可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 和田咲良個展『)(』

展覧会『和田咲良「『)(」』を鑑賞しての備忘録
小山登美夫ギャラリー天王洲にて、2025年3月8日~29日。

和田咲良の絵画展。展覧会タイトル「)(」は「( )」を反転させた「外向きの丸括弧」を表わす。

《夢をみる》(1826mm×3370mm)は、ベッドに短パンを穿いた半裸の青年が横たわり、その足元に犬(グレイハウンド?)が立つを描いた作品。白地にクリーム色の縞の壁紙の室内で薄紫色のベッドに寝る青年は明るい浅黄色の短パン以外には何も身に付けず、オレンジ色の肌を晒している。左腕が曲げられ左手で目の辺りを覆う。右腕は胴の脇に置かれ、右手はベッドから食み出す。枕は黄土色の字に褐色の水色のヒトデのような星がデザインされている。枕の傍にはベッドの脇に置かれたサンセベリアトラノオ)の肉厚の葉が影をのばす。眠る彼の脚を跨ぐように犬が立つ。胴は白地に黒の斑で、頭部から首、足、尾などは黒い。「胡蝶の夢」よろしく、青年が犬として生きる夢を見ているのであろうか。注目したいのは、犬の真横に伸びた尾から背中の線、シュッとした伸びた鼻先、さらには淡い緑の桟の窓へ鑑賞者の視線を導くことである。ところで、《夢をみる》の上方には、格子の向こう側から光が覗く《夜1》(238mm×188mm)が、また向かって左側の別の壁面の同じ高さにも、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の《夜のカフェテラス(Terrasse du café le soir)》を連想させるような、星が瞬く夜空を描いた《夜の絵》が掛けられている。それらに比し、《夢をみる》の窓ガラスは漆黒の闇であまりに暗い。マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)が窓に黒革を貼り付けた《フレッシュ・ウィドウ(Fresh Widow)》を想起させる。《フレッシュ・ウィドウ》を踏まえれば、妻(widow)が亡き夫(=青年)を追想したイメージと解することもできよう。これは荒唐無稽な解釈とは言えない。なぜなら、犬を散歩させる女性を描く《さんぽ》(1825mm×745mm)において壁と道との境界線にオレンジ色が配されており、なおかつ、画面には手だけが表わされている人物もまたオレンジであり、オレンジは幽明の境を象徴するものと考えられるのである。

《↑↓》(1540mm×1075mm×1075mm)は、水面に映った月に向かって伸ばされる手を描いた作品。暗い緑の水面に映じた黄色い満月がぼんやりと浮かぶ。その水面の月に向かい、赤い付け爪をしたような(あるいて爪が伸びた)左手が伸びる。手の左側には獣の尖った耳が2つ覗く。画面の周囲には白と黒の毛が貼り付けられ、支柱の脇にはねずみ色の毛の塊が2つ転がっている。背面には別の小さなキャンヴァスに赤いペディキュアを施した女性の足が描かれていることから、満月を目にして狼に変身する――「↑↓」は変身を表わす記号であろう――女性、すなわち魔女を表わしたものと解される。魔女は悪魔と結び付けられるが、それはカトリックの教義など男性の支配する社会のルールに従わないが故であった。敷物が円形であるのは、支柱の形と組み合わせ☮(ピースマーク)が現われるようにであり、魔女は平和を祈念しているのである。ところで、《トラノオ》(535mm×225mm)では、三宅一生のコレクションにありそうな黄緑色のヒトデのような形を描いたキャンヴァスの上に、粘土で薄紫の尖った立体を並べている。トラノオサンセベリア)はナイジェリアの戦争の神オグン(Ògún)と結び付けられており、戦争と平和との反転(↑↓)が組み込まれている。さらに、《トラノオ》のイメージは、《45億440万km先》(3307mm×501mm×50mm)で刺繍によって表わされた海王星のイメージと瓜二つである。室内の観葉植物(《トラノオ》)と太陽系の果ての海王星(《45億440万km先》)とは容易に反転(↑↓)する。その仕掛けは、会場に設置された半透明の仕切り《dUbカーテン》(2700mm×2705mm)にある。赤瀬川原平が蟹缶の内外を裏返させることで、蟹の缶詰を宇宙の缶詰に転換してみせたように、カーテンを反転させれば、内は外になるからである。