑の市松模様のタイルが張られ、淡い青のバスマットは誰かが出て行ったかのように濡れている。クリーム色の浴槽は獣足ではなく人間の足の形をしている。バスタブから顔を出す2人の女性は無表情に近く、右側の女性は鑑賞者の方(正面)を向き、もう1人の女性と犬は画面右側の方が気になっているようだ。浴室には大きな鏡があり、画架に向かう女性画家の頭部と筆とが覗く。右側の女性は画家の方を向いているのだろう。
《Standing Bath》(155mm×125mm)は、降雪した丘陵地の見晴らしのいい場所で淡いベージュ色のカップのような形の浴槽に入る女性と、棒で湯を混ぜる女性とを描いた作品。クリーム色の雪に覆われた丘には一部木々の淡い緑が覗く。入浴している女性だけでなく、棒で湯を混ぜる女性も裸である。浴槽に焚口は見えないので裏にあるのだろう。寒々しい後掲にも見えるが、火の代わりのように、浴槽の脇のにタオルハンガーに掛かる朱色のタオルが温かみを添える。
Laundry》(261mm×221mm)は、物干しロープに洗濯物を干す女性が白いシーツの向こうから洗濯ばさみをとめながら鑑賞者の方(正面)を向く。白いシーツの上からベージュ、水色、桃色、赤の布を重ねて干してあり、彼女の衣装のようでもある。
《Bath》、《Standing Bath》、《Laundry》に共通するのは、(《Standing Bath》における棒を手にした女性を別として)女性が顔を覗かせ、身体を隠している点である。
女性は誰から隠れようとしているのか。男性からである。

《Dinner Table》(355mm×272mm)には、淡いピンク色のテーブルの手前に1枚の白い皿とナイフとフォークとがセットされ、その脇にクリーム色のワンピースの上に茶の薄手のケープコートを羽織った女性が立ち、テーブルの向かいに裸の女性が左手を差し出す姿が表わされている。手前の着衣の女性との対比で、向かいの女性の裸体が強調される。年齢のより高い女性と若い女性との対比ともなっている。
《Sitting》(1200mm×1000mm)には、濃い緑で塗られた抽象的な背景に両膝を着いて前屈みの裸の女性が右側面から表わされている。画面上部には明るい部分が点じられていて、木洩れ日のようにも見える。女性の脇に魚の姿があり、水辺のようでもあるが判然としない。1匹は泳いでいるようにも見えるのだが、もう1匹は頭部と胴部とで真っ二つに切り落とされているからだ。キリスト教のエピソード(例えば、『マルコによる福音書』第1章第16-18節、『マタイによる福音書』第13章第47-50節など)を踏まえたものであろうか。《The Biting Fish》(350mm×300mm)には、魚に呑み込まれる女性の姿が登場し、聖書のヨナの物語を彷彿とさせるのである。

《Pillow》(190mm×125mm)は、ベッドで横になる女性の首元に3匹の犬が潜り込んでいる様子を表わした作品。女性がシーツから頭を覗かせ、枕カバーから中が覗いていることと相俟って、犬にとっての枕となる女性は、枕とパラレルである。
《Bladderwrack》(340mm×260mm)では、暗い草原で妊婦と思しき女性が後ろに倒れかかるのをもう1人の女性が左手で支えている。支える女性は右手では2匹の犬(?)を持ち、頭には犬が乗っかる。支える女性の肩には青い花が掛かる。女性の左脇腹は切開されていて、肋骨らしきものが覗く。『創世記』第2章第21節にはアダムの肋骨からイヴを創造したと記されるが、ここでは女性の肋骨から犬のような生き物が生み出されている。ヒバマタという海藻をタイトルに冠しているのは、海藻が有性生殖とともに無性生殖が可能なためであろう。すなわち、本作は無性生殖への転換を訴える作品だったのである。
展示作品中最大画面の《Running, Red》(1600mm×1200mm)は、裸の女性が走り去る姿を中心に、その背景には、ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)の《快楽の園(Tuin der lusten)》を想起させるような世界に、綱渡りしながら人を運ぶ女性たち、犬を連れ出す女性たち、新生児(あるいは胎児)のような犬を寝そべって世話する女性たちなどが描かれる。逃走する女性の脇に立つ木の柱にはいくつかのメモが貼られ、そこには女性の胸部から腹部を切開したイメージが描かれる。実際その脇には、胴体の前面が着られ、肋骨や消化管などを覗かせた女性が立っている。授乳の乳房、胎児を育む子宮といったものを排除したかのようだ。赤黒い世界の所々に見える池は明らかに女陰を連想させる形をしている。女性は、出産に纏わるあらゆる苦しみから逃れようとしているのかもしれない。堕胎や新生児の遺棄などの問題が何故か女性のみの責任とされ、男性の射精責任が問われない社会からと言ってもいい。すなわち、《Bladderwrack》の無性生殖の世界へと踏み出しているのである。そして、その先にあるのは、《Bath》で描かれる、男性のいない、女性たちと犬が象徴する新たな人類の世界である。