映画『ベイビーガール』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のアメリカ映画。
114分。
監督・脚本は、ハリナ・ライン(Halina Reijn)。
撮影は、ヤスペル・ウルフ(Jasper Wolf)。
美術は、スティーブン・カーター(Stephen H. Carter)。
衣装は、カート&バート(Kurt and Bart)。
編集は、マット・ハンナム(Matthew Hannam)。
音楽は、クリストバル・タピア・デ・ビール(Cristobal Tapia de Veer)。
原題は、"Babygirl"。
ロミー・マティス(Nicole Kidman)が夫のジェイコブ・マティス(Antonio Banderas)の上で声をあげ髪を振り乱しながら腰を使う。ジェイコブが呻き声をあげて果てる。愛してる。ジェイコブはそのまま眠りに落ちる。愛してるわ。ロミーは夫に声をかけると、そそくさとベッドを後にする。自分の仕事部屋に行くとラップトップでポルノ動画を再生する。ラップトップを床に置き、腹這いになったロミーは、右手で激しく自身の性器を刺激する。昂ぶったロミーは喘ぎ声が寝室に漏れ伝わらないよう左手で口を抑え、果てる。
広大な物流拠点では、テンサイル社の商品の保管・受注・出荷業務を担うロボットが作動している。
ロミーが鏡に向かう。目薬を差したり、頬にチークを入れたりしながら、スピーチの練習をする。電子商取引の増加と迅速な配送に対する期待から労働力不足に直面しています…。良いとはどういうことかを理解する必要があります。守り育てるとはどういうことかを学ばなければなりません…。メッセージを書いたカードを娘達の鞄に入れる。
食卓にロミーが食卓に朝食を用意する。エドって? ノラ・アティス(Vaughan Reilly)に尋ねる。ホームレス。私はダンサーだけどハイカーじゃない。イザベル・マティス(Esther McGregor)はハイキングにはしょっちゅう行くじゃないと突っ込む。電話で話し込んでいるジェイコブは、ロミーのエプロンを見て変だと言う。ホームレスの人に靴をあげたの? そう。彼には似合ってたわけ? 彼女ね。メアリーを泊めてもいい? イザベルがロミーにお願いする。どうかしら。何で? 母さんは仕事で忙しいんだ。平穏と静けさが必要なんだよ。いつの間にか電話を終えたジェイコブがイザベルを諭す。少し手を入れておいたよ。ジェイコブはロミーに原稿を手渡す。
マンハッタンのミッドタウンにある通り。歩いて職場に向かっていたロミーは、黒い犬に通行人が襲われている場面に遭遇する。恐怖に凍り付いたロミーの下へ犬が向かって来た。その時、口笛が聞こえ、犬は若い男(Harris Dickinson)の下に駆け寄った。彼は容易く犬を手懐ける。飼主が彼から犬を引き取って連れて行った。
ロミーは犬の騒動で予定より遅れてテンサイル社の入居するビルに到着。入口で待ち構えていたエスメ(Sophie Wilde)に伴われ、すぐにスタジオへ。ロミーがカメラに向かう。アミット・レイが言っています。AIの普及に伴い、ますます感情的知性がリーダーシップに必要だと。私たちは製品に責任を組み込むことで暮らしを常に変えていきます。新たに加わった『ハーヴェスト』についてご紹介します…。
テンサイル社のCEOの部屋。エスメがロミーのもとにやって来る。評判は上々みたいね。ええ。感情的知性の引用が印象的でした。ジェイコブの入れ知恵なの。インターンを紹介してもいいですか? 構わないわ。数名のインターンがエスメに招き入れられる。緊張することはないわ。皆さんをお迎えできて光栄なの。質問があったら何でもどうぞ。質問、ありますよ。自動化で持続可能な未来が切り拓けると本当に思ってるのかってこと、それとも人をロボットにするための戯言なのか。先にロミーの目の前で黒い獰猛な犬を一瞬にして手懐けた青年だった。啞然とするロミー。エスメがCEOは忙しいからと慌ててインターンを退出させる。
ロミーには引っ切り無しに電話がかかってくる。電話や打ち合わせに忙殺されるが、ロミーは彼のことが頭から離れなくなっていた。
エスメらがインターンにメンター制度について紹介する。職場体験の質が全く違ってくるからとインターンにメンターを選ぶよう薦める。また、週末に年の瀬を祝うパーティーに皆は招待されているので、踊りやすい靴で来るようにと訴える。
テンサイル社の休憩室に、食事を終えたロミーが電話で話ながら入る。例のインターンを見かけたロミーは、コーヒーを1杯求める。…安全な誘導、柔軟性ね。技術だけでは全てに対応できないでしょ、…それじゃ。コーヒーを受け取ったロミーが彼に尋ねる。ねえ、どうやってあの犬を宥めたの? クッキーをあげたんだ。いつも持ち歩いてるの? まあね。欲しいの? いいえ。昼食後にコーヒーは駄目だよ。1日に何杯飲んでる? 関係ないでしょ。7杯。電話が入り、ロミーが立ち去る。
