映画『エミリア・ペレス』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のフランス映画。
133分
監督は、ジャック・オーディアール(Jacques Audiard)。
原作は、ボリス・ラゾン(Boris Razon)の小説"Écoute"及び同作に基づくジャック・オーディアール(Jacques Audiard)のオペラ『エミリア・ペレス(Emilia Perez)』
。
脚本は、ジャック・オーディアール(Jacques Audiard)、レア・ミシウス(Léa Mysius)、ニコラ・リベッキ(Nicolas Livecchi)、トマ・ビデガン(Thomas Bidegain)。
撮影は、ポール・ギローム(Paul Guilhaume)。
美術は、エマニュエル・デュプレ(Emmanuelle Duplay)。
衣装はビルジニー・モンテル(Ariane Daurat)。
編集は、ジュリエット・ウェルフラン(Juliette Welfling)。
音楽は、カミーユ(Camille)とクレモン・デュコル(Clément Ducol)。
振付は、ダミアン・ジャレ(Damien Jalet)。
原題は、"Emilia Perez"。
メキシコシティ。夜、アソシエイト弁護士のリタ・モラ・カステロ(Zoe Saldaña)が自宅の仕事部屋でラップトップに向かっていると、廃品回収車が近くを通る。マットレス、ベッドのスプリング、冷蔵庫、洗濯機、電事レンジ、何でも買い取ります。遺体や遺留品の映る現場検証の写真を改めて見直しメモを取り、冒頭陳述を練る。電話が鳴る。パートナー弁護士のベルリンゲル(Eduardo Aladro)からだ。順調か? もうすぐ終わります。ドアマンは証言しない。陪審は納得しますか? それは私の仕事だ、任せておけ。飽くまで自殺で通す。自殺ですね、分かりました。頼りにしてるぞ。ご期待に添います。電話を切ったリタは「ガブリエル・メンドーサ(Emiliano Hasan)被告事件、冒頭陳述」とラップトップに打ち込んだ。リタは賑やかな通りの商店を冷やかし屋台に立ち寄りながら、陳述内容を検討する。善良な男性がメディアによる中傷の被害者に仕立てられたという筋書きが出来た。
法廷。ガブリエル・メンドーサの弁護人ベルリンゲルが裁判官と陪審員及び傍聴人を前に冒頭陳述を行う。彼は妻を殺していません。彼女は自ら命を絶ったのです。これはメディアによるリンチです…。ベルリンゲルはリタが書いた通りに発言し、途中で科白に詰まる。リタが続きを教える。…私の依頼人は本当に犯罪者だと思いますか? どんな女性に対しても? 誰に対してですか? 私は被告人の釈放を要求します…。
ベルリンゲルとガブリエルが報道陣の囲み取材に応じている。私と私の依頼人は司法制度を疑ったことはありません…。お膳立てしたリタは取材陣から離れたところで母親と電話で話す。勝ったよ。嬉しいけど、…複雑な心境。いいの、忘れて。…日曜日? 仕事が山積みだから。…また連絡する。リタは近くにいた女性にタンポンを譲ってもらい洗面所に駆け込む。
洗面所で手を洗っていると、電話が鳴る。お母さん、後で電話してもいい? リタ・モラ・カストロさんかい? えっ? 何故トイレにいるんだ? 称讃されるべきはあんただろ、弁護士先生。誰です? リタはトイレの扉を開けて周囲を伺うが誰の姿もない。豊かな暮らしをしたいか? あんたに提案がある。10分以内にキオスクに行け。すいませんが、どちら様でしょう? 誰? 電話が切れる。リタは浮いた話の一つも無く、薄給でこき使われている現状を思い、自分に失うものなどないと腹を括る。
キオスクに行くと、無惨に殺された男たちがカヴァーを飾るタブロイドが並んでいた。突然、リタは黒い布を頭に被せられ、無理矢理乗せられた。都心から離れいつしか未舗装の道へ。車から降ろされ、人々の声、犬の吠え声がする中を歩かされる。トレーラーの中に押し込まれた。
誰かいる? リタは未だに黒い布を被せられたままテーブルの前の椅子に坐っていた。恐ろしいか? 前に坐る男(Karla Sofía Gascón)に尋ねられる。恐れるべき? いや。俺が誰だか分かるか? いいえ。マニタス・デルモンテ。先生にお目にかかれて光栄だ。クソ。モラ・カストロ先生は俺の立場をご存じかな? あなたの立場? あなたの事業は隆盛を極めてる。あなたの麻薬カルテルは敵対する北部同盟を壊滅させたから。昨年には新たな政治家とのパイプもできた。彼らは見事当選して、あなたの判断が正しさを証明してみせた。ビンゴ! マニタスはリタに被せてあった布を剥ぎ取った。不敵な笑みを浮かべるマニタス。デルモンテさん、ご依頼の件は何でしょう?
