可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『レイブンズ』

映画『レイブンズ』を鑑賞しての備忘録
2024年のフランス・日本・ベルギー・スペイン合作映画。
116分。
監督・脚本は、マーク・ギル(Mark Gill)。
撮影は、フェルナンド・ルイス(Fernando Ruiz)。
照明は、川邉隆之。
録音は、トマ・フランソワ(Thomas François)。
プロダクションデザイナーは、金勝浩一。
衣装デザインは、宮本茉莉。
ヘアメイクは、反町雄一。
特殊メイク・造型デザインは、百武朋。
編集は、フランク・モデルナ(Frank Moderna)と小西智香。
音楽は、テオフィル・ムッソーニ(Théophile Moussouni)とポール・レイ(Paul Lay)。
原題は、"Ravens"。

 

結局、俺が鴉なんだ。俺が鴉だ。深瀬昌久
暗い部屋。灯りの下で鴉(José Luis Ferrer)が煙草を吸いながら写真を眺める。青年期と壮年期の深瀬昌久の肖像。
1992年。東京。部屋の隅の椅子に腰掛けていた深瀬昌久(浅野忠信)が咥えた煙草に火を点ける。サスケ! 飼い猫の名を呼ぶ。サスケ! 男が身体を前に倒し、煙を吐く。サスケは来ない。溜息を吐く。
昌久が茶卓に本を運んで来る。積み重ねた本の上にカメラを置く。カメラの向かいの箱の上に立つと天井から垂らしたロープの先を輪にして首に巻き付ける。カメラのレンズに向かう。そのときサスケが昌久の下にやって来た。何でもう…。何で毎回…。昌久が苦笑する。
親父はいつも言っていた。40にして子をなさねば死をもって汚名を雪ぐべし。
1951年。北海道・美深町。深瀬写真館。深瀬昌久(山本晃大)が暗室で酒を飲んでいた父親・深瀬助造(古舘寛治)に顔を出し、日本大学藝術学部の合格通知書を手渡す。家は写真館だ。大学出の必要はない。アメリカやフランスじゃ写真家が芸術家として扱われてる。そいつらの話を二度とするな。助造が合格通知書を破く。お前の役目は写真館を継ぐことだ。 了暉に継いでもらえばいい。お前は長男だ。何が役目だよ。死んだ奴が決めたことだろ。今、何て言った、この野郎! 助造は昌久を殴る。俺の仲間はみんな戦争で死んだんだよ! 父さんも死ねば良かったんだ! 父は暗室を出ると引き戸を心張り棒で開かないようにする。
こんな所に閉じ込めて。もう子供じゃないんですよ。母親の深瀬みつゑ(金谷真由美)が助造に言う。お前は東京みたいな危険な所に行かして平気なのか? 売春婦やらジャズやらある所だぞ。暗室に漏れ伝わる父母の諍いを昌久が耳にする。白み始めた空からの青い光で窓がうっすら明るい。毛布に包まり瓶から直に酒を呷った昌久は眠くなる。鴉が羽搏き、舞い降りる。窓を嘴でコツコツと叩く音がする。昌久が窓を開けると、鴉が室内に飛び込んだ。コンバンハ。誰? 先ニ名乗ルノガ礼儀ダロウ。父ト子ノ確執ダナ。マダ序ノ口ダ。何で喋れるの? ソッチコソ何デ分カル? 行クゾ。未来ハ待ッテクレナイ。何故か鴉は暗室の扉をさっと開け放つ。昌久は鴉に導かれて暗室を出て行く。
茶の間で両親を前に坐る昌久。昌ちゃん、誕生日おめでとう。みつゑがカメラを渡す。うちも新しい機材を使える人が必要だからね。一生大事にします。ありがとう、母さん。父は不機嫌に出て行く。お父さんはお前が跡を継いでくれることが望みなの。分かるでしょ? でも、ここは母さんの家でしょ? そうよ。東京に行っても家に戻ることは忘れないでね。はい。
昌久が暗い通路を抜ける。飲屋街に出る。煙草に火を点け、吸いながら歩く。二度ほど脇道に逸れ、狭く急な階段を上がる。スナック南海(なみ)。時計より正確だわ。足音に南海(高岡早紀)が呟く。店に入った昌久が南海に訴える。俺はねぇ、ここの階段で絶対死ぬから…。もっと気を付けないと。俺はね、気を付けてんだよ。だからさ、そんときはさぁ、これで写真撮って欲しい…。昌久がカウンターにカメラを置き、南海の方に押しやる。笑う南海。冗談じゃないんだよ、本気で言ってんだから…。南海はボトルを出し、昌久の前に置く。人ってもんは必ず死ぬものなんだよ。狂った芸術家はみんなそう言うわ。南海はカメラを昌久の方に押し戻す。
1960年。食肉処理場の脇にある道。トラックの荷台には吊されている肉を昌久がカメラを構えて撮影する。連絡してあるんですよね? 助手の正田モリオ(池松壮亮)が尋ねる。ああ、電話で話しておいた。食肉処理場の社員がやって来て深瀬に30分で撮影を終わらせるよう求める。病院から子供が生まれたら電話が掛かってくると深瀬が言うと、だったらこんな所にいないで病院に行くべきでしょうと返された。
雅久の事務所は多くの人で賑わっている。昌久は一人暗室で焼いた写真を確認して乾かす。そのとき電話が鳴る。もしもし。…分かりました、すぐに向かいます。昌久はカメラを手に出て行く。
病院。看護師が小さな遺体に手を合わせる。好きなだけいていいですからね。奥様が呼んでましたよ。看護師が出て行く。女房じゃないですけどね…。昌久は小さなベッドに寝かせられた赤子の白いシーツを剝がすと、しばらく見詰め、やおら小さな頭をそっと撫でた。昌久はカメラを構えると、シャッターを切る。シーツを被せると、昌久は出て行く。

