映画『終わりの鳥』を鑑賞しての備忘録
2024年のイギリス・アメリカ合作映画。
110分。
監督・脚本は、ダイナ・O・プスィッチ(Daina O. Pusić)。
撮影は、アレクシス・サベ(Alexis Zabé)。
美術は、ローラ・エリス・クリクス(Laura Ellis Cricks)。
衣装は、ジョー・トンプソン(Jo Thompson)。
編集は、アルトゥ・サルミ(Arttu Salmi)。
音楽は、アンナ・メレディス(Anna Meredith)。
原題は、"Tuesday"。
体長1センチメートルほどに小さくなっていた、茶色いコンゴウインコの姿をした死神(Arinzé Kene)が男の目元から飛び立つ。死神の頭の中にはあらゆる場所から様々な声が反響する。死にたくない。彼は私を傷つけるつもりは無かった。死神はその声の主へと向かう。
夜の駐車場。刺されて動けなくなったウィロウ(Ellie James)。死神が大人の男性ほどの大きさに変じて歩いて近付く。私のせいじゃない。彼がやったの。彼が私を刺した。死神が翼を拡げて覆うと、ウィロウは息を引き取る。
自宅のリヴィングでカウチに腰掛けてテレビを見るアイラ(Taru Devani)。死神が近付くとアイラは唾を吐きかけた。死神が翼をアイラに翳すと、アイラは眠るように息絶えた。
俺は死なないぞ。大丈夫だ。まだ死ぬには早い。横たわるスパイク(Jay Simpson)にも死神が舞い降りる。
雲が広がり弱い陽差しが大きな窓から射し込む。壁には様々な絵が貼り付けてある。
酸素の管を着けて横になるチューズデー(Lola Petticrew)は目を覚ましている。天井で足音がする。母ゾラ(Julia Louis-Dreyfus)は裸足で忍び足で歩くが、それでも静かな家に床が軋む音が響く。植木鉢を取ってテーブルに置いたゾラは窓へ。カーテンの隙間から玄関を眺め、ちょうど到着した「看護師8」ビリー(Leah Harvey)に手を振る。おはようございます。
ビリーがクレーンでチューズデーを吊し上げる。慎重に操作されるクレーンの作動音だけが響く。チューズデーが車椅子に坐らされる。
動物の剥製など動物関連の品を専門にしている骨董店。ゾラは近くにあった剥製に手を触れる。触らないでくれるか。店主のロバート(David Sibley)が見咎める。すいません。すごく珍しいでしょ? オーストリア製で、手編みで、カトリックの司祭が祭服を着てて…。いくらだったんです? 頂き物なんです。贈答の品。司祭だけ50ポンド。待って下さい、これは揃いの品なんです。何のです? ネズミの司祭がバチカンで陰謀を企んでる場面で、ナチスの金塊はどこに隠すんだ、みたいな。揃いで600ポンドです。揃ってることに意味があるんです。訝しむ店主。300だな。550。400。525。450、これ以上は出せないよ。娘が気に入ってたんです。だから480。娘さんのお気に入り? ええ。いくつ? 15歳。売っても構わない? ティーンだからほっつき廻ってて、酒を飲んだり男の子を追っかけたり…。ネズミたちがいなくなってるのになかなか気付かないんじゃないかな。うちの孫娘たちはね、眉毛ばっかり気にしてる。店主が紙幣を持ってくる。眉毛ね。ありがとう。ゾラが紙幣を受け取る。
自宅の庭。階段脇のスピーカーからヒップホップが流れる。チューブをして車椅子に坐るチューズデーが日向ぼっこしながらリズムに合わせて僅かに頭を揺らしている。ビリーが日焼け止めを顔に塗る。大丈夫。チューズデーが早々に遠慮する。テーブルに腰掛けたビリーは分厚い専門書の続きを読む。『卓越した看護のための思いつき大全』は面白いの? 『熟達した看護のための包括的手引き』です。ためになる豆知識的なのは? そうですね…。ビリーがページを捲る。時間を無駄なく使うにはどうすれば? 個人的に最も役に立つ活動は何ですか? 個人的に? ヘロインを打つか、性器を激しく擦るか。それってあまり良くないかもしれないですね。アラームが鳴る。お風呂の時間ね。ビリーが家に戻る。1人残されたチューズデーの呼吸が荒くなる。
死神がチューズデーの声に呼ばれる。飛び立とうとするが接着剤に爪がくっついてすぐには飛べない。ようやく飛び立つ。死神は庭のテーブルに降り立ち、チューズデーに近付く。翼を拡げ、チューズデーを覆おうとする。
ダンって警察官がいてね…。チューズデーが小咄を始める。
ゾラ(Julia Louis-Dreyfus)は、死期が迫る15歳の娘チューズデー(Lola Petticrew)と2人暮らし。日中は、訪問看護師のビリー(Leah Harvey)にチューズデーの世話を任せて家を空ける。ゾラはビリーに車椅子に乗せてもらい、庭で日向ぼっこをしたり、入浴介助をしてもらったりする。病身のチューズデーには、ヒップホップに身を委ねるか、ヘロインを打つか、自慰行為に耽るかくらいしか気を紛らわせる方法かない。ある日、ビリーが入浴準備で離れ、庭に1人残されたチューズデーは息苦しくなる。茶色いコンゴウインコの姿をした死神(Arinzé Kene)が現われ、チューズデーに息を引き取らせようとする。チューズデーは、咄嗟に小咄で死神の気を逸らさせると、断末魔の苦しみなど臨終を迎える人々の声に苛まれパニック障害に陥る死神を落ち着かせ、薄汚れた死神に行水させて見違えさせる。チューズデーは死神に母親と話すまで待って欲しいと頼み電話するが、ゾラは電話に出ない。憤慨したチューズデーがスマートフォンを叩き壊すのを死神が手伝った。
(以下では、全篇の内容について言及する。)
ゾラは愛娘チューズデーを愛するが、愛するが故にチューズデーの死が迫っていることが耐え難い。仕事だと言って家を空け、公園や喫茶店で無為に時間を過ごしていた。娘から連絡があっても電話に出ることができない。
本来なら、死神の来訪時点がチューズデーの死期であった。チューズデーは自分が突然いなくなれば母親が苦しむことになるだろうと、死神を懐柔して、娘の死を受け入れられない母親のために、受け入れる準備をさせるために自ら生の延長を試みる。それは病苦の延長でもある。
死者が留まることは自然の摂理に反する。この世が死者の国となる。死者たちはこの世に留まり、苦しみ続けなければならない。オルペウスが亡き妻エウリュディケ―を連れ戻そうと冥界に渡った物語と反転した状況と言ってもいい。
ゾラは家の中にある品々を売り払う。タイルまでも剝がして売ってしまう。物は買手のもとで新たな役割を演じる。人もまた死に、新たな生を生きることになるのか。
尤も死神は、神の存在、神の国を否定する一方、死者のいる世界があると言う。それは記憶である。死者を記憶する者がどう生きるか次第で死者の生はいかようにも変化する。およそ出来事の価値は、それを評価する者次第なのだ。辛い経験すらも素晴らしいものになり得る。