メキシコシティ。アソシエイト弁護士のリタ・モラ・カステロ(Zoe Saldaña)はメキシコ大で法学の学位を持つ俊英。パートナー弁護士のベルリンゲル(Eduardo Aladro)の華々しい活躍を薄給で支えている。周囲から結婚、子供、独立開業などあれこれ言われるが、仕事に追われるばかりで浮いた話の1つもない。妻の殺害の嫌疑で起訴されたセレブリティ、ガブリエル・メンドーサ(Emiliano Hasan)の勝訴を勝ち取った晩、メディアの囲み取材を受けるベルリンゲルを他所に1人トイレにいたリタに電話が入り、贅沢な暮らしをしたいかと持ちかけられる。鬱屈していたリタは一か八か指定されたキオスクに向かう。男たちに急襲され拉致されたリタは麻薬カルテルを率いるマニタス・デルモンテ(Karla Sofía Gascón)に引き合わされた。200万ドルの口座の証書を提示したマニタスは、依頼内容を知ることは承諾することになると念を押す。それでもリタは案件を尋ねる。女になりたい。マニタスは確かにそう口にした。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
麻薬カルテルの帝王マニタスが、宿願であった女性になる望みを叶え、マウリヤ朝のアショーカ王よろしく改心する。
「歌物語」で歌が登場人物の心情を伝えるように、本作ではミュージカルのパートが挿入される。科白などからミュージカルへの繋ぎが絶妙である。
犯罪の口封じや敵対勢力に対する攻撃のために数多くの人々を死に追いやってきた麻薬カルテルの総帥「マニタス」ことフアン・デルモンテには、女になり、自分の人生を生きるという思いを長年抱き続けてきた。ライヴァルである北部同盟を壊滅させ、政治家の後ろ盾を得て確固たる地位を築いたマニタスは、遂に宿願を果すことにし、有能な弁護士リタ・モラ・カステロに極秘の依頼をする。リタはテルアビブで有能な医師ヴァッサーマン(Mark Ivanir)を見出し、マニタスに施術する。マニタスが暗殺され山中で遺体が発見されたとのニュースが報じられ、リタは刺客の魔手から逃れさせるようマニタスに命じられたと妻ジェシー(Selena Gomez)と2人の息子アンヘル(Théo Guarin)とディエゴ(Lucas Varoclier)をローザンヌに移らせる。リタはマニタスの案件を見事に処理して見せた。
4年後、ロンドンに拠点を活動するリタは関係者とのディナーで久々にスペイン語を話す機会に恵まれる。相手はメキシコ出身の「エミリア・ペレス」。性転換手術を経たマニタスだった。偶然の再会のはずがない。エミリアは息子たちと一緒に暮らすべくマニタスの遠縁の人物を装い、妻子をメキシコシティの豪邸に迎え入れる手筈を整えるよう求めるためにリタの前に姿を現わしたのだった。
(以下では、後半の内容についても言及する。)
エミリアは女性として生き直すだけでなく、ジェシー、アンヘル(Gaël Murguia-Fur)、ディエゴ(Tirso Pietriga)との生活を取り戻すこともできた。エミリアは行方不明者のビラを配る女性に出会ったことをきっかけに、失踪者の捜索、遺体・遺骨の収集などを支援するNGO「ルセシータ(Lucecita)」を起ち上げることを決意、リタが在監者などから情報を収集し、実績を上げる。エミリアは相談者の1人エピファニア(Adriana Paz)という恋人も手に入れることができた。好事魔多し。ジェシーがグスタボ(Édgar Ramírez)と再婚し子供を連れて出て行くという。
マニタスを自ら「殺害」しながら、「前世」での息子たちと交流する喜びも味わいというエミリアの煩悩は、「元」妻ジェシーに対する嫉妬も加わり、ジェシーがグスタボと新たな生活を築くのを妨げ、結果としてエミリア自らの生活の破綻を招くことになる。
テクノロジーが発達し欲求が次々と実現可能になっていったとしても、次々と新たな欲望が生まれるだろう。だからこそ仏教などで煩悩を捨て去ることが説かれるのだ。それでも俗人が欲望に呑み込まれることは避け難い。だからこそマニタス=エミリアの物語に没入できるのだ。
本作に関心がある向きは、映画『私が、生きる肌(La piel que habito)』(2011)などいかがだろう。
メキシコ、死屍累々と言えば、ロベルト・ボラーニョ(Roberto Bolaño)の小説『2666』を思い出す。