展覧会『黒瀧舞衣「わたしの洞窟」』を鑑賞しての備忘録
MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERYにて、2025年3月19日~3月31日。
顔や手の素朴な表現と執拗な彫り込みのグロテスクさとが同居する木彫作品で構成される、黒瀧舞衣の個展。
《ちいさな海、つつんでつつまれて》(400mm×255mm×160mm)は、両手の中に包まれた少女を表わした木彫作品。少女はおかっぱで頭部と手以外は、おくるみを連想させるようなU字状の連なりで構成されたローブによって包まれている。彼女の表情には、どこか松本竣介の描く人物を想起させる純朴さがある。絵画を想起させる。彼女を覆う手は手首の辺りまであり、螺髪のようなボツボツとした表現で埋め尽くされている。タイトルからすれば「螺髪」は波の表現なのかもしれない。《ちいさな海、よりそう》(195mm×130mm×70mm)は、やはりボツボツとした彫りを施した左手に魚の身体を持つおかっぱの少女がもたれ掛る様を表わす。《ちいさな海、ずっとまたていていた》(130mm×120mm×65mm)と《ちいさな海、いっぱいのからっぽ》(125mm×120mm×65mm)とは対で、前者は左手にヒトデを、後者は右手にフジツボを表わしてある。包み込む手は海である。《ちいさな、ちいさな、わたし》(800mm×510mm×450mm)では姉妹を抱え込む母親の、少女たちの顔と同じ大きさの手が印象的である。とりわけ右手は二重に表わされ、包み込むイメージが強調される。それは寄せては返す波のように、母の手は娘を何度でも何度でも包み込むのである。母(mère)は海(mer)である。そして『西遊記』に描かれる釈迦の掌よろしく、作家の描く手は世界そのものである。
《ふたつの泣いた山、結んで》(720mm×520mm×520mm)と《ふたつの泣いた山、解いて》(720mm×490mm×450mm)は、ともに大量の涙と髪や髭の表現とが一体化した、ニポポを連想させる人物の胸像で、対の作品。胸の前で手を組んでいる(ようである)が、それぞれ右手と左手で涙を抑えてもいる。執拗な線刻が印象的である。海の母に対して、山は父として表現されているようだ。
表題作《わたしの洞窟》(1850mm×710mm×650mm)は、2つの顔を台座などで挟んで積み重ねた柱状の作品。目、鼻。口、あるいは髪や睫毛などが彫り出される他、滂沱と流れる涙の流れが顎の辺りで髭のような表現に連なっていく。睫毛には鉄線が加えられ、口の中には白く長い歯が入れられている。上の顔の裏には上下に歯を持つ入口があり、綱のようなアーチが五重に取り巻いている。入口からは表の顔の口が見える。上の頭部が洞窟となっている。下の顔の裏には表と同様に落涙の顔があるが、目を閉じている点で異なる。作家による執拗な彫り込みは、郵便配達婦が来る日も来る日も石を積み上げて制作した建築「シュヴァルの理想宮」を連想させる。明らかに木で作られながら、石積みの表現に近付いている。その印象が、例えば、アステカ神話のコアトリクエを呼び起こしもする。すなわち地母神である。
(略)グロテスクという言葉は、もともと土に埋まっていた皇帝ネロの宮殿ドムス・アウレアにちなむものです。ただ土の埋もれていただけで決して地下の施設ではなかったのに、地下洞窟とされた。たとえばイタリア語で洞窟を「グロッタ」といいます。この洞窟の壁にいわゆるアラベスクというか唐草模様のデザインがあった。偶然なわかですが、こうして蛇行する線がつくるデザインをグロテスク・モティーフと呼ぶようになった。地下の洞窟、そして蛇行の曲線をひっくるめてグロテスクというのだということをしっかりおぼえておいてください。
(略)
地下の洞窟をさすグロテスクが、人間体内の羊腸というか五臓六腑とのアナロジーを通じて、人間の身体性・肉体性を指す記号ということになります。肉体というあたりまえのものを忘れようとしてシステムを肉体や偶然というものを排除する方向に構築してきたのが近代といえます。するとそのなかで時折、人間の身体性がリバイバルする時期があります。理性の方からは当然、混沌とか幼稚とか呼ばれる時代です。グロテスクのデザインもそうした時期に生まれました。グロテスクと呼ばれるデザイン様式は、主に曲線の錯綜で構成されていて、その線の上に配置されている動植物、人間、無機物、その他さまざまな要素が渾然一体となっています。(高山宏『表象の芸術工学 神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ』工作舎/2002/p.116-117)
洞窟は体内であり胎内でもある。すなわち洞窟はミクロコスモス(身体)とマクロコスモス(宇宙)との照応のメタファーとなり得る。作家にとっては洞窟も手も等しく宇宙=世界なのである。