 

1992年。写真家の深瀬昌久(浅野忠信)は酒浸りで、素面のときは自死を図ろうとするほど精神的に追い込まれていた。
北海道・美深町で写真館を営む深瀬助造(古舘寛治)と深瀬みつゑ(金谷真由美)の長男として生まれた昌久は、1951年、家業を継げとの父の要望に反して、写真館は弟・深瀬了暉(地曵豪)に任せ、自らは写真家となるべく大学進学を機に上京する。この頃から昌久はしばしば鴉(José Luis Ferrer)の言動に悩まされるようになる。大学卒業後、広告写真を撮る傍ら、正田モリオ(池松壮亮)を助手に屠殺された動物などを被写体に作品作りをしていた昌久は、自らの子の亡骸にもレンズを向けた。1963年、人目を惹く容貌の鰐部洋子(瀧内公美)と出逢いモデルを依頼する。付いてる物が無かったから能楽師に成れなかったとか、写真家はシャッターボタンを押すだけでしょなどと明け透けな物言いに、洋子はミューズに違いないと昌久は確信する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

昌久は、彼の才能を高く買う山岸章二(片山亨)により、MoMAで開催される現代日本の写真作家を取り上げる展覧会に出展することになった。助手の正田モリオから、妻・深瀬(鰐部)洋子という被写体がいてこその成功だと夫婦仲の修復を図るよう助言される。昌久の頭の中には、洋子がかつて言い放った、写真家はカメラのボタンを押すだけとの言葉が浮かび上がっただろう(掃除機の宣伝写真撮影のエピソードは、モデルが掃除機をギターのように構えて快活にパフォーマンスするのに対し、カメラの後ろでじっと坐る昌久を映し出すためだろう)。婚姻関係は破綻してしまう。
昌久は屠殺される豚や、死産だった我が子を被写体にしてきた。実は、戦地から生還し死者の声(昌久に渡す刀によって自裁できなかった後悔が暗示される)に悩まされ続けた父・助造の影響で、常に死に惹かれていたのである。父は死者の世界を象徴する暗室にいて、後からやって来た昌久を暗室に閉じ込めるのだ。そして、母から渡されるカメラ(camera)は「暗い部屋(camera obscura)」に由来する。昌久はカメラというポータブルな暗室(=死者の世界)を肌身離さず持ち歩くことになる。また、芸術家が脱俗の境地にあるなら、死者の世界からの眼差しを有していると言ってもいい。昌久に付き纏う鴉は、死者の声であり、芸術家の声を象徴するものであろう。
昌久は自らが写真を撮ることによって、被写体を破壊してしまっているという妄想に囚われる。写真を撮る(shoot)とは銃撃する(shoot)ことであり、洋子との破局もまた、洋子を撮った(≒撃った)結果なのだと。
生命は動きであり、変化であり、時間である。それを象徴するのが生活する――生活を成り立たせる仕事をするよう昌久に求める――洋子である。だが昌久の写真はある瞬間に対象を固着してしまう。静止した生命(still life)とは、死である。昌久の象徴する写真と、洋子の象徴する"Life goes on."の現実とは時々刻々と引き離されていく。後に額装した洋子の写真(のガラスカヴァー)を昌久が叩き割るのは、破壊ではなくむしろ写真を再生させたい――生き直したい――という昌久の虚しい願いであった。
昌久は、父・助造を嫌悪する。それは、自らがあまりにも父に似ているからだ。「40にして子をなさねば死をもって汚名を雪ぐべし」との父の言葉に囚われ続けたのもその証拠である。40を越えて子を持つことが無かった昌久は死を求め酒に溺れた。それは戦地から生きて帰って酒に溺れた父の姿と瓜二つである。父同様、昌久も自ら生に終止符を打つことはできなかった。だから正田や南海に撮影(≒撃ち殺)して欲しかったのだ。