年の瀬のニューヨーク。ロミー・マティス(Nicole Kidman)はイェール大学卒業後に就職した投資会社を5年で辞め、作業の全自動化を進めるハイテク企業テンサイル社を起ち上げ、成功した。劇作家のジェイコブ・マティス(Antonio Banderas)と結婚して19年、イザベル(Esther McGregor)とノラ(Vaughan Reilly)の2人の娘に恵まれ、妻や母としての役割も完璧にこなしている。ジェイコブは愛妻家であるが、ロミーは夫との性生活では充たされない欲望を抱え続けていた。ある朝、マンハッタンのミッドタウンにある自宅から徒歩で至近の職場へ向かう途中、黒い犬に襲われかけた。咄嗟に口笛を吹いて犬を呼んで宥めた若者のお蔭でロミーは危うく難を逃れた。秘書のエスメ(Sophie Wilde)からインターンの面々を紹介されたロミーは驚く。犬を手懐けたサミュエル(Harris Dickinson)が含まれていたのだ。サミュエルはCEOのロミーに不躾な質問をし、馴れ馴れしい口を利き、剰えメンターに指定してきた。ロミーは溌剌として性的魅力に溢れるサミュエルに惹かれるとともに、自らの年齢に意識を向けざるを得ない。ロミーはサミュエルのメンターとして彼との個人面談に臨む。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
冒頭、ロミーを襲いかかる黒い犬はロミーの欲望の象徴である。それに対し、サミュエルが猛々しい犬をいとも容易く手懐けることで、サミュエルがロミーの欲求を操ることが暗示される。
スーツ姿の男性に取り囲まれてエレベーターに乗るロミーは、男性ばかりが出世する社会に食い込んだ数少ない女性を表わす。ロミーは支配される側ではなく、支配する側に廻ったのだ。エスメはロミーにロールモデルを見出す。
ハイテク企業のCEOとして注目の的であるロミーは、見られることを意識して美容にも余念がない。だが加齢による変化など身体をコントロールすることは難しい。性的快感を得ることも同様であり、自ら性器を刺激することでは満たされない。夫との性行為によっても絶頂に至ることができない。
ロミーは命令され服従したいという欲求が膨らんでいく。サミュエルはロミーに不躾な質問を浴びせ、また、馴れ馴れしい口を利いても、ロミーが拒絶しないことから、調教されたがっている女性だと見抜く。
ロミーがサミュエルのメンターとして臨んだ最初の個人面談で、サミュエルから迫られたロミーが顔を近づけると、サミュエルは顔を逸らす。ロミーはお預けを食らわされたのだ。その後も、サミュエルに呼び出された部屋で、ロミーは四つん這いになり、サミュエルの手に載せたキャンディを口に含み、あるいは床に置いた皿から牛乳を飲むように、犬として振る舞うことを要求される。
高い地位にある女性が目下の男性にマゾヒスティックに振る舞い性慾を満たすとともに過重なストレスから解放されるが、会社や家庭での関係に罅が入るという展開である。
ロミーの率いるテンサイル社は、オートメーションを推進する企業である。物流拠点でロボットが動き回る様子が挿入される。ロボットは、命令通りに動く。ロボットは人間に服従する。ロミーはサミュエルの望み通りに行動すると約束する。言わばロミーはサミュエルのロボットとなる。その際、ロミーはサミュエルから言葉にするように命じられる。何故か。支配・服従と言葉とは密接な関係があるからである。俯瞰する眼によって、自らもまた眼差しの対象となり、自らを支配するために思考、すなわち言葉が生じたからである。
小林〔引用者補記:秀雄〕流にいえば、犬も猫も奴隷を持たない、だだ人間だけが奴隷を持つ、これは考えてみればまことに興味深いことであって、畢竟、言語の問題に帰着するのである、ということになるサディズムもマゾヒズムも人間だけにあるというのに似ている。これも言語の問題なのだ。(略)、言語を持つことによって、人間は自分を自分の奴隷にしたのである。そうすることによって、他人の奴隷になることもできるようになった。(略)
自分を自分の奴隷にするということは、家畜にするというのと変わらない。人間は自分を自分の家畜にしたのである。そうすることで他人の家畜になることもできるようになった。逆に、人を奴隷にし、動物を家畜にすることもできるようになった。
奴隷といえば人聞きが悪いが、人に仕えるということと違ったことではない。会社に勤めるということとも違ったことではない。社員を精神的に完璧に奴隷化した企業が成長することは古今東西変わらない。(略)
自分を自分の奴隷にすることによってはじめて、自分は自分の主人になることができる。それを主体的というのだ。この仕組を人間は一般に精神と身体の分割によって成し遂げる。むろん、精神が主人で身体は奴隷。思い通りの身体を養うことによって人ははじめてその人になるのである。比喩として述べているのではない。電車のなかで化粧に余念のない女性をときに見かけるが、身体の奴隷化の現場である。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』講談社/2018/p.240-241)