映画『KIDDO キドー』
2023年製作のオランダ映画。
91分。
監督は、ザラ・ドビンガー(Zara Dwinger)。
脚本は、ネーナ・ファン・ドリル(Nena van Driel)とザラ・ドビンガー(Zara Dwinger)。
撮影は、ダウ・ヘニンク(Douwe Hennink)。
美術は、ブラム・ドワイヤー(Bram Doyer)。
衣装は、ビータ・メース(Vita Mees)。
編集は、ファティ・トゥーラ(Fatih Tura)。
音楽は、ジャック・ファン・エクスター(Jac van Exter)。
原題は、"Kiddo"。
夜のモールの屋外駐車場。車は駐まっていない。カートを押す女性が立ち止り、星空を見上げる。彼女は再びカートを押す。
児童養護施設。ルー(Rosa van Leeuwen)が小蛇のヘンクを手に絡ませる。小さな男の子がミニカーを前後に動かす。電話が鳴り、ヘニー(Aisa Winter)が出る。もしもし? …ええ。…そうです。…許可は取っています。…きっと喜びます。…確認しました? …いいえ、連絡ありがとうございます。良い一日を。ルー! 何? ママが来るわ。いつ? 明日の10時。ルーが外へ出て行く。嬉しくないの?
住宅街の歩道を歩くルーの顔に笑みが漏れる。ママが来る。ルーは駆け出す。ママが来る!
第1章「ゼロか100か」
施設の子供たちが並んでヘニーから食事を受け取る。ルーが爪にスマイルマークを描く。ラヴィ(Djayklin Lima)が母親に会ったらこうするんだと中指を立てる。歯を磨く。ベッドに入る。ヘニーからシーツを掛けられてお休みと言われる。ヘニーが出て行くと2段ベッドの上のニッキー(Indy-Rose Kroonen)がルールに尋ねる。最後にママにあったのはいつ? 覚えてない。どんな人? オレンジみたいな香りがする。ルーは夜、施設の前の道で母親と別れた場面を思い出す。顔出せなくて悪かったね。ハリウッドに行くんだ。すぐ戻って来るからさ。そうルーに告げたママと指切りをしたんだった…。ハリウッドにいるの。本当? すごく忙しいの。自分でスタントもこなすんだよ。すごいね。ママは夜空の星で私とやり取りできるの。ルーは、夜空に向かってママが手を翳すと星が一際輝く場面を思い描く。
ブザーが鳴る。まだ眠い…。ルーが飛び起きる。歯を磨く。1階に駆け下りてリヴィングのソファに坐る。リュックを背負う。時計は9時50分。
皆が思い思いに遊んでいる。もう10時30分になろうとしている。テレビではアニメが流れる。小さな男の子が何かをルーに差し出す。
アニメの中で足のような時計の針が素早く12時まで回転する。
陽差しが弱くなる。ルーはカウチの上で横になる。
夕食の配膳が行われている。ル-は1人リヴィングにいる。ラヴィがスマイルマークに装ったプレートをルーに運んでくる。スマイルマーク。食べてもいいんだよ。美味しそうでしょ。ありがと。ルーの気持ちはどうしてもスマイルマークになれない。
ベッドに横になるルーにヘニーがシーツをかける。明日は楽しいことをしましょうね。うん。ヘニーが出て行く。ニッキーが2段ベッドの上でもうすぐ来るよとルーを励ます。ルーは暗い道に佇むママを思い描く。
ベッドでヘンクを手に絡ませる。みんなでプールに行きましょう。ヘニーがルーに声をかける。疲れてる。ルー、行きましょうよ。行きたくないの! 分かったわ。明日は今日より上向くわよ。
ベッドで1人ヘンクを眺めている。ルー! 表で声がする。窓から外を眺めるとサングラスをかけた母カリーナ(Frieda Barnhard)が手を振っていた。慌てて駆け下りる。お嬢ちゃん。私のこと覚えてる? ルーが頷く。嬉しいね。カリーナは施設の中に入って様子を探る。もう来ないと思ってた。事故ってね。固定した左手を見せる。じゃあ行こうか? どういうこと? あんたの母親だよね。うん。着替えなよ。ル-は階段を駆け上がりベッドに行き、慌てて着替え、メモを書く。「ママが来た。すぐ戻る。ルー。」。
児童養護施設にいる11歳のルー(Rosa van Leeuwen)は、ヘニー(Aisa Winter)から母親のカリーナ(Frieda Barnhard)が来ると告げられる。ハリウッドに行くと行った母はすぐに戻るからと指切りをしたがこれまで何の音沙汰も無かった。ルーは平静を装いつつも喜びを隠しきれない。興奮してなかんか寝付けずに迎えた翌朝、約束の10時よりも早くにリヴィングに降り、リュックを背負って待つ。10時30分になっても、正午になってもカリーナは現われない。遂に夜になってしまった。ルーはとても食事を取る気分にもなれない。明日は楽しいことをしましょうとヘニーに慰められ眠りに着く。ヘニーはみんなでプールに行こうとルーを誘うが、失意のルーはベッドから出ない。皆が出かけた後、カリーナが現われた。出かけようとカリーナに誘われ、許可無く外出することに躊躇いつつも、書き置きをして出かけることに。まともに助手席の扉が開かないボロボロの青いシボレー・インパラでドライヴする。バッグの中に電話があるか確認すよう言われたルーが電話を手渡すと、カリーナは窓から投げ捨てた。あんたと私だけ。人生はゼロが100だよ。カリーナはポーランドの母親(ルーの祖母)に会いに行き、隠しておいた金を手に入れて一緒に暮らそうとルーに告げた。
(以下では、全篇の内容について言及する。)
センス抜群で、鑑賞者を問わない作品である。
オランダの児童養護施設にいるルーは、へニーから母親が来ると告げられる。他の子の手前、自分だけが大喜びする訳にはいかない。だからルーは何事も無かったかのように装い、施設を出て行く。皆のいない通りで、ルーは1人喜びを爆発させる。
翌朝、予定時間の10時よりも早くに準備をして待つ。時が経つのがどれだけ長く感じられたことか。だが母親は10時30分になっても、正午になっても現われない。遂には日が暮れ、一日が終わってしまった。母親がいない日常はこれまでと変わらない。だが母親が来ると期待を抱かされ舞い上がった分だけ悲しみは深くなる。ヘニーはそのルーの気持ちが分かる。だから楽しいことをしようと皆でプールに出かけることにする。だがルーの負った心の傷は深手で、とても出かける気にはならない。
皆が出かけた後、1人ベッドにいたルーは、表から母親カリーナがルーと呼ぶ声を聞く。喜びと悲しみの激しいアップダウンを経験したルーは気持ちが追いつかない。それでも母親に誘われて無許可であることに後ろめたさを感じつつも外出する。
ルーは小蛇のヘンクをペットにしている。嫌われ者の蛇に自らを投映しているのかもしれない。孤独なルーの空想癖を表現するために、想像した場面、古い映画やアニメの映像などが挿入される。動作などに古いドラマやアニメのような効果音が入れられ、ファンタスティックな印象を生む。
来ると言っていた母親が現われず失意のどん底にいたルーが、皆が出かけた後でベッドに1人残っていて眠りに落ちた。その後の展開の全ては夢の中の出来事のようだ。とりわけ時折姿を現わす火遊び少年グジュゴジュ(Maksymilian Rudnicki)は、ルーの夢であることを暗示するとともに、ルーの幻想を邪魔ないし破壊しようとする存在と言える。だが本作は敢て夢落ちという体裁を取らない。それは、ルーが母親に会えたという夢を、ルートともに見ていたいという気持ちにさせることで、ルーと鑑賞者とを一体化させる、監督のマジックである。冒頭の歓喜と失意との落差は、夢の世界への跳躍のための発条であった。
ボロボロの青いシボレー・インパラは、カリーナの夢を象徴する。面白い映画はモノクロームの(古い)映画だというカリーナは、過去(の夢)をいつまでも引き摺っている。『俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)』(1967)のボニーとクライドに自らとルーを当て嵌め、何度も撃たれて死ぬごっこ遊びをする。カリーナにとって、ルーとの旅は自らの夢を追う最後の試みなのだ。2人が立ち寄る公園の恐竜のオブジェもまた過去の夢を象徴する。カリーナがルーに施設に連絡を取ったことを聞かされて激昂するのは、夢の世界から現実へと連れ戻されてしまうからだ。青いシボレー・インパラが爆発するとき、カリーナの夢は潰える。だが、カリーナの夢の終焉は、ルーの夢の始まりを告げる。
ヘニーの運営する児童養護施設は楽園である。ルーの飼う蛇ヘンクは、知恵を授ける存在である。(作品に描かれている訳ではないが)ルーは初潮の時期を迎えているのも、失楽園を暗示する。ヘンクが行方不明となるのは現実逃避の象徴であり、ヘンクが見付かるとき、ルーは現実に帰還する。カリーナとの冒険は、約束の空虚さを信じないだけの強さをルーに与えることになるだろう。夢見る少女から大人への境界を跨ぐのである。もはや、お嬢ちゃん(kiddo)ではない。